【葉桜の君に】筆致は物語を超えるか

れなれな(水木レナ)

エピソード1・春川桜子とその周辺

 公園が見える。

 春爛漫らんまん、桜咲く道なりに、小川の流れる通学路。

 都会のビル群の一角を、切り取ったかのように別格の風景だ。

「ごきげんよう、春川はるかわ桜子さくらこサマ」

「ごきげんよう。温井ぬくい令華れいかさま」

 普通に応じている、桜子。

 しかし、昨日の始業式で、彼女は聞いてしまっていたのだ。

(ねぇー、れいかぁー。なんであのシカト女に毎朝『おはよう』って言うのー?)

(そうだよ、一年のときからじゃん。感じ悪いのに、なんでー?)

(それはさぁ……)

 令華はにやついて言いかけた。

 あいつがあそこまでシカトしてると、自分の方がけなげでいじらしく見えるじゃん、だからいいの、と。

 しかし、そのとき桜子は、教室の端まで寄っていって、言ったのだ。

「ごきげんよう、温井令華さま。毎朝ご挨拶をどうもありがとう。言わなかったけれどわたし、うれしかったわ」

 ごきげんよう。

 その言葉はみやびやかで、なおかつ冷たく響いた。

 だれがこれほど、この言葉がつきささると思ったろう。

 しかし、桜子にとっては、これが普通なのだった。

 そう、この陽光ひかり学園に、幼等部から属する彼女にとっては。


「あったまくんだよ。いちいちお高くとまってさぁー!」

 レストルームの真鍮の腰掛のひじ置きに、吸ったばかりのタバコの火を押しつけ、令華は目をぎらつかせた。

 今まではまってきたゲームでは、お嬢様学園に途中入学してきた普通の女の子の方が主人公だった。

 自分の方こそ主役、この世の華だったというのに、現実はこうも違う。

「ちょっと、れいかぁ、タバコの本数増えてるよ」

「ちっ。小学生の頃からがり勉して中等部きてソンした……」

 レストルームの前に見張りに立っていた女子が駆けこんでくる。

「れいか、担任がくる!」

「あー、あの坊ちゃんせんせーか……」

 令華はレストルームから一歩出て、きちんと姿勢を正した。

「おはようございます、秋田あきた葉太ようた先生」

 足をとめ、一瞬戸惑ったように、秋田は黙った。

 横を歩いていた、真布由まふゆいおりが、そんな同僚の秋田の肩に手を置く。

「せんせーをフルネームで呼ぶな。馬鹿にすんじゃねーよ」

「あら、真布由庵先生、おはようございます」

 こうでしょ? お嬢サマって、こうやるんでしょ? 終始にこやかな令華の頭の中はそればっかりだ。

「タバコくせーんだよ。よるなガキが」

 そういう真布由はミントガムをよこす。令華は知らず頬を赤くした。

「散れ、ちれ。よーたせんせー、話があるっつったでしょ」

 動けなくなっている令華たちをおいて、二人は廊下を去っていく。

「はなしってなんだろぉ」

「知らないっ」

 令華はじっと、ミントグリーンのガムを見つめている。

「休み時間、公園で花見でも行きましょーよ!」

 陽気な真布由の声が、陽ざしにぬるんできた廊下に、ぼんやり響いた。


 さあさあ、と授業前に真布由が秋田をせかしながら、声をひそめて言った。

「血縁関係はないですね。オレも、気になってはいたんで、調べたんですが」

 切り出した真布由のその声に、子供のように、目を見開く秋田。

「春川ですよ。春川桜子。あなたが担任しているクラスの。親族に夏陽なつひ夕子ゆうこの名はなかった」

「どっ、どうして真布由先生が……?」

 調べたのか、とざわつく胸を秋田は抑えた。

 こんなところで切り出されて、動揺している秋田だった。

「あなたは調べないと思ったんでね。まあ、大学からの同期のよしみですよ。この学園はそういうの、ツツヌケです。セキュリティ問題だかなんだか、時代錯誤な風習ですよ。タブーもプライバシーもない」

「……本当に血はつながってないんですね」

 ごくり、と秋田は固唾をのんだ。

「事実、似すぎた顔もあったもんです。しかも女生徒ときた」

「僕は気にしないつもりでした」

「まあ、夭折した女の親族なんて、この学園に来ませんよね」

「彼女は……ちがう!」

 意外な力をこめて、秋田は真布由の腕をつかんだ。

「原因は、春先の感染症だ。安楽死のようにはなったというが……それは」

「自殺も同然じゃないですか。痛いです」

「す、すみません」

 恐縮する秋田に、真布由はぼそりとつぶやいた。

「守ってやんなさいよ。今度こそは」

 ちょうど予鈴が鳴ったので、そのつぶやきは秋田には届かなかった。

「あ、つい時間を過ごしてしまいました。次、授業なんで」

「今日、電話しますよ」

 返事もそこそこに、秋田はタブレットを抱え直し、教室に入っていく。

「わかってんのか、あの人」

 真布由の剣呑な視線が、秋田の後ろ姿を追ったが、あきらめたようにすぐに他へ移った。

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