第28話 分身

「霧崎、汐音ちゃんですよね」


 声をかけられ、無言で顔を上げる。

 スケートママと思しき三人の中年女性が連なって通路に立っている。全員黒のモンクレールのダウンを着て、化粧が濃くて、似たような風貌をしていた。

 ママは、あら、どうも、と即座に膝掛けをどけて立ち上がる。……知り合いなのかもしれない。


「スプリングカップ優勝、おめでとうございます。トリプルアクセルもすごかったし、ルッツ・ループのトリプルトリプルもすごくて。うちの娘、目の前で見てすっごく感動してました」

「まあ、そんな。あの時は本当にたまたま調子が良かったみたいで。……ほら、汐音。見てくださったんですってよ。ちゃんと御礼を言いなさい」

「……どうも」

 座ったまま、目だけで会釈する。

 ママの言うことはあながち間違ってはいなかった。

 わたしのジャンプは天次第。光さえ見えれば、何だって飛べる。


「もう、クワドも降りてるとか」

 探るような目つきで、後ろにいた別のスケートママが口を開いた。

 ……どこから漏れるんだろう、そういう情報。ため息が出る。


「わたし、もうスケートやめたんで」

 吐き捨てると、おばさん達は一斉に目を丸くした。

 すかさずママに肩をばしっと叩かれる。


「いいかげんにしなさい。いつまで子供のつもりなの。恥ずかしいでしょう。……すみません、最近ちょっとで」

 ママはおどけた風に両手の人差し指で角を作り、鬼のジェスチャーをして見せる。

 無害な笑いが漏れる。


「そういうお年頃よねえ。うちもそうよ。やめるとかやめないとかコロコロ。振り回される方は堪ったもんじゃないわよ。……でも、滑るのが一番大変なのよね」


 わたしはそっぽを向いた。

 視線の先にはリンク。五級の演技テストの真っ最中で、高校生の女の子がロミオとジュリエットの音楽で滑っている。


「……すみません、息子の出番が近付いているので、そろそろ」

「あら、弟さんこれから? 六級?」

「ええ。でも、兄なんです。双子の」

「まあ、双子のごきょうだいでスケートを」


 今だ、とわたしは立ち上がる。


「ママ、わたしトイレ行ってくる」

 ママはいぶかしげに眉をひそめた。

「今? もうすぐ洵出てくるわよ」

「すぐ戻る」

「バッグ、置いていきなさい。重いでしょう」

「ううん、持ってく」

 シューズバッグを抱きかかえ、そそくさと前を通り過ぎようとすると、クワドに言及したおばさんがぼそりと呟いた。


流石さすがね。靴はスケーターの分身ですもの」


 なかなか鋭いな、と思う。

 ……だから、誰にも預けちゃだめだ。


 ママが、あら、そんなたいしたものじゃないですよ、ほんと何も考えてなくて、と言うと、おばさん達はまあ、とか言ってけらけら笑っていた。

 わたしは扉を開け、ゲートからロビーへ抜け出した。

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