おはじき初体験

 火の色や水の色、太陽の色などが、とりどりにふうじこめられた、おはじきやガラス玉。おはじきを初めて見たエクラは、それらを空に透かしてみるが、どれも透明な光をうけ、八方に光を発散する綺麗な輝きが見られた。


 一つ一つ、大きさはばらばら。うらうらとした陰な光り方をするものもあれば、きんきんとした鋭い光をはじくのもある。その身に色の命を秘める硝子の塊は、どれも指に乗るしっかりとした重さで、床に並んでいるときの宝物のような憧れとはべつに、指にのせたときはどこか心もとなさがあるが、その弱まるエネルギーは山のなかの細い小川の流れのように感じられた。落ちた青い笹の葉が一緒に流れるのである。

 目に沁みる日の光のつよい夏の日であった。



 エクラと色が今いるのは、海上団地の一室。

 昨日の夕方、二人はこの部屋に到着し、一晩泊めてもらったのだ。今ここを出てまた旅の日々へ戻ってもいいのだが、もう少しここにいるかもしれない。それくらい行き当たりばったりに訪れてしまった。

 二人をここへ連れてきたのは朱莉あかりといって、就職を控えた大学生の女の子である。そしてこの部屋の持ち主。


 朱莉は今晩の夕食のための買い物へ出かけている。久しぶりに知り合いに会うから、もしかしたら遅くなるかもしれない。彼女はそう言って部屋を出た。

 色は部屋にいる。読書か執筆でもしているのだろう。それが彼女の趣味である。

 エクラは畳部屋におはじきやガラス玉をばら撒いて、なにもせずに座っていた。


 外では走り回る明るい子どもの声がしている。エクラにはちょうど、水の中からの音のように、遠くに聞こえた。ふと、窓からの景色を眺める。高い位置にあるこの部屋からは、空と遠くの海しか見えないが、なにやら禍々しいパイプやタンクがその海に浮かんでいるのが見えた。巨大な機械。怪物のようだ。絶えず吐き出され続ける、灰色、黒色の煙、それと行き来するゴンドラやベルトコンベアー。そういった人工の怪物が、青い空を切っていた。

 あれは『希望の船』と呼ばれている。

 実際に船ではない。部分としては船もいくつかあるのだが、今やそれどころの大きさではないのだ。

 というのは、ここは海の真上であるが、ちょうどこの下の海底から、大量の海底資源が採れるのである。なので日夜、採掘船さいくつせんが行き来していたのだったが、一年前ついに政府はここに工場を作ってしまったのである。そして採掘と、粉砕ふんさい比重選別ひじゅうせんべつから精錬せいれんまで、全てをここで済ましてしまおうという算段で働き続ける怪物を作った。国土の狭いこの国ならではの判断である。


 そしてここで働く人のため近くに宿舎を建てることになったのだが、せっかくなら家族も近くに住めるようにということで、政府はさらにこの海上に団地を建てたのである。

 海上団地はそういう経緯で成り立った。



 エクラは爪でおはじきを叩く。カチンと冷たい音がする。

「これはね、おはじきっていうの」

 朱莉は巾着袋から出して教える。

「これがおもちゃか? 遊べなくね?」

 エクラがいうと朱莉と色に頬を膨らまして睨まれた。朱莉はもちろん、色もこの遊び方を知っているようだが、エクラは全く知らなかった。結局二人からこのおはじきの遊び方は教えてもらえず、エクラはつまんで眺めることしかできない。たしかに、置物としては綺麗である。が、おもちゃではない。


 エクラが朱莉あかりと知り合ったのはここではない。本土の街中にあるカフェでのことだった。ただ道中立ち寄っただけの街であるが、この街で色は、好きな小説家の作品の実写化映画があるというので、到着するや否や、その映画を二度も、三度も立て続けに観た。その間、暇になったエクラは、とりあえず見つけたカフェに入り、ラテを頼んで時間をつぶすことにした。


 エクラは席へ行く途中、店員に叱りつけているおじさんを見つけた。

 聞くと、それはいかにも不当な文句で、店員の女の子はそれでもただ謝るだけ。それだからおじさんの叱咤は好き放題だった。

 放っておけばいいものの、機嫌の悪くないときのエクラは、こういう場面で横から口を出してしまう。店員に代わって、エクラがおじさんに言い返した。そしてたちまち正論をもっておじさんを言いくるめ、気を悪くしたおじさんを帰らせたのだった。


 別に礼はいらない、くらいの気分でいたエクラだったが、そのあと彼はその店員の女の子に怒られることになった。


「なんでだよ」

 と、良い事をしたつもりでいたエクラは不機嫌になる。すると店員は言った。

「お客さんを一人失ってしまったじゃない」

「でも、」

「でもじゃないわ、もう来てくれなくなったらどうするのよ。あのね、あのおじさんは、ああやって鬱憤を晴らしに来てくれてるのだから、それはそれでいいのよ、叱らせておいたら。それだけで毎日来てくれるんだから」

「毎日ああやってんのか」

「そう」

「あいつ一人こなくなったくらい大丈夫なんじゃないの」

「大きな店だとね。でもこの店は一人の売り上げが店に大きく関わってくるからしょうがないのよ。でもこっちは給料もらってやってくらか、それくらいは面倒臭いも、怒られたくないも、なにもない。なんて事ないの」

「はあ……、そういうものかね。働くってそういう事なのか?」

「そうよ」

 その店員の女の子こそが朱莉だった。彼女はエクラのことが気に入ったようで、仕事終わり彼を映画に誘った。エクラはついていったが、その映画というのが、色が何度も観ている例の映画で彼は少々うんざりした。それほど面白くもなかった。

 朱莉は明日故郷に帰るといった。エクラも誘われた。

「お金を払って泊まるくらいなら、私の所へおいでよ。他に誰もいないしさ」

 エクラは色のことを説明したが、彼女はそれでいいと言った。



「希望の船か」

 エクラはやることがなかった。だけれど、退屈というのではなく、どこか落ち着いて、気がつくといくらも時間が過ぎているという気分だった。畳といのは、そういう力をもっているのかもしれない。しかしふと時計を見ると五分も経っていない。


 エクラは寝転ぶ。途端に強い太陽の光が目に差し込んだ。目が慣れると、掴みどころのないくらいの青い空が見える。それと輪郭のはっきりした、模型のような白い雲。いかにも海の上にいるから見える光景だった。


 エクラはあしで窓をあける。網戸を通って、影に冷やされた風が、ひんやり吹く。


 彼は顔を横にむけて、目のまえにころがるおはじきを目近に見る。光の玉が輪郭にともる。白い光。

 日と影、窓と壁による。エクラは暖かさに落ち着いた。

 手を器用に曲げて、エクラは目のまえのおはじきを一つとる。他のより、大きめのおはじき。起きあがって、てのひらに乗せる。眺めてみて、その水のような滑らかさが、何だか羨ましく思った。エクラはふと、そのおはじきを何気なく、口の中にふくんでみた。


 そして舌のうえで、日の味のする硝子を、ぬめぬめと味わったが、それはすぐに口の味になった。なまぬるい味だ。舌で転がすたびに、その少し大きめのおはじきは、歯の裏に かちかち と音をたてぶつかる。歯と頬のあいだに滑りこませてみる。そして舌の中へかえす。そうやっていくらか遊んでいるとき、エクラは口の中のおはじきを、あやまって喉の方へ逃がしてしまった。


 エクラの体は、脳独自の意思判断で異物を喉の外へ出そう出そうと、喉をうなぎのようにうねらせた。しかし突っかかりのないおはじきは、そのつんつるてんの身を滑らせて、重力に自身をまかせ、より喉の奥へ入りこもうとする。その二つがつりあった。

 おはじきを吐こうとする喉と、落ちようとする質量。

 エクラは うっうっうっ とひとり畳上でもだえ苦しんだ。思考は同じところをぐるぐる、ぐるぐると回った。


 エクラののたうち回るのにひと段落ついたとき、チャイムがなった。この部屋に誰か来たのだ。だが、部屋の持ち主の朱莉はいま出かけている。色に出てほしいと思ったが、何らの反応はなく、仕方なくエクラはたちあがって うっうっうっ と息のつっかえたまま、よわよわと玄関へむかった。


 震える手で戸をあけると隣の住人であろう人。エクラを見て不審そうにする。背の小さなおばあちゃんだった。

 おばちゃんは、


「朱莉ちゃんは……」

 ときくが、エクラが首をふると、

「ああ、お客さんかねえ。まあ、ゆっくりしていきねぇ。朱莉ちゃんが帰ったら、」


 などと半熟のとろとろとした話をしながら、両手に抱えた、半分にきった西瓜すいかをわたしてくれた。

 エクラは挨拶と感謝を述べようと意識したのだが うっうっうっ と声にならず、おばあちゃんは じゃあねぇ と目を細めて笑い帰ってしまった。



 エクラは西瓜を台所へ運ぼうと、壁に手をつきながらあるく。

 玄関から廊下をわたり、でてくる居間の隣が、台所である。


 扉をあけ居間にはいった。覚束ない足で歩く。


 ようやっと台所へ到着した時、ふっと足の力が抜けて、エクラは床へ叩きつけられた。

 視界には、エクラの倒れるのと一緒に落ちた西瓜が床に弾み、その衝撃で実から溢れた宝石のような赤い雫が、電燈の光を反射させながら つとん と落ちてゆくのが見える。

 異常に感覚が研ぎ澄まされているのである。視覚野しかくやがひらいていた。

 エクラは頭をふりふりして、立ちあがる。意識を引き戻すと、西瓜が割れずに無事なのを確認して、冷蔵庫のなかにその西瓜をしまった。色の褪せた古い小さな冷蔵庫のドアを たぱん と閉じた時、喉の奥で ぎょろ っと音が鳴り、エクラは再び うっうっうっ と呻きだした。

 そういえば倒れた後の数刻、数回の息ができていたことに気がついた。

 しまった。

 吐き出す体の反応がぶり返し、また重力とつりあってしまったのだ。せっかく胃に入ったおはじきが、喉へ戻ってしまった。これは魔境である。エクラは居間の奥の畳敷きの部屋向かう。その行為は、無意識に死に場所へ選んだかのようであった。


 エクラは畳の上にだらりと横たわる。

 目は虚ろである。遠くでヘリコプターの飛ぶ音が、くぐもって聞こえる。

 ときおり うっ と呻いては、息をひそめる。そしてまた忘れたころに うっうっ と呻いた。気が、潮のように、遠のいては引き戻った。


 そうやって寝ころんでいると、エクラの寝ころぶ頭のとなりで、畳が少し沈んだ。彼の後頭部のうしろで、なにかが畳を凹ました。くるりと寝返りをうってみると、その沈んだ中心点に、継ぎ目のない、白い、足があった。色の足だ。目線をあげると、古びた緑のオセロ盤を小脇にかかえている色がいた。

 白い寝間着を上下着たままであった。色は オセロやりませんか と小さな口でぽつりんと言った。

 エクラは懸命にうなずいて 分かった分かった と返事をした。



 エクラと色はオセロ盤をはさみ、正座で対局。勝負の途中もエクラは うっうっうっ と息が詰まり、早くゲームを済ませるためにも、考える時間もないくらいに手早く駒を置いては裏返していたが、色のほうは知るよしもないので呻くエクラ、彼にたいして うるさいですよ とつっけんどんに言ったりしてはなかなかの序盤から長考して丁寧に駒を置く。


 エクラのあぶら汗が垂れる。目がぐるぐる回っていた。手がなくて困っているわけではない。負けも勝ちも、エクラにはなかった。生か死である。


 ……天井にはしみがある。

 ……まどからさしこむ陽の光は、ずいぶん横にずれてきた。……畳の上に、いまでもおはじきとガラス玉がころがる。陰にはいって、すっかり暗く落着いたガラス玉。


 オセロ盤の上に薄ぼんやりと、昨日観た映画のラストシーンが再生される。男が塔から飛び降りる。エクラの目の中に、繰り返し繰り返し、再生される。

 ……色のほうへ目をやると、彼女はオセロの駒のさきを口にはんで考えこんでいる。

 彼女は、駒をくちびるから放すとようやく盤に置いた。三枚裏返す。 ばかだ とエクラはかすれた意識で思う。そんなところに置くと、色は、エクラに角を取られるのである。



 案の定、エクラはひざもとに転がるいくつかの駒の中からひとつつまんで、角を取ろうとした。その時だった。


 喉の奥で ゴポッ っとくぐもった音が聞こえたかと思うと、

 ——瞬間、口蓋こうがいに かつん と、ぶつかり音がなり、

 ——同時に ぐもも とスムーズな舌の動きが異物を押しだして、……運んで、……不恰好に開かれた唇を通過して、

 ——電燈の明りをちかちかと反射させたおはじきが、空中に放りだされた。


 飛び出たおはじきは、エクラの本来駒を置こうとしていた角に涎をまとったまま落ちついた。エクラはそのおはじきと、もとあった黒い駒に挟まれた、色の白い駒を裏返した。


「気持ちわるっ……」

 色は薄い眉をひそめて、眼鏡を指先であげて、嫌そうに言った。


 エクラは、おはじきの呪縛から逃れた安心感と、オセロに勝った解放感から、そのまま畳に倒れこんだ。 今日もなにもせずに一日を過ごしたな と思ったが、時計を見るとまだ午後一時にもなっていない。畳のうえは、時間の進みが、とても遅い。いつしか、大の字になって寝ころぶエクラの横で、色も寝ころんでいた。おさげをといた長い黒髪が、畳の上に流れでて、蝶のように広がっている。これを踏むとまた怒られる。何度かエクラは怒られているのだ。「髪をふまないで」脳内で容易に思い出せる、あの言い方。わかっているが、気づかずに踏んでしまうのだ。エクラはぐるりと寝返りをうって色から少し離れた。

 その後、背を向け合い惰眠を貪るふたりのこの部屋を、赤い水彩画みたく夕日が満たすまで、この家には何の物音もしなかった。



 すっかり午後の弱い光が海上に行き渡ったころ、朱莉は自分の部屋へ帰ってきた。

 朱莉はすぐに、エクラと色が並んで寝ているのを見つけた。微笑ましい光景だ。彼女は ふふ と笑って、ポケットから携帯電話を取り出し、写真を一枚とる。それから台所に立った。

「あら、おはよう」

 朱莉が言う。

 料理が出来上がってから二人を起こそうと思ったのだったが、料理を始めた物音で、色は起きてしまったのであった。

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