第三話 境界を超えて

「全員いるな。じゃ、行くぞー」

 ふわりと宙に浮くジグを先頭に、ぼくたちは拠点としていた廃校の体育館裏に来ていた。ジグが言うには、ここに空間の歪みが生まれているらしい。ここが魔法世界への入口ということだ。

「ジグ〜、二回目でも魔力酔いはするの?」

「するぞ。覚悟しとけよ」

 質問したのは雛さんだった。ジグの返答に、蓮さんや遥さんも嫌そうな顔をする。魔力酔いってなんだろう。『酔い』って付くからきっと酔うんだろうけど……。

 大きな体育館の壁に太陽の光が遮られ、じめっとした空気が溜まっているように感じる。薄暗く狭い通路をゆっくり進んでいくと、段々と周りが暗闇に包まれていった。……少しだけ、怖いかも。

「手、繋ぐ?」

 右隣から声がした。双子の声だ。でも、暗がりで顔がよく見えないからどっちだかわからない。顔というかヘアピンの有無で区別しているのだけど。

「……うん」

 返事とほぼ同時に右手が包まれた。光のない空間に目が慣れず、みんなの足音だけが聞こえる。この状態で、確かに、隣に知っている人がいるということはぼくの恐怖を大きく緩和させた。

 手を繋ぐのは嫌いじゃない。ぼくが今より幼かった頃、お父さんとお母さんとよく繋いだものだ。手を繋ぐという行為は、その頃の安心や幸福といった感覚を思い出させる。だから、蓮さんや双子の二人が手を繋いでくれると、不安が緩和されるのだ。

「そろそろだぞ」

 ジグが言った。ごくりと唾を飲み込み、深呼吸をひとつ。再び前を見据えると、真っ白な光の筋が見えた。やがてその光は大きくなり、眩しいほどにぼくたちを包んでいく。思わず、一瞬目を瞑る。ゆっくり開けると、光の中に緑色を見つけた。ぼやけた緑が段々とはっきりしていく。草木の緑であると認識した頃には、いつのまにか右手にあったぬくもりは消えていた。

「よし、境界は超えたぞ。まずはゆっくり魔力に慣れよう」

 初めて踏んだ魔法世界の土。初めて目にした魔法世界の木々。初めて吸った魔法世界の空気(実際には全て初めてではないのだろうが)。それらを五感全てで取り込む。案外地球と変わらないな、というのが第一印象だった。

「う゛……きもちわる、」

 比較的近くでとある声を拾った。声の主は奏さんだった。

「大丈夫……?」

 顔が真っ青で、冷や汗もかいている。息遣いも少々荒く、見るだけで体に負担がかかっているのだと取れた。

 ハッとして他のメンバーのことを見ると、みんな奏さんと同じように苦しそうだ。声はケロッとしているように感じたジグも、顔色は少し悪いように見える。

「あおいくんは……平気なの?」

 蓮さんに声をかけられ、「そうみたい」と答える。実際、体に異変はなく、みんなが訴えている「気持ち悪さ」や「頭痛」、「目が回る」といった症状は微塵も感じなかった。

「魔力酔いは、空気中に含む魔力の量の変化によって起こるものだ。あおいはリングをふたつ持っているから……」

 ぐったりした体を近くの木にもたれさせて、ジグが話す。いつも余裕に溢れた振る舞いのジグがこうであると、ぼくも調子が狂う。何かできることはないだろうか。

「リングがふたつあれば、魔力酔いしない……ってこと、ですか?」

 人より少し高く、か細い声だった。その声の主はゆきのさん。他のメンバーよりひと足早く回復してきている様だ。

「そもそもリングの役割が何かを知れば理解できる。リングとは、空気中の魔力を溜め込む器のようなものだ。まず、人間は体に取り込める魔力の量が微量であるため、魔法が使えない。というか魔力の存在に気づいてすらいないんだ」

 ジグも慣れてきたのだろう。再び体を宙に浮かせ、回ったりあちこちに移動したりしていた。準備体操のようなものだ。

「地球は魔力が薄い。逆に、魔法世界は魔力が濃い。体内の急激な魔力量の変化が魔力酔いをもたらすわけだ」

 ジグが説明を進めていく一方で、遥さんの顔色もだいぶよくなってきた。隣でうずくまる優里花さんは、まだ頭痛で唸っている。

「リングは魔力の器と言ったな。魔法世界に来て、リングはより多くの魔力を取り込んだ。しかし、その器に収まりきらなかった魔力は体内に取り込まれる。その量が多ければ多いほど魔力酔いは辛くなるってことだ」

 へぇー、と聞こえた。蓮さんの声だ。そちらを見ると、自分のリングを取り出して見つめていた。顔色は十分よくなっている。

「じゃ、あおいくんはリング二個分魔力を溜められるから、体内に取り込む量が少なくなるってことか! なるほど〜」

 双子のピンをしている方が、明るめの声でそう言う。随分回復した様だ。先程まで唸っていた優里花さんももう大丈夫そう。目が回ると訴えていた雛さんも。

「よし、みんな行けそうだな。と言っても無理はするなよ」

 ジグが笑ったところは見たことがないが、言葉はいつも優しい。怪我や病気をしたらそばに居てくれるし、不安になったら励ましてくれる。マジックスコードロンズのまとめ役的な立ち位置で、体こそ一番小さいが存在は一番大きいと言えるだろう。

「いいか、ここから数分歩けばすぐトータ村に着く。昨日話した注意点を忘れずにな」

 こくりと頷くと、他のみんなも同じように頷いていた。速度が上がっていく心臓の音を落ち着かせるように、息を吸って吐く。しっかり前を見据え、ジグと目が合った。大丈夫だ、と言われた気がした。

 ゆっくりと、でも着実に、ぼくたちは前に足を進めていく。知らない土の上を、知らない空気の中を、知らない空の下を、一歩一歩進んでいく。

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