第25話 僕はスケートをやめない

 風に、背中を押された。


 そこは、広かった。

 眼下に180度広がった、氷と僕だけの世界。

 真っ白な、僕だけの世界。


 ……ここだったんだね。

 やっと見つけた。

 ずっとここに、シバちゃんはいたんだね。

 こんな世界を、シバちゃんは見ていたんだ。

 ずっとこうだと、きっと寂しかっただろうね。


 ……だけど、今の僕には、この孤独な景色がすごく心地いい。


 最後の追い上げが、そろそろ来るはずだ。

 伸びろ、僕のストライド。

 脚よ、動け。

 絶対に逃げ切るんだ。


 ……来ない。

 スラップの音が聞こえない。

 シバちゃんが来ない。

 直線、終わっちゃうぞ。


 あと一歩、二歩、三歩。


 ……最後までシバちゃんは来なかった。

 先にゴールラインを切ったのは、僕だった。


 電光掲示板に僕のタイムが、続いてシバちゃんのタイムが表示された。


 1分21秒32。

 1分24秒16。

 アナウンスが後に続く。


 本当に、僕は勝ったんだ。


 僕は、両手を高く挙げていた。

 いつぶりかも分からないほど久しぶりの、ガッツポーズだった。


 後ろを振り返ると、フードを外してサングラスを上げたシバちゃんが、息を切らして腰に手を当てたまま、青空の下、くしゃくしゃの笑顔で僕を見上げていた。


「オギちゃん、速いな! 俺、ラスト全然ついて行けなかった」


 そんなことない、と言いかけてやめた。

 シバちゃんのタイムは予選よりもずっと遅かったから。

 きっとこれでは、全国は無理だろう。


 でも、シバちゃんの顔は見たことのないくらい晴れやかだった。

 僕らはまだスピードの乗ったままのブレードに身を任せていた。

 二秒半離れた差は、また少しずつ縮まっていた。

 二秒、一秒半、一秒。


「……俺さ、自分はもうダメなんだと思ってた。けど、全然そんなこと無かった。俺、生きてる。死なないためには、生まれ変わっていくしかないんだな。……また、スケートで命を繋いだよ」


 そして、シバちゃんは隣に並ぶと同時に、僕の肩を抱き寄せ、耳元でこう言った。


「オギちゃん、スケート、やめるなよ」


 僕の目から涙が溢れ出した。

 涙は止まらなくて、僕はブレードに乗ったまま嗚咽していた。

 シバちゃんはずっと僕のことを抱いていてくれた。


 人目もはばからず泣きじゃくる僕を見て、皆はどう思ったんだろう? 

 大舞台で記録を更新できて嬉しい? 

 憧れてたライバルに勝てて嬉しい? 


 ……違うよ。どれも、全然違う。

 僕がスケートを続ける理由は、そんなことじゃ全然無いんだよ。


「やめるな」って、僕が言った言葉だったっけ。

すっかり忘れてたな。


シバちゃん、ありがとう。

僕、スケートやめないよ。


(第四章 終)

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