第28話 Humanity

 俺は相変わらず四回転が決まらない。


 転びすぎて、ついには下半身全体の感覚が鈍くなってきた。


「慣れてんじゃないぞ!」

 岩瀬先生の怒号が飛ぶ。


「もっと身体を締めろ! 内腿うちももまで締めろ」


 痛みは、いつしかしびれとなって俺の脚にへばり付く。

 重力が俺を地上へと縛る。

 鬱陶うっとうしい。離せ。


 んじゃない。

 俺は、たいんだ。


 すがり付く一切を振り切るように踏み切り、離氷。


 一、二、三、四回転。

 足元に閃光が走る。

 回った、と思った。


 しかし、着氷と同時に足首が捻れた。

 けんに嫌な痛みが走り、怪我をしたと直感した。

 トウピックが氷に突き刺さり、先の軌道へと抜けられなかったのだ。


 歩けることには歩けたが、どんどん足首が腫れてきて靴を履いていられなくなった。

 真っ赤な痛みが身体を支配し、青ざめるすきも無い。


 すぐに練習を中断して、病院へ向かった。

 診断は捻挫ねんざ。全治三週間。

 精密検査のため、大学病院のスポーツ整形外科に紹介状を書いてもらった。


『痛いのと怖いのは違う』

 自分の言葉が、牙をいて返ってきた。

 せめぎ合いが皮膚の下で渦を巻く。


 痛いのは、怖い。

 軽い捻挫でよかったなんて喜べないほど、こんなにも怖い。

 あと少しひねり方が悪ければ、氷に腱を持って行かれていたかもしれない。


 滑落かつらくのイメージが、時間差で自分の身に重なる。

 奥歯が震えた。



 帰途、ハンドルを握ったまま岩瀬先生は呟くように言った。

「ジャンプは跳躍であって、飛翔ではない。俺達に翼は無いんだ。……だが、四回転。確かに回りきっていた。よく降りた」


 心象風景を読まれていた。

 無性に泣きたい気持ちだった。


「……着氷に失敗したジャンプは、降りたとは言いません」

「次は、本当に降りればいい」


 翼が欲しい。

 あなたは、欲しいと思ったことは無いのか。


「……無いと言えば嘘になるな。だが本当に欲しかったのは、スケートを永遠に続けられる身体だ」


 そうだ。

 この人は怪我で引退を余儀なくされたんだった。

 それも、キャリアのピークの真っ只中で。


 スケートを奪われたら、俺は何を支えに生きていけばいいのか。

 いや、違う。

 何を、生きればいいのか。


 そんな可能性も未来も、すぐ側で暗い口を開けて待ち構えているのに、その肉薄にくはくに少しでも考えを及ばせると、思考は一瞬でブラックアウトする。


 手放したくない。

 俺は、スケートを。

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