約束 Chapter 9





Chapter 9


 ようやく馬車が止まった。馬の鼻息が聞こえてくる。四頭分の鼻息も、重なると小さな汽車のようだ。御者が馬をなだめて、縄で馬を押さえる作業の音が聞こえてくる。


「ついたんですかね」

 とアランが声にする。

 誰も返事をしなかった。アランの声は、まるで無かったみたいに、空中に記憶されずに消えていった。


 白明もハルカも御者が来るまで動かない。それは疲れているからなのか、緊張しているからなのか。白明は木箱に手を置く。そして少し傾けてみると、ゴトリ、と重たい壺の音がした。まだ壺は無事なようだ。


 御者が客車の方まで来る足音が、ザッザッと聞こえてくる。


 白明は鍵をはずし、扉をあけて、外へ出ようとした。しかし椅子から腰を上げたまま、動けない状況となった。

 自分に、銃口が向いていた。

 御者に動きを封じられたのだ。


「ゆっくり降りろ、全員だ」

 御者が二丁の銃をそれぞれ、白明、ハルカに向けて、言い放つ。

 御者は少しずつ後退して見守るなか、白明が降りる。そして、ハルカが白明に壺を渡して、自分も降りようとすると、


「壺は中だ、中に置いておけ」と御者は銃を振って言った。「その壺は、俺のだからな。それと、三人とも、手を耳につけろ。変な動きをしたら、即刻撃つ。手を動かすな、特にお前だ、護衛野郎。腕がいいのは知ってっからな、油断はしねえ。そうやって耳につけたまま。少しでも離したら撃つからな」


 アランが降りる。ハルカも「ホッ」と小さく声を上げながら、客車から飛び降りた。そして、御者の指示通り扉を閉める。それから彼は白明に銃を捨てるように指示する。


 白明はそれに従って、肩からかけたホルスターに収まった銃をぬき、御者が「遠くへ捨てろ」、と言ったので、できるだけ遠くに放り投げる。

 御者の男は、三人に銃口を向けたまま、回り込んで、再び御者台へ戻った。


「壺はいただく」彼は野太い声で張り上げるように言う。「これで一生過ごせるからな」


 そして、鞭を振り上げ、今に出発しようとした瞬間だった。


 彼の頭がなくなった。

 少ししてからくぐもった銃声が聞こえてくる。

 それによって、御者の頭が銃弾によって吹き飛ばされたのだと、白明は気づく。アランは、それを見て気絶した。ハルカは無事だった。


 無事だったどころか彼女は、突然白明の背後へ移動して、彼の腕を後ろへ回して固めて、

「寝転んで」

 と指示すると、従った白明の両腕を縄で縛った。


 それから彼女は気を失って倒れているアランにも同じ措置をほどこす。

「どういうこと?」

 白明が聞く。

「ちょっと待っててね、仲間が来るから」

 とハルカは答えた。そして彼女は、アランのカバンを漁って、そこから飲み込むと姿を消せるガラス玉をいくつか取り出した。


「実はね、最初っから壺が目当てだったの」


 彼女は言った。そしてハルカは白明とアランを紐で結んで動きづらくしたり、馬車に壺を取りに行ったりした。

 そうこうしているうちに、遠く向こうから馬の走ってくる音が聞こえてきた。ハルカの仲間が来たのだ。彼女は、ほらねといった風に白明へ流し目をする。白明は腕を使わず、自力で起き上がって、座っていた。


 やってきたハルカの仲間は、彼女と同じような女の子だった。ハルカは彼女の方へ歩き始める。


「あの時は、」

 とハルカは、白明から遠ざかりながら言う。「助けてくれてありがとう」


 ハルカは仲間のところまで行くと、彼女に何やら少しの説明をして、ガラス玉を渡した。彼女の仲間はそれを飲み込む。すると、姿が見えなくなった。ハルカはその後、姿が消えた仲間の乗る馬にもガラス玉を飲ませる。馬の姿も来て、仲間なんて来ていないようになった。


 そしてハルカ自身もガラス玉を飲み込む。すると姿も消えた。彼女の服や、持っている壺ごと消えるのだ。それからハルカも馬に乗ったのか、舞い上がる砂だけが一瞬確認でき、それからすぐに、パカラ、パカラッ、と馬が遠ざかっていくのが音によって分かった。足跡も見えていたのだが、すぐに離れすぎてそれも分からなくなった。


 白明は、薄暗い紺色の夕暮れの荒野の真ん中に、気を失っている少年と二人、置いてけぼりにされた。街なんてどこにも見当りもしない。食料も飲み水もない。そのうえ白明は、ワイシャツだけを着ていて、とても寒い思いをした。どうにかアランを使って暖をとろうとしたが、それは石のように何の役にも立たなかった。




 手首に結ばれた縄同士が、アランとつなげられているのだが、絶えずそれを引っ張ったり広げたりしていると、見事白明はアランからはがれ自由になった。それから自分の手首の縄も、ギシギシ広げたり、回したりしていると、一番星が出る頃にようやく縄から手を抜くことができた。両手が自由になった白明はアランの縄もとく。アランはその頃には気絶をしているというより、眠っているといった感じで、いびきをかいていた。


 白明は彼を起こす。目を覚ましたアランは、頭を吹き飛ばされている御者を見て、また気を失う。

 馬たちもすっかり体を下ろして休んでいる。

 星がいくつも輝き、月も黄色く明るい。

 途方に暮れた白明は、馬車を自分で動かせるかどうか考えたが、何だか馬がかわいそうに思える。ここではないどこか、水があったり、雨風が防げる場所だったりを探そうとも思うが、如何せん疲れており、さらにアランも目を覚さないので、結局白明は何もせずに座っていた。


 そしてついに空の端に残っていた、最後の明かりが消えて、完全な夜を迎えた。


 すると変わったことが起こり始めた。


 寒さに耐えきれず、眠ってしまおうかと、アランの隣に座り込み体の筋肉を弛緩させていた白明の目の前に、突然ポコポコと白い煙が、何もない空中に浮かび始めたのだ。

 煙はだんだんその量を増す。

 ポコポコ、ポコポコ。

 と、水のような音を鳴らす煙は、揺れて揺れて、ついに爆発的に発生した。


 あたり一面煙に覆われる。

 ゴホゴホと咳をする白明。


 ちょうどその時、風が吹いて、煙がいっせいに飛ばされた。


 それによって煙の発生原因が分かった。そこに、一人の女性が立っていたのだ。ちょうど二十歳かそれくらい。彼女は宙に浮いていた。ロッキングチェアーに寝転ぶような格好で浮いているのだった。


「んー」

 と彼女は腕を組んで、白明を見つめる。


 黒キャップ棒を目深にかぶって、ボブカットの黒髪を抑える。サイズとしては少し大きすぎるくらいの黒いパーカーを着て、素足を露出していた。ホットパンツを履いているのだろう。足には白いスニーカーを履いていた。


 しばらく白明のことを見ていた彼女は、その後ろに気を失っている少年アランがいるのを見つけ、彼を睨んだ。

 それから彼女は宙を滑るようにゆっくり移動して、アランのところまでくると音もなく着地した。


 そして彼の横に転がる袋を検分して、

「これ、返してもらうよ」

 と白明に許可を頼んだ。


 魔女の道具が入っている巾着袋だ。


 彼女は魔女だ。と白明は気づいた。アランが封印したと言っていた魔女である。確かめようと、魔女さんですかと彼女に聞くと、彼女はうなずいた。


「さん付けはいらないし、あたしはシリョンっていうの。シリョンって呼んでみな」

「シリョン……」


 シリョンには「さん付け」を許さない雰囲気があった。白明は危うく「さん」をつけそうになったが、キッとシリョンの冷たい視線に打たれ喉が固まった。


「よろしい」

 そう言ってシリョンは笑った。


 それから二人はいくらか楽しく会話を続けたのだが、シリョンは白明が敬語を使うたびに、指から魔法で黒い三角錐の物体を飛ばしては、彼の額にぶつけた。そのたびに白明は砕けた口調になおさなくてはならなかった。




「檻に入れられてたんじゃないの。五十年は出られないだろうって」


「それ、あたしがそいつについた嘘だよ。夜である場所はどこにだって行けんのよ、瞬間移動で……。それにこの紅茶だけは持ってかないでくれって言ったけど、ちゃんと持っていってくれた。これさえあれば、どこにいけばいいか匂いでわかる。だから持たせたのさ」


 彼女は言葉尻を弱めていくような喋り方だった。白明はそれにどこか哀愁をおぼえた。


 シリョンは周りを見渡して、なんでこんなところにいるか、と聞いた。

 白明は事情を説明した。短く端的に話そうとしたのだが、細々としたことをシリョンがその都度聞くので、途中からは長くなることを覚悟して話し続けた。そもそもの予定から、盗賊、御者、ハルカのことも話した。シリョンは頭のない御者を見て笑った。



「傑作だなこりゃ、あんたら一回死んだら終わりなんだろ、なんでこんなことするのさ」


「収入が必要だからね、どんな方法をもってしても。でも僕は、今回、結局のところ仕事はおじゃんだよ。収入も、これっぽっちさ」


 白明はポケットから最初にもらった着手金を出した。それも少なくはないのだが、多くはない。この仕事がうまくいっていればこの十倍もの報酬がもらえていたのだ。


 するとここでシリョンから提案があった。


「あたしのをあげようか」

「シリョンの?」

「うん。漢代のだろ。あたし一つ持ってるよ」

「……なぜ」

「昔知り合いだったからさ」


 軌仁堂漢代、彼は昔旅人だった。

 彼は世界中の国や地域を周って、様々な種類の土や、陶器の製法や技術を研究していた。当時二十歳の彼には旅の仲間が二人いたが、そのうちの一人がシリョンの昔の恋人である。


「つまり、そういった経緯で、完成した最初の彼の壺をもらったのさ。私は一緒に旅してたわけじゃないけど、よく彼の元へ飛んでいって、その度に会ってたし、仲間内で女の子はあたし一人だったからね」

「どのくらい旅して出来上がったんですか。……ああ、その壺は、出来上がったの?」

 白明は額にぶつけられた黒い物体を手で受け止めた。

「サマルェカダスってとこさ。幻の大地。リーダーも——ああ、あたしの恋人じゃない方ね——あいつも生粋の旅人だったけど、そのサマルェカダスを目指してたらしい」

「そんなところがあるんですね」

「うん」


 シリョンは敬語で答えた白明に指を向けたが、諦めた。そのあと彼女はその指を、今度は自分のこめかみに当てて、念じるように目を瞑って「んーー―」と唸った。


 すると水平に上げて用意していた彼女の掌の上に、すっと壺が現れた。


「はい」

 彼女はそれを白明に渡した。

「ありがと」

 彼は受け取る。

「それと」と空中で宙返りをして調子を整えたシリョンは言う。「チェッカの街まで行くんだね」

「うん」

「フフン」と砕けた様子の白明を見て彼女は嬉しそうにする。「連れてってやるよ。私が連れてくわけじゃないけどね」


 そう言って彼女は手を頭の割れた御者の方へ向けた。すると御者は、その割れた頭のままむくりと起き上がった。


「あいつがまた馬車を動かすから」

「そんなことできるんだね」

「ああ、生者の最後の記憶のいくらかは使うことができる」

「ありがとう」

「朝になったら動かなくなるからね」


 シリョンは忠告を与え、今度はアランを浮かせて、そのまま馬車の中に放り込んだ。そしてシリョンはその代わりに、と、一つの約束を白明と結ぶことにした。


「あたしはもう一度サマルェカダスに行きたいわけよ」

「うん」

「それでね、あたしを連れてって欲しいんだ。理由を言ってあげよう」


 シリョンは白明の手をとるとそのまま一緒に浮かせて、彼を地面から突き出た砂岩の一番上に座らせると、その彼の周りをふわふわ飛びながら説明をした。


「と言うのはね、あたしの記憶の中の百年分を盗んだ奴がそこにいるんだ。だから、取り返しに行かなきゃいけない。取り返したい。でも、魔女だけではいけない場所なんだ、どうしてもね。あたしたちってさ、昼間動けないし。なんかあの場所って、特別な何かをしないといけない場所なわけ。だからあんたに行ってもらいたい。まあ、いますぐじゃなくていいよ。当分はあたしにだってやることがあるし、その間は自由にしてもらっていいけど、……その時が来たら迎えに行くよ」


「ええ」

「わかった?」

「百年……でしか。その軌仁堂さんは」

「ああ、その頃からいたの」


 一体何歳なのかと白明がきくと、シリョンは「百五十と、一歳」と答えた。


「それとね、一つのまじないがあるんだ。この約束を結ぶにあたってのまじない。それとこのまじないさえすれば、あんたがどこにいたって、あたしはそこへとんでいける。いい?」

「うん。いいよ」

「それとさ、あんたの大切なもの一つ欲しいんだけど」

「まじないっぽいね」白明はやっと柔らかく微笑む。「本ならあるよ。馬車の中にある。読みかけの気に入っている本なんだ」

「いいね」


 馬車の方を見もしないで、白明の目を見たまま、シリョンは後ろへ手を伸ばして、本を引き寄せた。


 白明のなれない言葉遣いのかたさが、ようやくとれて来たことをシリョンが言うと、

「うん。まあね」

 と冴えない風に白明は答える。それに微笑んだシリョンは、

「じゃあいくよ」

 と静かに言うと、ゆっくり彼の方へ移動して、彼の顎を持ち上げ口づけをした。

 黄色い月の光を受けた二人の影が、水面に滴が落ちたように波打つ。シニョンはその波がおさまるのを待ってから口を離した。


「今のが……まじない」

「まあ、のろいとも言う」

 するとその時、


「それは魔女の口づけだぞ!」

 馬車の方から叫ぶ声がした。

「だめだよ白明君、呪われてしまう!」

 アランの声である。


 シニョンはカラカラと笑ってスッと闇夜に消えてしまった。岩の上に残された白明は静かになる頭の中で呆然としていた。扉を開けて駆け寄ろうとするアランだが、魔法のせいか、彼のドジのせいか、扉は開かなかった。


「大丈夫―?」

 窓から身を乗り出して、アランが聞く。白明は手を振って彼に応えた。


 気を取り戻すと彼は壺を持ち、馬車に乗る。すると馬車が走り出した。


 御者の正体はアランには内緒にしておくことにした。チェッカへつけばそれでいいのである。馬車は確実にチェッカへ向かっていた。夜の荒野の危険はとっくに通り過ぎていた。

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