第33話 Phantasm

 しかし、合宿にもトーマの姿は無かった。


「芝浦? 夏休み中は北海道に帰るって、浪恵なみえ先生が言ってたよ。あいつ調子悪そうだったからなあ。クワドも決まらなくなってたし、スランプかもね。まあ、二学期には戻ると思うけど……」

 

 戻るわけないだろう。

 悠長な洸一こういちさんに、苛立ちを覚えた。

 あれだけ一緒にいたのに、気付かないのか? 

 あいつが死にかけてるってことに。



 俺は山崎に電話を掛けた。

 何度掛けても出ず、繋がったのは夜。


「山崎、知ってるんだろ。あいつの居場所。このままだとあいつは死ぬよ」


 山崎の声はこの上なく冷たい。

「何言ってるの、霧崎君。死ぬって誰の話? 誰が死のうと私はこの曲を作り上げるだけ。話ってそれ? 忙しいから切る」


 一方的に切られ、俺は憮然ぶぜんとした。

 やはりリンクサイドでのことを怒っている。

 それにしても、山崎の薄情には血の気が引く。

 誰が死のうとって、お前の彼氏じゃないのか。


 白昼夢と戯れるように目を閉じ、架空の鍵盤を叩く姿が脳裏をぎる。

 そこだけ別の宇宙に接続しているように時間が止まって見えた。

 山崎はトーマという存在より、音楽そのものに取りかれているみたいだ。



 朝霞あさか先生は、あからさまに俺を避けていた。

 それでも、リンクにいると少し離れた所から、恨めしそうな目で俺を見ているのが鏡越しに分かった。


 あなたのせいよ。

 視線が、そう言っているような気がした。


『そうよ、アニキのせい。みーんな、アニキのせいなんだから。嘘吐き。氷の上で正直になれない人間には、クワドなんて一生手が届かない』


 うるさい。

 いなくなったお前の声なんか聞きたくない。

 一人だけ急に死んで、こんな風に声だけ残して。幽霊よりタチが悪いんだよ。

 何が、トリプルアクセルは神様からの贈り物だ。

 贈られなきゃ手に入らないジャンプなんか、俺は要らない。


 氷上リハビリで、右足の感覚は元に戻りつつあった。

 現にこうして、合宿中にトリプルを全種揃えることができた。


 だが、四回転。

 一度掴んだはずのイメージが、消え失せていた。

 どんなに強く心の奥へと呼びかけても、輪郭すら立ち上がらない。

 あんなに鮮やかに焼き付いていた残像。


 まるで鏡の無限回廊へと飛び去ってしまったかのように、気配すら残っていなかった。

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