第52話 花火大会のジンクス

【セリシア視点】


 八月九日、19時、とある空港にて。

 私は今日、積年の想いを伝えに来た。

 本当に、本当に長い時間だった。

 私の場合、小学校六年の頃からずっと抱いてた想いだ。


 ──だけど、今日で終わり。


 これで長い間背負ってきたものを伝えられるんだ。

 そう思うと気持ちが楽に……。


「…………なるわけないか」


 身体が震えている。

 キュッと拳を握っても、震えは止まらない。

 やはり長い間言えなかったことを打ち明けるというのは難しい。難しいからこそ、どんどん後回しにして──最後は伝えずに終わるんだ。


 中学のあの日がまさにそれだ。私はあの日『これが理にかなっている』なんて馬鹿げたことを考えて逃げたのだ。

 結果、何も言わない方がマシ、という結果に。

 ホント、あの日はなんてことを言ったのだろうか。

 今となっては、笑える想い出だ。


「おねーちゃん、だいじょうぶ?」


 小さな女の子が、震える私に声をかけてきた。

 赤の他人に心配されるとは、私は一体どんな様子だったのだろう。


「大丈夫だよ」

「ホント? ブルブルーってふるえてたけど」

「……キミも?」


 そうか、この子も私と同じ。大事なことを誰かに伝えに来たのか。

 少女はコクリと頷いて、こう続ける。


「わたしね、むずかしい手術のためにアメリカに行かなきゃいけないの」

「手術? ってことはキミ、どこか悪いの?」

「うん。わたし、手術しないと

「……そうか」


 少女の言葉に、胸が締め付けられた。けれど彼女は、明るい笑顔で──。


「でもね! わたしの手術、ぜったい成功するから大丈夫!!」

「……もしかして?」

「うん! 『花火大会の神様』に叶えてもらうの!! 手術が成功しますようにって!!」


 やっぱり、この子ものためにこの時間、花火の見える場所に来たのか。


「でも、どうして?」

「……わたしね、今日、友だちに伝えるの。実は病気なんだって……。死ぬかもしれないんだって……」


 その瞬間、彼女の目から涙がこぼれ落ちた。

 言えなかったことを打ち明ける。

 それが相手を悲しませることならば、打ち明けるのはかなり怖いのだろう。

 でも──。


「大丈夫だよ! 病気、治るんでしょ? 神様に、治してもらうんでしょ!? だから、大丈夫。そうだよね?」


 私は少女の頭を優しく撫でる。


「……そう、だね!」


 すると彼女は涙を拭って微笑んだ。

 そうだ。こんなに小さい子が逃げずに立ち向かおうとしてるんだ。大きな手術に。誰かに伝えられなかった大きな想いに──。


「あぁ、だから怖がらないで」

「うん! おねーちゃんも、こわがらないでね!」

「……私?」


 どうやら私も、花火大会の神様とやらのために花火を見に来たことを悟られたようだ。


「おねーちゃんは、だれに何を伝えに来たの?」

「……私は」


「おーい!!」


 背後から、女の子の声が聞こえてきた。

 どうやら彼女の友達が来たのだろう。


「それじゃあね、おねーちゃん」

「あぁ、お互い、伝えられるといいね」

「うん!!」


 彼女は大きく頷いて、親指を立てた。

 対する私も、親指を立てて自分に言い聞かせる──大丈夫、大丈夫、って。


「……よし」


 さっきまでの緊張と不安は何処どこ吹く風。

 今日の私は逃げない。今日こそは、彼に想いを──。


「何やってんだ? セリシア」

「ひゃうっ!?」


 突然聞こえてきた藤澤ふじさわクンの声に、私は情けない声を上げてしまった。


「……もう、キミというやつは。タイミングってのが……ぷぷっ!」

「おい! 何笑ってんだよ!!」

「だって、髪……」


 後ろを振り向くと、そこにはいつもと一風違った髪型をした藤澤クンが立っていた。


「あーもう、やっぱりやめときゃ良かった……」

「……ははっ! まぁ、いいんじゃない?」

「おい、絶対バカにしてんだろお前──」


 ドンッ!!!!


 花火の開く音が、空港中に響き渡る。

 花火大会の始まりだ。


「綺麗だね、花火」

「あぁ……」

「……藤澤クン」

「……わかってる」


 藤澤クンは私が今から何をするか分かっているらしく、もう心の準備は万全みたいだ。

 私もあの子のおかげで準備は整った。


 私たちの世界から花火の音が消えて、静寂に包まれた瞬間──私はゆっくりと口を開く。




 〇




「私、鷺代さぎしろセリシアは、キミのことが好きです」


 修学旅行のあの日からずっと。

 中学の時に変な告白をした時も、高校の文化祭で初めて自分の容姿を褒められた時も。

 そして今、彼との別れが刻々と近づいているこの瞬間も──。


 伝えたい言葉は他にも山ほどある。

 だけど私たちにそんな時間はない。でもこれで十分。だっての役目はこれで終わったのだから。


「……あぁ、でも俺は」

「──だから、私のこの気持ちを、どうか忘れないで欲しい」


 私があなたを好きだった。その事実を胸に留めておくだけでいい。

 それが叶わない恋が迎えられる、最期の結末──。


「……それで、いいのか?」

「あぁ、十分。それにキミの返答は長いだろうから聞きたくない」

「いや、でも……、俺だってお前に言いたいことが──」


 私が首を横に振ると、彼は口を止める。


「さぁ、次は番だ。私と同じように、伝えられなかった想いを伝えるんだ」


 そして長年の呪いを、自分の力で終わらせるんだ。

 だから彼の返答を聞くいとまなどない。

 私と話したければ、電話だってメッセージだって、なんでもいいから使えばいいし。私だってそうする。


 だけどこの花火大会は一年に一回。そしてそれを逃せば、彼らはまた呪いに囚われてしまう。


 私は彼の服と足元を見る。

 動きやすい服装の典型に、いつものランニングシューズ──きっと今なら間に合いそうだね。


「行っておいでよ、藤澤クン。キミが向かうべき場所に」

「…………」

「そのための……、ぷっ、髪型だろ? それ」

「あぁ、そうだよ」


 また恥ずかしそうに、若干キレ気味に彼は答える。


「……それじゃあ、

「あぁ、


 お互いがそう告げると、彼は後ろを向いて走って行った。

 背中が小さくなっていく。見えなくなっていく。そして視界が、ぼやけていく──。


「……ありがとう、藤澤クン」


 伝えられない想いを伝えれば、神様は願いを叶えてくれる──それが花火大会のジンクス。

 ただ、それだけ。

 だけど私たちのようなチキン野郎は、神様にでも頼らないといけないみたいだ。


 そして今日、私はジンクスに従った。

 そして神様に願った。


 ──私の初恋が、終わりますように。


「…………」


 そして、夏の日焼け跡が消える頃に、積年の想いと悲しみが消えますように──。

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