第19話 無彩色

 先ほどとは違って、今は暗闇の中にいることがたまらなく不安に感じてしまい、それでいて底知れぬ恐怖感を覚えてしまった。何がそこまで違うというわけでもないのだけれど、いつも以上に暗闇が怖くなってしまっていた。


 耳元に美春の声が聞こえているのだけれど、その内容が全く理解できない。何を言っているのかわからないけれど、俺にとって良くないことが起るのだろうとは予想がついた。どんなことが起るのかは想像も出来ないけれど、このままだと柏木と同じような事になるのだろう。


 時々聞こえる足音と金属音。その二つが少しずつ近づいてきているのだけれど、俺の前から聞こえているのか後ろから聞こえているのかはわからない。音が複雑に反響していてどこから鳴っているのかがわからないのだ。


 その時、不意に首元を優しく掴まれてしまって体がビクッと勝手に反応してしまった。首を緩やかに絞めている指は体温を感じられないくらい冷たく、まるで屋外に展示されている銅像に触れた時のように冷えていた。

 その指は俺の首を本当に軽くだけ絞めているのだけれど、それ以上は何もしてこないのだ。それに、そこには手があるだけで人がいるような感じではない。なぜなら、両手の角度的にも俺の体に相手の体が少しも振れずに首を絞める事なんて出来そうにないからだ。


「奥さんは今でもお兄さんの事を待っているみたいだけど、お兄さんが原因であんな風になってしまったなんて思いもしないだろうね」


 ふいに聞こえた美春の声はさっきまで聞こえていたのとは違って意味もハッキリと理解出来た。理解は出来たけれど、俺と妻の問題は美春には関係ないはずだ。


「奥さんとはお話しできなかったけれど、お兄さんの家に行ってみたり、病室に行ってみて感じたんだけど、お兄さんって思い込みが激しそうだよね。奥さんもそういうところがありそうだけど、お兄さんの方がかなり面倒な感じだと思うよ」

「何が言いたいのかな?」


 俺は冷静を装ってはいたけれど、暗闇の中で首を絞められているのは心が落ち着かない。声が聞こえる方向からしても、この手は美春の者ではないと思われる。先ほどの人とも違うと思うし、この指は誰のものなのだろうか。


「お兄さんって自分で思っているよりも霊能力者としては優秀だと思うよ。直接何かを出来るタイプではないみたいだけど、あんな風に色んな神様を一か所に集めて揉め事を起こさせるなんて、普通の人なら思いつかないと思うし、思い付いて実行したとしても、その矛先は自分に向けられてしまうと思うんだよね。私でも同じことをして同じ結果にはならないと思うし、お兄さんの立場で実行したとしても、奥さんがどうにかなる前に私が死んじゃってるかもしれないよね。どうやったらあんなにたくさんの神様をまとめることが出来るのかな?」

「そんなのは知らないよ。君の言う通りだとしても、それはたまたま運が良かっただけだと思う。俺は君が思っているほど優秀ではないと思うし、本当に運が良かっただけだよ」

「確かに、お兄さんは運が良いのかもしれないね。普通なら草薙家の人間を殺めたりしたもんなら、今とは違う方法で手足の自由を奪われているだろうし、自分の姿が見えるような状況で色々されていると思うよ」

「はは、それは君の優しさに感謝すればいいって事かな」

「うーん、私はお兄さんの事は嫌いじゃないけれど、特別好きってわけでもないんだよね。興味があるのはお兄さんの子供だけなんだけどね」

「俺の子供が欲しいってのは、俺との子供が欲しいって意味じゃないのかな?」

「あはは、さすがにそれは無いわ。私はまだ年齢的には子供だと思うし、今の年齢で子供を産むつもりなんてないよ。それに、私の子供だからって満足のいくような能力を持っているとは限らないしね。その点、お兄さんの子供って結構いい素質を持っていると思うんだよね。もしかして、お兄さんの家系って、男子の方が能力を継承していくのかな?」

「そうかもしれないけど、俺の爺さんも父さんもそれなりの能力はあったと思う。俺が息子くらいの年の頃に見ていた得体のしれない影を認識していたみたいだし、それから守ってくれたりもしていたと思う。婆さんも母さんもそれには気付いていなかったし、俺が何か変な物を見たと言っても信じてくれていなかったからな」

「そうだとしたら、うちの家系とは逆だね。そう思ってみると、私とお兄さんの子供ってどんな風になるのか気になってきちゃうけどな」


 美春は何かを気にしているようなのだけれど、それが何なのかは俺にはわからなかった。何となく感じてはいたけれど、それを想像するのはとても怖い事であって、とても悲しい現実を見せられてしまうようだった。


「お兄さんが元気なうちに聞いておくんだけど、お兄さんの子供はどこに居るのかな?」

「俺が元気なうちってどういう意味なのか敢えて聞かないけれど、それに答えたとしたら俺はそのまま無事に帰れるのかな?」

「私は帰してあげてもいいと思うんだけど、うちの人達がそれはダメだって言うんだよね。一応聞くけど、子供の居場所を答えてから死ぬのと、子供の居場所を隠したままちょっと痛い目に遭うのとどっちがいいかな?」

「その選択肢の中にはないけど、息子の居場所は教えないで無事に帰りたいかも」

「それは無理かな」


 美春の言葉が合図になったのか、部屋の照明が少しずつ明るくなっていき、目の前に椅子に座っている俺の姿があった。俺は椅子に座っているのだけれど、手足は縛られているようには見えなかった。それでも自由に動くことは出来ず、自分の姿から目を背けることが出来なかった。首にはまだ絞められている感覚はあるのだけれど、目の前にいる俺の首には何もついていなかった。


「私がお兄さんに優しく出来るのはここまでなんだけど、最後に一つだけアドバイスしてあげるね」

「俺がここから無事に出られる方法かな?」

「そうじゃなくて、お兄さんって奥さんの事を呪おうとしてたけど、そんな事をしたってお母さんに復讐したことにはならないんだよ。奥さんとお母さんは別人なんだから、奥さんに復讐すること自体が間違っているよ」


 俺は母さんと妻を同一視なんかしていないし、母さんの代わりにどうにかしようなんて思ってはいなかった。それなのに、俺は母さんに出来なかった復讐を妻に対して行っていたのだろうか。自分では気付かなかったのか、気付いていたけれど隠していたのかわからないけれど、あって数日の美春にはそれが見抜かれていたのだから、俺は無意識のうちに復讐の相手を妻に重ねてしまっていたのだろう。


「もう一つだけ質問をするけど、それに答えてくれたら嬉しいな」

「息子の場所なら教えないけど」

「それは答えてくれなくてもわかる事だからいいんだけど、お兄さんが死んだあとは奥さんを元に戻してあげてもいいのかな?」

「そんな簡単に戻せるもんなのか?」

「もう、答える前に質問するのはダメだよ。でも、答えてあげるね。すぐに戻すことは出来ないと思うし、神様相手だからそれなりに犠牲は出るかもしれない。それでも、一年くらいかければ元に戻せると思うよ」

「そんな簡単に戻せるんだとしても、そのままにしておいてもらえないかな」

「わかったよ。お兄さんの最期の頼み事だから聞いてあげるよ」

「じゃあ、俺からも一ついいかな?」

「お兄さんの願い事は聞けないと思うけど、言うだけならどうぞ」

「俺の息子を見つけたとして、どうするつもりなのかな?」


 鏡越しに写っている美春は少し考えているようだけど、俺の方を向いて笑顔を見せてくれた。


「そうだね、お兄さんの子供が成長する前に力を全部貰う事になると思うよ。でも、お兄さんと違って殺されたりはしないと思うから安心してね」


 美春は俺に向かってウインクをすると、そのまま部屋から出て行ってしまった。

 少しずつ照明が落ちているようなのだけれど、目の前に見えている俺の姿は変わらずハッキリと見えていた。照明が完全に落ちているのにそこにある俺の姿はハッキリと見えているのだ。


 目の前にいる俺は椅子から立ち上がっているのだけれど、ここにいる俺は椅子に座ったままだった。目の前の俺が何者かに殴られているのだけれど、座っている俺も同時に殴られているような感覚に襲われていた。耐えられないほどの痛みではないのだけれど、全く気にならないというわけではない。少しだけ自由になっている右手で殴られた頬を触ってみても殴られたような感触はなく、痛みも完全にひいていた。

 目の前にいる俺が今度は大きな動物に噛まれているのだけれど、俺はその痛みを感じてはいるのだけれど、噛み傷は無かった。

 その後も目の前の俺は様々な痛みを与えられていたのだけれど、俺自身はそれほど痛みを感じていなかった。

 痛みはほとんど感じていないのだけれど、少しずつ自分の体が重くなっているように感じていた。重くなっているというよりも、体を動かそうと思えなくなっていたのかもしれない。


「お待たせいたしました。では、これから藤井様に陽一様の居場所をお尋ねいたします。ですが、すぐにお答えいただかなくて結構でございますので、どうか私を楽しませてくださいませ」


 俺と目の前にいる俺の間に現れた女は両手に何かを持っているようだけれど、そこには光が当たっていないのでハッキリと確認することは出来なかった。暗くてわからないのだけれど、そこには小さい顔のようなものがあるように見えた。


「これが気になるのですか?」


 俺の答えを待たずにその両手に持っているモノを俺の目の前まで上げると、それらと一気に目が合った。女が手に持っている無数の小さい顔は俺と目が合うと、各々が一斉に歌を歌い出した。その歌はメロディーも言語も統一されているわけではなく、揃っていないことが少しずつ不快感と恐怖感を増大させていった。


「これは顔だけしかないんですけど、噛むことは出来ますのでご安心くださいませ。と言いましても、蟻に噛まれた程度の痛みしかないので問題ないと思いますが、痛みに耐えきれないと思いましたら陽一様の居場所をお答えくださいね」


 女は表情を一切変えずに淡々と俺にそう告げると、手に持っていた顔を俺に向かって投げつけてきた。その顔は俺に当たると下に落ちたものもあったのだけれど、いくつかは俺の服に噛みついていた。そのままゆっくりと俺の体を噛んでいるのだけれど、先ほど感じていた痛みの何倍も痛みを感じてしまった。

 下に落ちた顔も俺の足や垂れ下がっている手に噛みついていたのだけれど、その痛みは我慢できるものではなく、思わず叫び声をあげてしまった。


「藤井様は痛みに強いと思いますので、そのような演技はなさらなくても結構ですよ」


 女は少しだけ抑揚の付いた声でそう言っているのだけれど、それは大げさに演技をしているのではないし、本当に痛みが耐えられそうにないのだ。

 耐えられない痛みに何とか耐えているのだけれど、俺を噛んでいる顔から短い手が生えているように見えていた。それは目の錯覚でも気のせいでもなく、俺を噛んでいる顔から手が生えてきていた。

 その手は俺の体を不規則なリズムで叩いているのだけれど、いくつあるのかわからない数の顔から一斉に生えた手が俺の体を叩き続けていた。それにも耐えることが出来ずに絶叫してしまって、息子の居場所を叫んでしまった。


「おやおや、今のは陽一様の居場所でしょうか。ですが、藤井様は痛みにお強い方ですので、時間稼ぎなのかもしれませんね。一応確認に向かわせておきますが、その情報が嘘かもしれませんのでもう少し楽しませていただきますね。藤井様の力を頂いたこの子達も少しずつですが成長していますし、もう少しだけご協力お願いしますね」

「嘘なんかつかないって、俺はもう限界だ。頼むからこいつらを離してくれ」


 いつの間にか俺を噛んでいた顔は小さい人の形になっていて、その手足で俺の体をしっかりと掴んで噛みついていた。痛みは先ほどと変わらず耐えているのも信じられないくらいなのだった。


「藤井様、申し訳ございません。痛みの感覚をあちらの藤井様に移すのを忘れてしまいました。先ほどと同じように自分が痛めつけられている姿をゆっくりご覧くださいませ」


 女が指を鳴らして合図を送ると、俺の体についていた顔が目の前にいる俺に噛みついていた。その姿を見ているだけの俺も少しだけ痛みを感じているのだけれど、それは先ほどとは違って耐えられないものではなかった。

 俺に噛みついている顔が先ほどのように少しずつ成長しているのだけれど、最終的には小さな人になっているのも一緒だった。俺の体にまとわりつく無数の小さい人が俺の体を噛み千切ると、先ほどに近い痛みが体を襲っていた。それは一瞬だったけれど、先ほどよりも強い痛みを感じていた。


 意識が遠くに行きそうになっていると、女が俺に向かって微笑みかけていた。


「ありがとうございます藤井様。陽一様は先ほど藤井様が仰いました場所で保護することが出来ました。その場に居ました男性と女性も一緒に保護いたしましたが、陽一様とは別にこちらにご案内する手はずとなっておりますので。ここで藤井様と一緒にお楽しみいただくことになると思いますが、その時には私とは別のモノが対応いたしますので、最期までお楽しみくださいね」


 女が再び合図をすると目の前にいた俺の姿が消えていた。痛みと服に滲んでいる血液は消えなかったけれど、俺は少しだけホッとしていた。


「そうそう、陽一様たちが到着するまでの間は私の姉がお相手いたしますので。姉は私と違って霊能力がございませんので痛みを移すことが出来ません。身内の恥をさらすようで心苦しいのですが、霊能力がないため直接的な痛みを与えることになってしまいます。と言いましても、藤井様でしたら無事に耐えられるとは思いますので、また明日にでもお会いいたしましょう」


 部屋から出て行った女と入れ違いで入ってきた女は台車に大きな箱を二つ乗せていた。俺の目の前に台車を止めると、その上に載っている箱の蓋を嬉しそうな笑顔で開けていた。


 箱の中から出てきたソレは俺を冷たい目でじっと見つめていたのだけれど、それから目を離すことは出来なかった。

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