第3話 犬

「泥団子はまずかろう。こちらになさい」

 今まさに、泥で作った団子を食わんとしていた男に向かい桃太郎は黍団子を差し出した。道中のことである。

 土と埃で真っ黒に汚れた男は、うずくまったままぎらぎらと光る目で自分の手にある黒い団子と、突然声をかけてきた不思議な男の手にある白い団子を見比べた。

 ぼろぼろとくずれる手の中の土、ほのかに甘い香りを発する目の前の団子。

 男は数度二つの団子を見比べた末、手の中の物を投げ捨てると、桃太郎に襲いかかり手の中の団子をひったくって森の中へと逃げた。

「無礼な・・・・・・!」

 激昂し、武器を持って森の中を追おうとした猿を、桃太郎は手で制した。

「よい、放っておけ。腹が減っていたのであろう」

「ですが・・・・・・」

「よい、よい。我らは泥団子を食おうとするほど飢えてはおらん。野良犬に噛まれたと思って諦めればよい」

 貴方様がそう言うのであれば、と猿は武器をおろした。


「桃太郎様、いかがなさいますか」

 しばらく歩いた後、猿は背後の茂みにちらりと目をやって桃太郎に耳打ちをした。

 ひたひたと後をついてくる気配について言っていることは間違いなかった。

 桃太郎は後ろを振り返らずに、「何故ついてくるのか分からぬが・・・・・・。どうやら害をなそうというつもりではないらしい」と言って、足取りを変えずに歩みを進める。

「放っておくつもりで?」

 猿は不満げな声をあげるが、桃太郎は取り合わない。

「どうしようもなかろう。何かしたいのであればおのずと向こうから接触をはかってこよう。ただついてくるだけなのであれば取り合う必要はない。先を急ごう」

 桃太郎の声に猿は渋々頷くと、桃太郎の後ろについて油断がないよう武器を構えた。

 後ろからついてくるのは、恐らく先ほど桃太郎の手から黍団子を奪っていった小汚い男なのであろう。獣のように四つ足で、まるで獲物が見せる一瞬の隙を狙っているかのように一定の距離を保ってついてきている。

 背後を取られているという不安定な状態に猿は不快感を持ったが、桃太郎に従いおとなしく足を進めるに留めた。


「犬、黍団子をやろう。出て参れ」

 倒木に腰掛け食事をとっていた桃太郎は、茂みに向かい唐突にそう声をかけた。

水を口に含んでいた猿は思わずそれを吹きかけて何とか口を押さえて飲み込む。

「……そんなことを言っても素直に出てくるとは思えませんが……」

控えめにそう言って、猿は茂みを見やる。しん、と草木は静まり返り、虫の気配すら感じられない様子であった。

「そもそも人語を解しているのかどうかも……」

 言いかけた猿の言葉に、桃太郎は口に指を当て黙るように諭す。仕方なく猿が口をつぐむと、しばらくして茂みがかすかに揺れる音がして、ゆっくりと、のっそりと彼は姿を現した。

 猿は反射的に武器を取り、桃太郎はにっと笑って団子を差し出す。男は例のぎらぎらした瞳で周りをせわしなく見回しながら少しずつ近づいてくると、桃太郎の前で“お座り”をした。まったく、犬がやるようなあの仕草で。

 猿は面食らったが、桃太郎はまったく態度を変えず、団子を差し出すと「お主のことは何と呼べばよいか」と問うた。

「お……お……おれは……犬でいい」

 男は答えた。

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