3

 「あおい」の実体化作戦は、以下のようなものだった。


 複素平面(横軸を実数、縦軸を虚数とする平面)上で、ある複素数を実数軸に対称に鏡像変換したものを、その複素数の共役きょうやく複素数と呼ぶ。複素数と共役複素数の積は絶対値の二乗となり、実数だ。これが今日学校で習った内容。


 そこで、「彼女」が今存在しているイマジナリー・ワールドに鏡を持ってくる。鏡に映った「彼女」は複素共役だから、鏡に飛び込んで掛け算すればイマジナリーな存在である彼女もリアルに変わるはず。ただし二乗はされてるけど。


 うーん。なんか、わかったような、わからんような……


「で、どうやって鏡をイマジナリー・ワールドに持って行けばいいんだ?」


 僕が質問すると、彼女は、やれやれ、とでも言いたげに肩をすくめる。


『決まってるだろ? そこの姿見でいいから、それを見てあんたが脳内でそれを想像イマジンすればいいんだよ。イマジナリーなんだから』


「そんなんでいいのかよ……」


 ますますわからん。


『さ、やり方がわかったら、早速やってみなよ』


「わかったよ」


 僕は部屋の姿見を凝視して、それを脳裏に想像する。


『上手いじゃねえか』


 「あおい」の方に振り向くと、いつの間にか「彼女」の隣に姿見が置かれていた。


『それじゃ、行くぞ』


 「あおい」が(イマジナリーな)姿見に飛び込むと……


 突然、僕の部屋の姿見から、何かが飛び出してきた。


 ドスンと大げさな音を立て、それは床を一回前転してすぐに起き上がる。


「うそ……」


 信じられなかった。


 それはまさに、「あおい」だった。しかも、完全な実体感を備えている。向こうが薄く透けて見えていたりしない。


「ふう……実体化、成功……っと」


 あおいはそう言うと、ニッコリと笑った。


 その時だった。


「お兄ちゃん、ごはんだよ」


 妹の美咲みさきが、いきなり部屋のドアを開け……そして、固まる。


「……」


 あおいが、美咲にもニッコリと笑いかける。


「……お邪魔しました……」そう言って、おずおずと美咲はドアを閉めようとする。


 こいつにも……見えているんだ……


「待て! 美咲!」


 僕はあわてて美咲を呼び止める。


「な、何?」


「誤解すんな。この子は、たまたま勉強を教えてもらうために来てもらっただけで、だな……」


「何の、勉強?」


 美咲は僕と目を合わせようとしない。


「だ、だから、数学の……複素数の、だな……」


「ふうん。よくわかんないけど、とりあえずお父さんとお母さんには黙っておくから。口止め料はモロゾフのプリン1個ね」


「……わかったよ」


 僕は苦々しげに美咲にうなずいてみせる。ちきしょう……こいつに要らん借りができてしまった……


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