第50話 優柔不断なチキンに、舞香は──
「八月九日、花火が見える空港に、十九時に来て欲しい」
その言葉から察するに、セリシアと過ごす最後の時間と場所を示しているのだろう。
……けれど。
「………………」
「……やはり、ダメか」
「うっ……」
セリシアの願いを受け入れられないと見透かしたかのような『やはり』という言葉が、胸を締め付ける。
確かに俺は時間と場所次第なら、とセリシアには告げた。
しかし花火大会は八月九日の十九時から二十一時まで──セリシアとの別れの時間とドンピシャだ。
それでも俺は、花火大会は毎年あるけど、セリシアとは毎年という頻度では会えないと自分に言い聞かせた。
そんな、セリシアとの別れのことばかりに染められた自分の頭の中に、セリシアは違う色水を差した。
「だってキミには、もう一つやらなきゃいけないことがあるからね」
続けてセリシアは言う。
「今までのキミを見ているとわかる。特に今日の肝試しのシーンは確信的だったね」
「……ごめん」
「ううん。気にしないでくれ。花火大会は毎年あるけど。これからのことを考えると、あちらの方は手放せないだろうからね」
──だから、自分のことは気にしないでくれ。
そんなセリシアの優しさが痛い。
だけど本当に胸を痛めているのは、セリシア本人のはずだ。
それなのに──彼女は優しげな微笑みを浮かべている。
「そうだ。ここまで私の話に付き合ってくれたお礼をしよう」
「お礼?」
セリシアはポケットから何かを取り出し、握った両手を広げて俺に見せた。
両手に乗っているのはコーラ味とレモン味のキャンディ。どちらも俺の好物だった。
「どちらか好きな方をキミにあげようかなと思うんだけど。どっちにする?」
「……どういうことだ?」
「別に。どちらか好きな方を選んで欲しいだけなんだけど」
「お前、意地悪なことするんだな」
「ふふっ、バレた? 確かこれ二つとも、昔からキミが好きなものだよね?」
「さぁ、選びなよ?」と、俺を試すようにセリシアは問う。
「じゃあ……」
しかしここですぐに選べないのが、俺の悪い所。
二つのキャンディをチラチラ見るだけで、手を伸ばせずにいた。
「はい、時間切れ」
「んなぁぁぁ!?」
ハハハッと笑って手を引っこめるセリシア。
「おかしいなぁ。今までのキミを見る限り、決断は早い方だと思ってたのにね」
「……それは──」
「両者の置かれている状況が違った、といったところかい?」
「うっ……」
「図星だね。肝試しのときは、久住さんを助けたいという気持ちが先走って──」
「あぁぁぁ!! 悪かった!! あの時はホントにごめん!!!」
あの時の申し訳なさに駆られ、俺は土下座をして頭を下げた。
「キミ、トロッコ問題とか苦手だろ?」
「まぁな。確か中学の時、人数関係なしに誰も犠牲にできないから、俺がトロッコを受け止めて死にます! って答えたっけな」
「ふふっ、実にキミらしい」
「だろ? モブキャラの俺なら犠牲になってもいいと思うあたり、実に自分らしいと思う」
「そういう意味で言ったんじゃないんだけど……」
「えっ?」
俺のリアクションを軽く流し、セリシアはここから立ち去るべく歩き出した。
そんなセリシアを俺は呼び止める。
「セリシア!」
「……なんだい?」
「さっきのお願い、返事はもう少し待っててくれ」
「……キープかい? キミらしくもない」
「言い方! ……でもまぁ、否定できねぇ」
確かに俺のやってることは、キープみたいなものかもしれない。
──今年も行くでしょ? 花火大会
──あーこれか。俺が舞香と颯人に誘われて、バレー部の同級生たちと行ったやつだよな
──そうよ
──また、俺を誘おうってか?
──違う。知ってるでしょ? このお祭りのジンクス
──……あぁ
──なら、いいわ。あとはアンタに任せる
舞香と二人きりで話したとき。
『久住さんを花火大会に誘え』
『わかった、俺に任せろ』
──という会話が間違いなく成立していた。
いや、『花火大会のジンクス』という言葉だけがその会話を成立させたと言えるだろうか。
しかし、セリシアとの別れの時間もある。
セリシアを選ぶか、久住さんを選ぶか……。
どっちも大事だから、今は選べない。
だから、俺は──。
〇
──選べねぇぇぇぇぇ!!!!!!!
林間学校最終日、俺は布団からガバッと身体を起こした。
苦悩に苛まれた心の叫びから朝が始まった。
セリシアと久住さん。どちらかを選べない俺の導くべき最適解ってなんだ!?
全っ然、わかんねぇ!!!
その後、帰りの身支度をしている間も。バスの中でも……。
俺は最適解のことばっかり考えていた。
最適解を出すことが、どっちかなんて選べない優柔不断な自分に課せられた使命だと思うが、よく良く考えれば、ただのワガママかもしれない。
それでも俺は考え続けるが……。全く答えが出せないでいた。
──ということで。俺はスマホを手に取って、耳に当てた。
「もしもし舞香さん」
『……何? 改まって「さん」付けして。キモい』
「……すみません」
声の主は何やら不機嫌なご様子。
だって舞香、普段から言葉遣いはキツいとこあるけど、『キモい』とか言わないもん。叱られる時以外に罵倒されたのなんて久しぶりだ。
『まぁ、私もアンタに電話しようと思ったところだからちょうどいいわ』
『ねぇ』と、半ギレ気味に舞香は先行する。
『私がなんで怒ってるか、わぁかぁるぅぅぅ??』
何その質問。浮気を疑う彼女みたいで、なんだか怖い。
「……分かりません」
『じゃあ、花火大会って言ったら分かるよね???』
「……はい」
電話越しから、コンコンコンコン音が聞こえる。
音から察するに、机の表面を指の骨で叩いているのだろう。要するに、激おこってわけだ。
彼女の怒っている理由、それは──。
『アンタ、
「いや、そういうわけじゃ──」
『アンタが誘ってないみたいだから、堪らず私が美唯を誘ったからいいけどさぁ!』
えっ?誘っちゃったの!? 久住さん、花火大会に誘っちゃったの!?
『はぁぁ……、アンタに任せるのが間違いだったわ! このチキン野郎!!』
「いや、これには理由があってだな……」
そう言うと、コンコン鳴る音がピタリと止まった。
そのタイミングで、俺の苦悩を全て打ち明ける。
『……なるほど。
「俺、セリシアの願いも断れねぇし。久住さんとも花火見たいし。それに……花火大会のジンクスのこともあるし……」
『……はぁ』
大きくため息を吐いて、舞香は声のトーンを落として言う。
『わかった。アンタ、鷺代さんの所に行ったら?』
「えっ……」
あんなに俺と久住さんのことばかり言ってた舞香が、まさかこんなことを言うとは……。
「本当に、それでいいのか?」
『いいわけないでしょ。毎年あるとはいえ、チキン野郎のアンタには今年の花火大会で決めて欲しいし』
「じゃあ──」
『でもこれが、アンタにかけるべき最適な言葉だと思っただけよ』
セリシアを選べ。それが俺にとって正しいことなのか?
その問いをぶつける前に、舞香は言う。
『だってアンタのことだから、「鷺代さんとはしばらく会えないから、彼女のことを見捨てられない」って思ってるんでしょ?』
「あぁ……」
今度はカタカタという音が聞こえる。
パソコンのキーボードを叩く音だ。
いや、だから何? って話なんだけどな。俺はその音には触れず舞香の言葉に耳を傾けた。
『とりあえず、アンタは鷺代さんの所に行きなさい。それだけよ』
「本当に、いいのか?」
『いいって言ってるでしょ? しつこいわね』
「……やっぱり俺、納得できねぇ」
こんなにもあっさり決まるなんて、スッキリしない。
舞香ならもっと、舞香らしいむちゃくちゃな答えが出るかもしれないと思ってたのに。
……けれど。
『ウタ!!!』
舞香はいつも通りビシッとした口調で俺に告げた。
『心の準備、ちゃんと決めなさいよ!?』
「あぁ」
『じゃないと、殺すから!!』
「ころっ!?」
突然の暴言に驚く俺を置き、舞香は『あと』と言って、
『去年から思ったんだけど。アンタ、絶望的に浴衣と下駄似合ってないから』
「は?」
『鷺代さんに笑われたくなかったら、フツーの楽な格好で行くことをオススメするわ』
「なんだよそれ……」
せっかくムードが出ると思ってたのに……。
でも確かに、空港で着物と下駄は違うか。
俺は舞香の言葉をすんなり受け入れた。
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