バレンタインには甘いチョコレートを。②

 今年も最悪のテイストだったと、したくもない反芻をしながら帰宅。

 ずかずかと乱暴に俺の部屋に入るや、カバンを乱暴に勉強机に放り投げて、この身をも安っぽいベッドに放り投げる。

 いくら幼馴染と言っても限度があるはずだ。俺が怒らないからって適当に作りやがって、俺が嫌いならそういえばいいのだ。


「あー、くそっ」


 悪態をついても収まらない怒りを、マンガを読んで発散することにした。胸躍る冒険活劇は俺の些細な悩みをいつでも吹き飛ばしてくれるからだ。

 早速、寝っ転がったままでも届く場所に配置してある本棚からお気に入りの本を取ろうとすると、その箇所に本来ある本が消えて寂しい空間が広がっていることに気が付いた。

 どういうことだ、と思い返してすぐにぴんときた。


「そういや、あいつに貸したばっかりだったか」


 あの女、苦いチョコレートだけでは飽き足らず、俺のお気に入りの本まで奪っていきやがったのか。


『ちょっと、貸すって言ったのアンタでしょ!』


 何だか抗議の声が聞こえた気がしたがスルーしておこう。

 うぅむ、どうも今日は何もかもが上手く行ってないように思える。こういう日もあるっちゃあるけど、どうも居心地が悪くてしょうがない。

 大きなため息も遠慮なく吐き出し、気分転換でもしようとリビングでテレビでも見ようと部屋を出たところで、


「あら、帰ってきてたの。ちょうどよかった。これ、あの子の家に届けてくれない? あんたがいてくれて助かったわぁ」


 怒涛の勢いでお使いクエストを言い渡してきた母に、あれよあれよと物を持たされてしまった。

 少しは息子の話を聞けと言いたかったが、


「ほら、行ってきてよ。晩御飯までに帰ってこなかったらご飯抜きだからね」


 相撲レスラーばりの押し出しで家を追い出されてしまった。

 全く、今日はなんて日だ! スマホを取りに行くのも無理そうな勢いだったし、ポケットの中に入れておいてよかったと画面を開くと、我が家のディナーまであと30分を切っていた。


「いや、これは無理だろ……」


 自転車で片道30分かかる幼馴染の家の遠さを嘆いたものの、現状は変わらなさそうなので観念して愛車を引っ張り出すと、高校の三年間を共に過ごした相棒は文句ひとつ言わずに足取りも気分も荷物も重い俺たちを乗せて目的地まで運んでくれた。

 みんな、この自転車くらい愛想がよければいいのにな。



 流石に暖かくなってきたとはいえ、日が沈むのは相変わらず早く、幼馴染の家に到着したころにはすっかり辺りは真っ暗闇だった。

 田んぼに囲まれてポツンと建っている彼女の一軒家。リビングしか明かりがともっていないところを見るとみんな夕食を取っているのだろう。

 何度も遊びに来たこの家の、何度押したか分からない呼び鈴を鳴らす。

 はーい、という声と共にパタパタと押し寄せるスリッパ音は彼女の母親だ。昔っから変わっていない。

 ガラガラと開けられた扉の向こうにいた声の主は、突然の来訪者に驚く様子もなくのんびりと一言。


「あら、いらっしゃい。どうしたの?」

「どうも。これ、母さんが持ってけって」


 手渡すは、母さんの実家から送られてきた野菜やら果物やら。チャリに乗せるには明らかに過積載なのだが、運転免許を持ってない母親にこれを持って歩かせるほど俺も親不孝ものではない。


「あらー、いっつもありがとうねぇ。重かったでしょ?」

「いえ、大した量ではないですし。まだ若いんで」


 玄関の端に荷物を下ろしていると、


「そうだ、お礼になるかわからないけどね、ご飯食べていって」


 今からダッシュで帰っても我が家の飯はもうないので、食べ盛りの俺にはありがたい提案だが、


「いえ、お礼なんていいですよ…。流石に迷惑でしょうし」


 あいつと妙に顔を合わせづらい。怒っているわけじゃないけど、さっきまで今後の事を考えていただけに顔を合わせるのは何だか気が引ける。

 だがあいつのおばさんは、そんな俺の事情など知ったことかと言わんばかりに、


 「ほらほら、遠慮しないで。たくさん食べて構わないからねぇ」


 ぐっ、どうしてこう母親ってのは押しが強いんだ……っ!!

 体力と筋力には圧倒的自信のある一介の男子高校生の俺だが、成すすべなくリビングまで引っ張られる。

 そこにいたのは当然ながら、


「げっ、何しに来たのよ」


 風呂は済ませたのか、通気性のよさげなTシャツ一枚と短パンでノーメイクのあられもない姿で食事を楽しんでいる幼馴染。恰好が恰好なだけに、余計気まずい。


「いや、俺もう帰るから……」


 最後の抵抗をするもむなしく、


「何言ってるの、もう用意しちゃったから食べていきなさいよ」


 いつの間にか俺用の箸と盛りに盛られたご飯と食欲をそそる香りのみそ汁が食卓に並べられていた。


「そうそう、今日はこの子がご飯を作ってくれたからきっと美味しいわよ」

「お母さん! そういうこと言わないで!!」


 恥ずかしそうに赤面する彼女。肉じゃがとか焼き魚とか卵焼きとかサラダとかの和風テイストな夕食が並んでいて、どれも見るからに美味しそうだ。

 どうして料理は出来るのにチョコレートは下手くそなのか疑問が残るが、それも目の前のご飯を前に消え失せてしまった。

 ほらほら、と勧められたので、テーブルに座ろうとして、


 「あら、そっちじゃないわ。あなたはこっち」


 幼馴染の真向かいに座ろうとした俺を、彼女の隣に座らせた母親。


 「ちょ、なんでこっちに座るのよっ! あっち行ってあっち!!」


 嫌そうに追い払おうとした彼女に、


 「こら、そんなこと言わないの。早くしないとご飯も冷めちゃうし、そこでいいでしょ」


 軽く叱責して再度俺を彼女の横に座らせた。


 「どうしてこんなことに………」


 すっかり落ち込んでしまった彼女にかける言葉は思い浮かばず、いたたまれない気持ちの俺が言える言葉はただ一つしかなかった。


 「い、いただきます……」


 夕食は、めちゃくちゃ美味しかった。

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