第21話 可惜身命
気まぐれに空を眺めていると、ちょっとだけ面白い形をした雲が浮かんでいた。すぐに形は変わってしまったけれど、思わず二度見してしまうような不思議な形をしていた。
あれ以来言葉を発することも感情を表に出すことも無くなったお兄さんは陽一君の姿を見ても何も変わらなかった。それでも、食事は三食きちんと残さずに平らげているので、その点だけは安心してもいいのだろう。
陽一君はおばあちゃんが苦手のようで、私と二人で遊んでいる時は楽しそうに笑ったりもしているのだけれど、おばあちゃんが近付いてくると途端に無口になってしまう。今ではどれくらい近くのおばあちゃんがいるのかがわかってしまうのだけれど、それは私だけしか知らない秘密だと思う。陽一君は私以外の人と遊ぶことはないし、お母さんのお見舞いに行く事も、お父さんの様子を見に行く事も断っているのだった。
いつものように陽一君が静かになっていて、そのすぐ後におばあちゃんが部屋に入ってきた。おばあちゃんは私と陽一君の姿を見るといつもの優しい顔になるのだけれど、それでも陽一君はおばあちゃんの事が苦手なのか怖いらしい。
「その子は幽霊とか神様とかには今までたくさん接してきたとは思うんだけど、私の近くにいる精霊がどんな存在なのか理解出来なくて怖がっているのかもしれないね。危害を加えることは無いんだけど、そんな事を言ってもちゃんと意味が伝わることは無いと思うし、どうにかしてこの子を守っている神様と話が出来ればいいのだけど、美春は何かいい考えがないかね?」
おばあちゃんが知らない事を私が知っているわけも無いと思うのだけれど、いくつか心当たりはあるのだ。それがいい事なのか悪い事なのかはわからないけれど、試してみると意外と何とかなるような予感もしていた。
そのためには、お兄さんが少しでも元に戻ってくれる必要があるのだけれど、そのためにはもう一度だけ柏木さんの力に頼るのが一番なのかもしれない。お姉ちゃんでも良さそうだけれど、柏木さんに比べてお姉ちゃんは頼りないし、お兄さんにも信頼されていないと思う。その点から考えてみても、柏木さんを呼んでお兄さんと少しでも会話をしてもらう事が大事だろう。お兄さんが少しでも自分を取り戻すことが出来たら、陽一君についている神様がどんな感じなのかわかるかもしれない。
柏木さんを呼ぶこと自体は簡単なのだけれど、柏木さんを呼んでいるいる間は私が無防備になっているので、誰かに助けてもらう必要があるのだ。かといって、あまり近くで守られていても柏木さんを呼ぶ邪魔になるし、遠すぎると守りが薄くなってしまう。
前回は幽霊たちの活動が割と制限されてしまう満月の夜に実行することが出来たので、それほど邪魔をされずに済んだのだけれど、今夜はほぼ新月に近いと思うので闇夜に隠れて様々な霊がやってきてしまうかもしれない。
満月まで待つことも出来るのだけれど、これ以上お兄さんの精神を壊れたままにしておくと、柏木さんでも元に戻せなくなってしまうかもしれないのだ。
柏木さんの魂の仮置き場として私の体を使う事になるのだけれど、私の魂は柏木さんが行動をしている間後ろで見守っているのだ。ある程度説得することが出来て、陽一君の守り神の正体が絞られたところで私の魂は自分の体に戻るのだが、その瞬間が一番危険なのだ。魂が抜けて無防備な状態になっている体に他の霊体が入ってしまう事もあるのだ。ほとんどの場合は私の体に合わないので強制的に排除されてしまうのだけれど、時々だが私の体に合う霊体もいるのだ。特に、今回は草薙家の敷地内で行ってしまうのでいつも以上にその可能性は高くなってしまう。
祀られているご先祖様や今まで戦って封印してきた悪霊の数々もいるのだけれど、一番問題なのは、私のお姉ちゃんがまだこの辺りを彷徨っている事なのだ。
お姉ちゃんは自分の状況をちゃんと理解しているのだけれど、往生際が悪いので成仏をしようとしないのだ。生前のお姉ちゃんだったのならば、それほど霊力が無かったので強制的に成仏させることも出来たと思うのだけれど、今では亡くなって完全な霊体となってしまい、周りの浮遊している霊力を取り込み続けているので、今では私と同じくらいの霊力を手に入れているのかもしれない。今まで何人もの人達がお姉ちゃんを成仏させようとしていたのだけれど、ことごとく返り討ちに遭ってしまっていた。
何とかしてお姉ちゃんの注意を逸らすことが出来ればいいのだけれど、私はお姉ちゃんにそれほど興味が無かったのでどんなものが好きなのかもよくわかっていない。柏木さんなら知っているかもしれないけれど、柏木さんを呼んでしまってからでは間に合わないかもしれない。
色々な種類の結界を試してみたのだけれど、お姉ちゃんはどの結界も素通りしてしまうので意味がなさそうだし、結界を張ってしまうと柏木さんも呼べなくなってしまう。上手くいくかはわからないけれど、お兄さんが本当に壊れてしまう前に柏木さんを呼ぶことにする。早ければ早いほどいいと思うので、危険ではあるけれど、今夜実行する事にした。
柏木さんはこの世に強い未練があるのか、ちょっと強く念じてみるとその姿を確認することが出来る。それくらい簡単に呼ぶことが出来るのだ。普段はこの世とあの世の境目に隠れているようだけれど、私が呼ぶと簡単にこの世にやってくるあたり、他の霊と違って力と経験があるのだろう。柏木さんの横には当たり前のようにお姉ちゃんもいるのだけれど、私はどのタイミングで柏木さんと入れ替わるのがベストなのだろうか。わからないけれど、とにかくここは運を天に任せてみることにしよう。
軽く夕食をとってからお風呂に入り、陽一君を連れてお兄さんの幽閉されている部屋へと向かった。お兄さんがいる区画の電気は遮断してあるので暗い廊下を歩いているのだけれど、今夜は月もほぼ無い状態で足元はうっすらと見える程度だった。
途中の部屋や外にも何人か霊能力が強い人たちを配置しているのだけれど、そこの近くを通る時に陽一君は一人ずつ数を数えていた。偶然かもしれないし、その事に意味があるのかはわからないけれど、お兄さんの幽閉されている部屋に着いた時には、配置されている人数よりも五人多い数になっていた。
そのまま黙って立っているのも落ち着かないので、お兄さんのいる部屋の鍵を開けて中に入ると、お兄さんの近くで困っている様子で落ち着きのない柏木さんと、私を見つけて嬉しそうに笑っているお姉ちゃんがいた。
お姉ちゃんは自分の置かれている状況を理解していないはずはないのだけれど、私が柏木さんと入れ替わる準備をしている時も手を振って来たり、陽一君と遊ぼうとしたりと理解できない行動を取っていた。
準備も整ったので窓を少し開けると、外にいる人達が緊張の糸を張り詰めているのが伝わってきた。誰一人として気を緩めている人がいないので、お姉ちゃんが気になるけれど私は柏木さんに体を預ける事にした。
「美春、元気そうでよかったよ。お姉ちゃんは美春が心配で成仏するの避けてるんだよね。それが良くない事だってのはわかっているんだけど、こうでもしないと美春とちゃんと話すことなんて出来なかったからね。お姉ちゃんは美春が強い能力者だって知ってるんだけど、心がそれに追いついていない事も知っているんだよ。だから、もう少し頼ってほしかったんだけど、美春から見たら頼りないお姉ちゃんだと思うし、頼りたくなんかないよね。だけどさ、最後にこうして美春と直接話すことが出来て良かったと思うよ。他にも違う方法はあったかもしれないけれど、これが一番早い方法だと思ってたんだよね。あのおじさんは私を殺したって勘違いしているかもしれないけれど、本当は私が殺されてあげたんだよね。美春まであのおじさんが私を殺したと思ってたかもしれないけれど、あの程度の悪霊と神様に殺されるわけないんだよね」
「ちょっと待って、お姉ちゃんは何を言っているの?」
「やっぱり、美春もお姉ちゃんの力を信じていないんだね。美春は誰よりも強いし、歴代の霊能力者の中でも上位に入るくらい戦えると思うけれど、霊と戦うってのは単純に霊力の比べ合いじゃないんだよ。おばあちゃんだって霊能力は無いけれどずっと家を守っているし、私だって美春の才能が開花するまでは最前線で戦っていたんだからね。美春とは違う方法でだけどね」
「それは知っているけど、最前線って言ってもお姉ちゃんって他の人に戦わせていたんじゃないの?」
「それは正解だけど、完璧な正解を言うと、お姉ちゃんは最前線で誰が一番相性が良くて被害を抑えられるか教える係だったのよ。時々だけど、お姉ちゃんが一番の時だってあったんだよ。美春みたいに相手を選ばないで戦えればいいんだけど、お姉ちゃんはそういうタイプじゃないしさ、みんなが無事に帰る事が重要だと思ってたんだよね」
そう言われてみると、お姉ちゃんからアドバイスを貰った時はいつもより手ごたえを感じない相手が多いと思っていたのも納得出来た気がした。お姉ちゃんは私とは全然違う戦い方をしていたんだと気付かされた。
ちょっと待てよ、お姉ちゃんはさっきの口ぶりだと神様が見えるみたいな言い方をしていたんじゃないかな。
「あのさ、お姉ちゃんって、神様も見えるの?」
「神様だけじゃなくておばあちゃんの精霊も見えるよ」
「ちょっと、美春はそんな事聞いて無いんだけど」
「美春も見えると思っていたから言わなかっただけだし、私より霊能力の強い美春に見えないって思う方がおかしいでしょ」
「そう言われてみたらそうだけど、それでもびっくりだよ。じゃあ、陽一君についている神様の正体ってわかるの?」
「あの子についているのは神様じゃないと思うよ。だって、私達幽霊と同じようにあの世とこの世の隙間に入っているし、どちらかと言えば極端な人見知りであの子の前以外には出たくないみたいだよ。特に、美春みたいに幽霊を見たらなんでも除霊しちゃうような人は苦手なんだってさ」
「もう、それならお姉ちゃんがその人にお願いしてきてよ」
「何をお願いしてくればいいのかな?」
「とりあえず、私もおばあちゃんもみんなも陽一君に危害を加えるつもりは無いし、安心していいよって事と、陽一君がこれから手に入れるであろう能力を封印して使えなくするけど邪魔しないでって事かな」
「お願い事ってその二つだけでいいのかな?」
「うん、今のところはそれで十分だけど」
「美春からお姉ちゃんにお願いする事ってあったりしないのかな?」
「お姉ちゃんになんてないよ。あるとしたら、今まで誤解していた事を謝りたいので許してほしいってのと、ちゃんと成仏しても平気だって私を信じて欲しい事かな」
「それならもう叶っているよ。それじゃあ、可愛い妹のお願いだし、ちょっと話付けてくるね。それにしても、柏木が入っているってわかっていても、美春があんなことをしてるのはあんまり見たくないもんだね」
後ろを見ると、柏木さんが私の体を使ってお兄さんに抱き着いていた。私がある程度の制限をかけていなければもう少し危険な感じになっていたかもしれない。それでも、柏木さんは私の体を使ってお兄さんに触れ続けようとしていた。お兄さんから見えているのは私の姿なのか柏木さんの姿なのかどっちでも良いのだけれど、私と抱き合っているという記憶があるのならば、その部分だけでも消してもらいたいと心から思ってしまった。
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