第9話 泣いて馬謖を斬る

 ――起きてください、勇者様。ほら、早く。起きて下さい。


 誰かが、俺を呼ぶ声がする。


 ――勇者様、時間です。休憩の時間はおしまいです。


「ん? ママ……?」

「私はあなたのママじゃありません」


 ああ、そうか。俺は眠ってしまったのか。

 レヴェッカが何故か冷ややかな目で俺を見ている。

 何か俺、変なことを言ったのか?


「あれ、ここは?」

「戦場です。続きをやりますよ」

「うわっ!?」


 起き上がると、目の前に羊のツノをした筋骨隆々の化け物――アポロメアが石像の様に固まっていた。


「『氷結魔法』を解除します。準備はよろしいですか?」

「あ、わわわ、ま、待て、待ってくれ。もしかしてまだ戦えって言うのか?」

「戦場で待ったは無しです。はい、よーい、スタート」


 彼女がアポロメアに手を触れると、静止していた化け物は、そのまま勢いよく拳を振った。

 彼は周りを見渡し、平気な顔をしている俺を見つけて、驚く。


「おい、どうなってんだ?」

「もう一度お願いします、アポロメアさん。今度はさっきの炎も使ってみて下さい」


 第二回戦と言ったところか。

 一気に夢から現実に押し戻された気分だ。先ほどの死闘がつい昨日のことのように思える。


「頑張って下さい勇者様。生き残れたら、またご褒美がありますよ?」

「おいおい、俺は勝てない前提かよ」


 ――とは言え絶望的なことには変わりない。武器を持っただけの素人が図体がデカくて素早い歴戦の猛者に勝てるだろうか?


 俺を奮い立たせるのは生きたいと願う意志と、彼女が俺の目の前にぶら下げた人参ごほうびだ。

 やれやれ、完全にあの子の術中にハマってしまったな。


 剣を抜き、構える。


「うおおおおお!!」


 再びヤツとの命懸けの戦いが始まった――






 あれから三日三晩、休憩を挟みながら戦った。

 特に最初の夜はマジで死ぬかと思った。彼女いわく「夜戦で戦うことも考慮すべし」と言うことだったが、本当に何も見えない。

 アポロメアの方は、見えているのか、音を聞いているのか、匂い、気配を察しているのかよく分からないが、暗闇だろうがお構い無しに襲ってきた。おかげで三日目の夜は柔軟に動くことが出来た。


 そして剣と拳を交えているうちに、奇妙な友情が芽生えた。


「おい、勇者君。逃げ回ってるだけじゃ、いつまで経っても反撃できないぜ?」

「そんなこと言ってもよ、。炎を吐く相手にどうやって近付けばいいんだよ?」

「それくらい自分で考えろ。もそう言ってただろ?」


 俺は彼のことを『師匠』と呼び、またアポロメアも俺を『勇者君』、レヴェッカのことを『姉さん』と呼び始めた。

 レヴェッカの方はと言うと、なんだかつまらなくなったらしく、一旦城の方に帰ってしまった。


 そう、俺は今自主的に師匠に鍛えてもらっている。


「なら、正面突破だ!」

「甘いぞ、【地獄の業火ヘルフレイム】」


 炎を吐く瞬間を見極め、横っ飛びで左側に回避する。

 師匠はそれを見てすかさず対応してきた。首を振って、横に炎を繰り出す。


 それに対し、俺は右足で砂を蹴り上げた。

 砂煙は一瞬、その業火を反らす。そう、その一瞬だけで良い。


「――とらえた」

「甘いぞ!」


 師匠の右腕はない。

 だから、左側から攻めた。


 師匠の左ストレートが飛んで来たが、それは読んでいた。俺はしゃがみ込んでかわす。

 そして――


「お、俺の負けだ」


 彼の首元に剣先を突き付けることに成功した。

 ついに俺は、やり遂げた。師匠に勝つことが出来たのだ。


「ありがとうございました!」

「ああ、ここまでよく頑張ったな勇者君」


 師匠はそのデカい手で俺の頭を撫でてくれた。初めて会った日が遠くに感じる。


「はい、お疲れ様でした。それでは勇者様、彼を殺して下さい」

「レ、レヴェッカ!? いつからそこに?」

「今さっき来たばかりです。お城から『遠隔魔法』を使って、一部始終を見てましたので」


 彼女の顔が少し怖かった。

 なんだ? もしかして俺を師匠に取られたことに嫉妬しているのか?


「名残惜しいとは思いますが、非情な心は大事です。これからの戦いに備えて、彼に止めを刺して下さい」

「そ、そんな……俺が師匠を……そんなこと、出来ねぇよ」

「いや、良いんだ勇者君。俺を殺してくれ」

「し、師匠……」


 師匠の目は澄み渡っていて綺麗だった。これが死を覚悟した男の目なのか……


「姉さんに会った時から、死は覚悟していた。なに、最後にいいもの見れたんだ。これ以上思い残すことなんてねぇよ」

「ししょおおおおお!!」

「一人前の男がなんて顔してんだ。さぁ、男らしく首をバッサリやってくれ」

「うっ……うう……」


 師匠は膝をついて、俺に首を差し出してきた。

 俺は嗚咽しながら、剣を振りかぶる。


 三日間の思い出がフラッシュバックする。

 いつからだろうか。アポロメア、あんたが敵から俺の師匠になったのは。


「今までありがとう。お別れだ、師匠」

「ああ、頑張れよ勇者君」


 目を瞑り、剣を振りかざした――


「おい、何やってんだ勇者君!?」

「だめだ、俺は師匠を斬れねぇ」


 彼の首に到達する直前、思い留まり剣を投げ捨てた。

 やっぱり俺には出来なかった。この別れは、あまりにも辛すぎる。


「あの、何やってるんですか? ふざけてるんですか?」

「ふざけてねぇ、俺は本気だ! テメェこそふざけんな! ちょっと顔が良くて乳デカくて強いからって、調子に乗んなよ!!」


 俺は初めて彼女に逆らった。あの日から、彼女に従うと決めたのに。


 彼女は無表情のまま、俺に近付いてくる。

 く、来るならきやがれ。俺はもう逃げない。


「あの、今のセクハラですよ? 女性にそんなこと言っちゃダメじゃ無いですか?」

「い、いつまでも、て、テメェの思い通りになると思うなよ」

「『手』か『足』どちらがいいですか?」

「じゃ、じゃあ、お、俺はその美味しそうなふ、太ももを、す、スリスリしてやるよ!」

「へぇー、いい覚悟ですねぇ」


 呂律が若干回らなかったが、俺は怯まない。

 本物の化け物じみた彼女だが、言ってしまえば彼女も人間だ。

 俺は師匠と何回も死線を潜り抜けてきた。もう怖いものなど何も無い――


「本当に強くなりましたね、勇者様。見違えました」

「え、あれ?」


 彼女はそう言った後、俺を無視して師匠アポロメアの方に歩み寄った。


「あなたは勇者様にとって大事な存在となってしまいました。私としても、殺してしまうのは惜しいです」

「姉さん、一体何を」


「アポロメアさん、人間側に寝返りませんか?」




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