第15話 Siva


「……なるほどね。最近音の作り方ばかり聞いてくると思ったら、こういう方向で来たか」


 去年までクラシック然とした小品を作っていたことを考えれば、ジャンルがまるで違う。披露するのは勇気が要った。


「変でしょうか」

 私が訊くと、大野先生はシーケンスの羅列同然の楽譜を睨みながら、いや、と首を横に振った。


「別に変じゃないよ。流行りのEDMにエッジをきかせた感じで、感心してる。プログレッシブハウス、や、このテンポならトランスか。……でも里紗ちゃん、これでコンクールに出るつもり?」


 鋭い目を向けられ、私は固まった。

 何のために曲を作るのか。どうしてレッスンを受けるのか。

 意味付けの象徴だったコンクール。

 完全に、頭から飛んでいた。


「膨らませたり変奏したりもしてるけど、メインテーマはたった二小節だよね。他のフレーズも殆どそう。同じコードの上で、二小節の足し引きで層を作って、ビートの組み替えで展開する。これじゃあミニマルミュージックだよ。これを舞台で弾いても、君の教養や技術は何も伝わらない」

 先生はばさっと楽譜を広げて天井を仰いだ。


 教養や技術。

 ついこの間まで至上命題だったものが転げ落ち、崖の下で粉々になっていた。

 私は透明な怪物と並んで、崖の上からそれらを見ている。

 別に、くだらないってわけじゃない。

 ただ、今の私は。


「……分かってました。でも、こうするしかなくて。だから、こう作ったんです」

 口に出すと、自供みたいだと思う。

 先生はしばらく私を楽器越しに見ていたけど、やがて意味深に、ふーんと言った。


「タイトルは、『Siva』か。ヒンズー教の神様だね。なぜこんな名前を?」

「氷上の音楽を作りたかったんです。……ゲームで、シヴァっていうモンスターが氷の魔法を使うのが印象に残っていて」


「ああ、FF? シヴァって、氷の神様じゃないよ。あのイメージ強すぎるからみんなそう思ってるけど」

 淡々とした突っ込みに、私は呆然とした。

 どうしよう。シヴァって、氷の神様じゃなかったんだ。

 とーまにぴったりだと思って付けたのに。

 ショックで言葉を失っている私に、先生はくすりと笑った。


「……でも、いいんじゃないか。シヴァは破壊と創造の神。古きを壊し、新しきを創る。この曲に合ってると思うよ」

 一気に目の前が明るくなった。

 私の直感は間違ってない。


「よかった! 実はこの曲で、フィギュアスケーターが滑ることになってるんです」

 浮き立ちながら言った途端、先生の顔から笑みが消えた。


「これを、フィギュアの選手が大会で使うってこと?」

「はい」

 頷くと、先生の顔は更に険しくなった。


「里紗ちゃん。それやったら、失格になるよ。コンクールの応募条件は未発表曲。悪いことは言わない。今からでも中止すべきだ」

「中止って!」

 思わずガタンと立ち上がる。


「そんなことできません。もう振り付けして滑ってます」

「じゃあ、コンクールは諦めるの? 君はそのスケーターのために、犠牲になるってわけ?」


 犠牲。

 はたと立ち止まる。フィヨルドの断崖だんがい

 腰掛けて足を投げ出す、黒いまん丸の瞳としばし見つめ合う。

 私が、とーまの? 

 まさかね。

 そっと口を開いた。


「……考えてもみませんでした。実は、この曲まだ完成してなくて。本当に完成するには、氷上で彼が飛んで、回って、駆け抜けて……音、風、飛沫、湿度。その全てが必要なんです。だから私自身、まだ真の姿を知りません。私はそれを見届けたい。……すごく、ワガママだと思うんですけど」


 先生はしばらく呆れたように私を見つめていたが、急に吹き出した。

 なんだろう。私は不審に思った。

 こんな開けっぴろげに笑う先生、初めて見る。

 先生はふと真顔に戻って、ぽつりと言った。


「ワガママっていうより、若気の至りだと俺は思うけどね。けどまあ、今回はこの方向で行ったらどう。少し前より、今の里紗ちゃんの方がずっと音楽家らしいと思うよ」


 今、人生で一番、音がきらめいていると感じる。

 なのに、時計の音は、鍵盤の階段を執拗に追ってくる。

 何かの終わりを告げる音。

 遮っても遮っても、私の足元へと近付くのをやめない。

 ホワイトホール。

 このきらめきを、早くゲートの向こうに届けなきゃ。


 完璧に逃がす。

 怪物は、多分そのために生まれた。

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