第24話 死臭
「ちょっと待ってよ、汐音。ていうかそれ返して、ねえ」
脇目も振らず、指導室へとずんずん歩いた。
すぐ後ろから可憐が付いてくるけど、足は止まらない。
わたしは、ノックもせずに指導室のドアを乱暴に開けた。
「先生」
つかつかと机に向かい、封の切れたタンポンをバシンと叩き付けた。
「おかしいんじゃないですか。こんなのあそこに入れてテスト受けろだなんて」
一瞬、美優先生はぎょっと目を見開いた。
でも、すぐに落ち着いた動作でそれを手のひらに回収すると、冷静な目でわたしを見上げた。
「声が大きい。それから、入る前はノックをしなさい。……可憐ちゃん、ドアを閉めてきて」
いつになく確かな威厳を感じた。
先生は脚を組んだままくるりと椅子を回すと、わたし達と向き合った。
「……だから、今回は見送ったらって私は言ってるのよ」
振り返って可憐を見ると、うつむいたまま唇を噛んでいた。
先生はふうとため息をつく。どうしても七級に合格したいという可憐の焦りを、先生は理解している。
「分かるわよ、汐音ちゃんの言いたいことだって。……こんなの、最初はみんな怖いもの」
けど、わたしのことは分かってない。
わたしが言いたいのは全然そんなことじゃない。
それなのに、わたしはすぐに言葉を継げない。
美優先生はゆっくりわたしと可憐を交互に見てから、目を伏せた。長い睫毛が涼やかな目元に影を落とす。すっと通った鼻筋。
……この人は美人だ。
「でも、逃れられないものなのよ。女に生まれた以上、うまく付き合ってかなきゃいけないの。もう少し大人になれば、薬でコントロールすることもできるから」
言葉を選ぶように、ゆっくりと先生は言った。
「先生は、どうしてたんですか」
唐突に可憐が抑揚の無い声で訊いた。
先生の目にかすかな動揺の色が走る。
少し迷うそぶりを見せた後、思い切ったように口を開いた。
「シーズン中、生理が来たことは一度も無かったわ」
可憐が小さく息を呑む。
わたしは反射的に、いいなそれ、と口に出していた。
たちまち美優先生の眉間に皺が寄った。
「ちっともいいことなんかじゃないわよ」
「どうしてですか」
「病気だからよ」
まるで宣告するように、先生は言った。
沈黙が降りる。
リンクからスケーティングの音が断続的に聞こえてくる。
あの不細工な、氷を削る音は混じっていない。
洵は、まだ氷に上がっていない。
「……私はね」
静かに、先生は切り出した。
「今も痩せてるけど、昔はもっと痩せてたの。この通り背は高いし、ジャンプも得意じゃなかったから、もう一グラムも重くなりたくなくて、水ばかり飲んでたのよ。……そうしたら、ついにはものが食べられなくなった。摂食障害っていう病気よ。半年入院して、回復まで更に一年。復帰してからも、昔のようには滑れなくてね。スケートをやめたのも大学を中退したのも、そのせいなの」
先生は一度深く息を吐いた。
初めて聞く話だった。わたしも、可憐も。
「女性がスポーツで高みを目指すのは、本当に厳しいことよ。でも、私達は生理を無いものにはできない。付き合っていかなければならないのよ」
寂しげな微笑みに、かすかに甘い腐臭が鼻をかすめる。
「……自分の身体だもの。仕組みを呪わずにいたいわよね」
喉の奥がつんとなった。
目を見開く。
骨と皮だけの身体に黒いレオタードを纏った、ポニーテールの女の子が、先生の真後ろに立っている。
ビー玉のような、うつろな目をして。
――シオリ。
どうして、ここにいるの。
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