第37話 軌道離心
「汐音! あなた一体どこに行ってたの?」
ママはわたしの両肩を掴み、痛いほど揺さぶった。
わたしは、何も答えられない。どう説明しても、伝わる気がしなかった。
「どうしてあなたはいつもこうなの? すぐにふらっと一人で消えて、勝手なことばかりして! もうママ、こういうのうんざり。汐音にはうんざり。どうして洵みたいにちゃんとできないの」
悲しみが舞い降りてきて目を伏せた。
……それはね、ママ。わたしが洵じゃないからだよ。
靴もズボンも泥だらけで、色が変わってしまっていた。
わたしが一番知りたいのだった。
どうしてわたしは洵ではないのか。
どうしてわたしは一人なのか。
「……洵は?」
やっとそれだけ、わたしは言った。
「上にいるわよ、更衣室」
我に返ったように、ママはわたしを解放した。
あれ? と思う。
「謝りたいんだけど」
たちまちママの眉間に皺が寄る。
「謝るならまずママでしょう。また警察に連絡するところだったのよ。何度謝られたって足りないわ」
「……洵、六級どうだったの?」
ママはため息をついて、大きく首を横に振った。
「もう、全然だめ。エレメンツがどれもだめだったから、フリーはやめたらって言ったんだけど聞かなくて。結局ジャンプ全部シングルになっちゃって、スピンもボロボロ。滑り切ったのはえらいけど、いくら何でも調子が悪すぎたわ。あなたが急にいなくなるからじゃないの」
フリーの前に、私のところに来て、汐音は? ってすごく真剣に探してたんだから。あんな不安そうな洵、見たことなかったわよ。
心臓がどくんと鳴った。
……もしかして、洵は言ってない。ママにも、誰にも。
がこん、がこん、という不自然な足音に振り返る。地上をエッジガード越しに歩く、スケート靴特有の音。
ゆっくりと、洵が階段を降りてきた。
青いベロアのジャケット。レミゼの衣装からまだ着替えていない。
据わった目付きで、一直線にわたしを見る。
血の気のまるで感じられない白い顔。無言で近付いてくる。
もうこれ以上はという距離で、洵は手を振りかざした。
殴られると思って、反射的に目をつぶった。
けど、洵が手を伸ばしたのは、わたしが肩に背負っているシューズバッグの紐だった。
「着替えろよ。七級、もう始まってる」
今までで一番低い声で、洵は言った。ありったけの力が、紐越しに伝わってくる。
「……何言ってんの? 出ないよ」
「今からでも間に合う」
「じゃあ、靴を返して」
「……返して?」
洵は鼻で笑った。
嫌な笑い方だと思った。
洵はこんな風には笑わない。笑わなかったはずなのに。
もう、わたし達の目線は水平じゃなかった。
ほんのわずか、でも確実に、洵はわたしを見下ろしていた。
もうずっとこうなのだろう。
差異を抱えたまま、一生。
「おれはやったんだ。お前だけ逃げるなんて許さないからな」
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