エピソード2・花見

「真布由と葉太クンは花見かー。れいかー、ねえ、聞いてるー?」

 あらゆる意味で同レベルなクラスメイトが、冬服のセーラーを令華の華奢な肩からゆさぶった。

「んー、今ちょっと待って。枝毛、見つけちったー」

 令華はなけなしの女子力で持っていた、裁縫セットの小ばさみでチョキチョキやり始めた。それをクラスメイトが放っておかず、結局、昼休みは廊下で過ごすことになった。

 バカみたいに豪華なソファが、廊下にはそこここに置いてあって、そこに令華は足を高々と組んで、気だるげにふんぞり返っていた。そこへ、桜子が教室から出てくる。令華と目があった。

「あ、見てよ。シカト女。あ、もう、ごきげんようおばさんだっけー」

「しっ、黙ってて」

 令華は腰ぎんちゃくの顔にガムの包み紙を叩きつけると、その場に口の中身を吐き捨てた。その瞳が、わずか揺らめいている。

 令華から、話しかけた。

「春川桜子、サマ」

「……なんでしょう」

「そう、かたくならずに。ね、リラーックス」

 猫なで声を出す令華に、クラスメイトは唖然。

「わ、わたしはふつうです」

「まあまあ」

 令華はねばりつくように見たが、桜子のことは今更ながらに、わからない。

 どうにもならないので、令華はうわさ話レベルの話をしだす。

 女はよりしゃべった方が有利なのだ。相手よりも。

「……でね、聞いてる? 令華の令は、令和の令で――その令和の初めの頃に――」

 しかし、桜子は困ったように眉を寄せてこう言った。

「あの、図書館に本を返してこなければ。ごめんあそばせ」

 どっと笑いがおこる。

「ごめんあさーせー、だって。気取っちゃってさー、バカみたい」

「これだから、持ち上がり組は、やってらんねーわ」

 令華の腰ぎんちゃくが言ったが、令華は頬をゆがめて、桜子の腕をとった。

「まあ、おまちあそばせ」

「なに?」

 腰ぎんちゃくたちは顔を見合わせている。

 桜子にしてみれば、時間がない。三十分、時間をかけてよく噛み、昼食のお重を食していたから、歩いて往復十分かかる図書館で用をすませたら、あと五分で次の授業の準備をしなくてはならなかった。

 窓から風が入ってきた。

 渡り廊下の方から人の気配はしない。

「ね、春川……桜子」

「な、なに? 温井令華さま」

 令華は言った。

「花を見に行こうよ」

 ふたりの間を、強い風が吹き抜けた。


 小さな悲鳴のような声をもらして、桜子はたった今つまづいたつま先の先を見る。とがった小石があった。

 前を走る令華は息をはずませている。何かを熱心に捜しているようだった。

 腰ぎんちゃくはいない。令華のかわりに、わかりもしないプログラム授業のノートを作らされているのだった。

「あ、お待ちになって。温井令華さま」

 ふり返って見た令華は、腰に両手をあてて、いらだったように言葉をぶつけてきた。

「運動不足よ。春川桜子」

 息を整えるように、胸を抑え、桜子は反駁した。

「一体、この公園に何があるというの」

「見ればわかるでしょ――春よ。わが世の春!」

「意味がわからない……」

「まあ、いいから見てなさいって」

「……?」

 あたりを見回すと、小川のせせらぎが聴こえる。

 その小川をのぞきこむような恰好でソメイヨシノが枝葉をさらし、花弁を散らせている。

 今、盛りなのは咲き遅れたものだろう。

 下草を踏むと、子リスが走り去り、こんな都会なのにと桜子は意外に思う。この公園に踏み入るのは初めてだった。

 うっそうとしている。花がすみで周囲がよく見えなくて、桜子は目をこらした。

 木立がざわめき、春の陽ざしの中、洗いたてのコットンの匂いがしそうな、男性が立っている。逆光に陰るその顔がふり返った――

「温井――うちのクラスの生徒じゃないか。何してる」

「うえっ、葉太の方に見つかった……」

「今、なんて言ったんです。温井クン」

 令華は一目散にその場を逃げ出すと、桜子のことを置き去りにしてしまった。

「よーたせんせい、なにを独りでぶつぶつ言ってるんです」

「あ、真布由先生。今、クラスの女生徒が、そこに……って!」

 秋田の間近に、桜子の姿がある。弱弱しくうつむいた格好だった。

「ナニソレ。その女生徒って、その娘?」

「ああーっ」

 秋田は桜子を認めるや、とんでもない声をあげ、それは地面をついばむ鳩が群ごと空へ舞い上がるほどだった。

 びっくりして、その場にへたった桜子を、真布由が助け起こそうとする。真布由も間近で彼女を見た。

「あれ。うわさをすれば、春川」

「え」

 わけもわからず、立ち上がろうとする桜子に、秋田が覆いかぶさるようにして大声をあげた。

「うるさい……」

 と言って、耳をふさいだ真布由が、用事を思い出してその場を立ち去ると、秋田の背後にいた桜子がそっと聞いた。

「あの……先生?」

 びくっと背をこわばらせる秋田。

「うわさって……なんですか」

 もごもごと口元を抑え、後ろを目だけで見やる秋田。幼げな桜子の声が、耳朶を甘くくすぐり、顔をあげられずにいた。

「わたし、授業をサボってしまいました」

 桜子がそう、言わずもがなの告白と懺悔をした。

「先生もです……」

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