第19話 雲をも掴むスケーター

「青、コースから出て下さい」


 無慈悲なアナウンスが流れる。

 放心状態のまま、シバちゃんはふらふらとレーンから出た。


 ピストルの音がパン、と鳴り響く。

 九組目のレースは、シバちゃん抜きで再開された。


「シバ! てめえ、ふざけんな! 何のために俺が500mに賭けたと思ってる、お前、何のために……」

 戻ってきたシバちゃんにエイちゃんが掴みかかった。


「船木、やめろ」

 濱田先生がエイちゃんを押さえる。

 が、エイちゃんは止まらない。顔を真っ赤にして、唾を飛ばす。


「俺は皆の前でお前より俺の方が速いって示さなきゃなんねーんだ! じゃないと俺は堂々と赤檮に行けねーんだよ! なのにお前、よくも……!」


「……ごめん。エイジ、本当にごめん」

 シバちゃんはうなだれて、ウェアのまま雪の地面に座り込んだ。

 首から頭がもげてしまいそうなほど下を向いていて、顔は全く見えない。

 くしゃくしゃに歪んでいるのか、泣いているのか。

 シバちゃんは感情の一切の色を僕たちに見せまいとしているようだった。


 エイちゃんは全く怒りが収まらず、濱田先生に取り押さえられたまま、クソッとリンクの仕切りの壁を蹴った。

 レースが終わり、僕らの騒ぎは周囲の注目を集めていた。

 中地から審判が目を光らせているのを感じる。

 ……これ以上はまずい。


「エイちゃん落ち着いて。失格で一番落ち込んでるのは、シバちゃんだよ。……本当は、エイちゃんだって分かってるんでしょ」

 エイちゃんは荒い息のまま、僕を鋭い目で睨んだ。

 僕は背筋がぶるっとした。

 ヒョウか何かの猛獣に睨まれたらこんな感じなんだろう。


 ……だけど、ここで引いちゃダメだ。

 僕は一度深呼吸をして、冷静さを装い、思い切って真っ直ぐエイちゃんを見返した。


「皆の前で示したいなら、エイちゃんにはまだ決勝が残ってる。明日、結果を出せばいい。タイムに文句を付ける奴なんて、この世界にはいないよ。ちがう?」


 エイちゃんは答えなかった。

 けれど、ふいっと目を逸らし、身体からは力が抜け、濱田先生は自然に羽交い締めを解いた。

 僕はシバちゃんのエナメルバッグからジャケットを取り出して、シバちゃんの肩に掛けた。

 シバちゃんの肩が、わずかに動いた。


「……シバちゃんは、まだ1000mがある。僕も1000mに出るんだ。まだ、終わってない。また明日、滑れるよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る