翌日読んでもらいたい、ちっともささやかじゃない後書き

 「氷上のシヴァ」をお読みいただき、ありがとうございました。


 この小説は、2019年、第32回小説すばる新人賞で二次選考を通過し、三次選考で落選した作品です。


 これを書き終えた時、いや、書いている時からずっと、私は絶対にこの小説でデビューする、これで人生を変える、と本気で思っていました。

 なぜなら、体力、精神力、時間。文字通り自分の持ちうるものを全て。魂を注ぎ込んだ小説だからです。


 でも考えてみれば、新人賞に応募される小説なんて、ほぼ全てが「魂を注ぎ込んだ」ものであるわけで、そんなことが私が受賞する必然性になりえないのは、火を見るより明らかでした。


 それなのにどうしてそう思えたかというと、私はこの小説によって自分のオリジナリティを見つけたという、明確な手応えを得たからです。


 私は「氷上のシヴァ」を書くまで、自分のオリジナリティというものを信じることができませんでした。


 それまで書いて応募し、一次で落選した小説は全て、誰かの真似事であり、どこかで聞いた言葉をなぞったものであり、ダイレクトにパクリなものすらあり、一番救いようがないのは「自分で何を書いているのか分からない」ということでした。

 要は、「それっぽいことを言っておけば、誰かが何かを感じてくれて、掬い上げてくれる」という他力本願です。

 小説を書く振りをして、私は言葉に寄りかかっていただけでした。


 だから今作は、まず何よりも「自力」で行こう。

 外から探してきたものを中から生み出したかのように飾り立てるのはやめよう。

 言葉はアクセサリーではない。

 言葉は他者。

 寄りかかるのをやめ、ロープを投げる距離を極限まで見極めなければ、手中に収めることはできない。


 そうして、言葉との丁々発止ちょうちょうはっしに明け暮れ、締め切り前日に書き上げたのが、この小説でした。


 落選というそびえ立つ事実を目の前にしてなお、この小説に書かれてあることは、他の誰にも書けないという自負があります。

 特に第一章と第五章に関しては、無限に値段を吊り上げられます。(交換価値を拒否する、という意味においてですが)

 「氷上のシヴァ」のような小説はどこにもありません。


 しかし、言葉は宇宙の限界でもあります。

 馴致じゅんちすることなどできません。

 縄を掛けようとすれば、境界は逃げ去っていく。

 なぜなら、「逃れていく」という他者性こそが、言葉の本質だからです。

 私はそれをあなどっていました。


 だから書き上がってみれば、何ということでしょう、やはり「自分で何を書いているのか分からないもの」が出来上がっているではありませんか!


 この小説は破綻はたんしています。

 特に、第五章に関しては支離滅裂とすら言えます。

 この小説について何かを語るのは難しい。

 危険とすら言えるかもしれません。


 「氷上のシヴァ」が完成した時、最初に読んでくれた夫が開口一番発した言葉は、

「『これが私の答えだ!』と言って叩きつけたものを、あなたは手中に回収している」

 というものでした。


 その通りだと思います。

 この小説は「叩きつけ」が成立していない。

 何よりの敗因です。


 ですが、哀しいかな、ほくそ笑んでいる自分がいます。

 哲学というか美学というか、信念とでもいえばいいのか、私の最もコアの部分が「それでいいのだ」と言っています。

 ドンと腰を据えて。


 小説は生き物です。

 生き物の定義は数あれど、最も重要なのは「閉じている」ことです。

 繋がりと統一が内側で成立していなければ、有機的にはなりえません。

 有機構造の「生成」こそが、小説を書くということ。


 この確信が、私が「氷上のシヴァ」で獲得したオリジナリティであり、アイデンティティかもしれません。


 そして、閉じてなおほつれ出す破れ目の隙間から現れる他者。

 その具現化が、刀麻とうまです。


 「芝浦刀麻しばうらとうまとは何者なのか?」


 読者の数だけ答えはあるのでしょうが、作者としての答えは「他者」です。


 書きながらだんだん、私は刀麻に会ったことがあるんじゃないか、と本気で思うようになりました。

 スケートが誰よりも上手で、氷神というあだ名にすらんでいる、妖精みたいな男の子。

 かつて人生の時間の一部を共に過ごし、私の何かを確実に救い、そして奪い、忘却の彼方へと消えていった


 「そういう誰かがいたとしたら」という仮定は、やがて「そういう誰かにもう一度会うためには」という妄執もうしゅうへと変化していきました。

 屏風びょうぶの中のトラをどうやって外に出すか、という話です。

 虚無であり、空白であり、幻想ですが。


 刀麻を外に出すために、私は「銀盤」というトリックを生み出しました。


 「銀盤」という言葉が存在しない世界を作り上げ、そこに放り込むことで、刀麻を「こちら側の存在」ということにする。


 この小説に、刀麻が語り手として存在しえないのは、彼が「あちら側の存在」ではないからです。


 刀麻は「こちら側」の人間のだから、もはや「あちら側」の言葉で物語を語ることはできない。


 彼は「銀盤」という「こちら側」の世界にとっては当たり前のスケートリンクの美称を知っている。

 しかし、「氷上のシヴァ」の世界には、「銀盤」という言葉が存在しない。


 「あちら側」の世界の人間にとってもまた、刀麻は宇宙の境界からやって来る「他者」なのです。


 矛盾するようですが、この小説はまだ「閉じて」いません。

 なぜなら、私はまだ刀麻の回収に成功していない。

 刀麻は今もなお、「氷上のシヴァ」の世界に浮遊しています。

 刀麻が一人称視点を獲得し、語り出した時に初めて、私は本当の他者の生成に成功するのだと思います。

 文字通り、錬金術ですが。


 私は彼を取り戻さなければいけない。

 私の世界へ。こちら側へ。

 屏風のトラを外に出す闘いは、今も続いています。


 刀麻との出会いが、読者の皆さんにとってどのようなものであったのか。

 是非聞いてみたいという気持ちでいっぱいです。

 それは、文字通り「宇宙」と「宇宙」の邂逅かいこう

 一つとして同じものは無いでしょう。


 ここまで読んでくださった全ての読者の皆様に、改めてお礼を申し上げます。

 ★評価、レビュー、コメント等いただけたら幸いです。


 本当にありがとうございました。



 2020.07.11 天上杏

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