第18話 弁当箱

 窓一つない部屋の中で俺は身動きが取れないでいた。そんな真っ暗な部屋の中でどうやらどこにでもありそうなパイプ椅子に座らされているようだった。声を出そうにも何かを加えさせられているようで上手く発声することが出来ない。その上で、手足をパイプ椅子に固定されているのだから、身動きのとりようも無いのだ。

 固定されているのは手足だけではないようで、額も何かに固定されているのか、顔を動かすことも出来なかった。動かしてみたところで何も見えないくらいの暗さなのだから意味は無いのかもしれないけれど、それでも何も見えないことに不安はそれほど感じていなかった。

 小さい時から暗闇には慣れていたと思うのだけれど、ここまで暗い状況に置かれたことは無かったので、もしかしたら目隠しなどをされているのかもしれないと思っていると、後ろの方から扉が開くような音が聞こえてきた。


 誰かが部屋の中に入ってきているような感じはするのだけれど、視界の隅にも光は届いていなかったので、本当に人が入ってきているのかも疑問に思えてしまった。

 誰かが真後ろに立っているような感じはするのだけれど、誰かがいるような気配は感じているのだけれど、その誰かの息遣いは聞こえてこなかったので、本当はそこに誰もいないのではないかと思ってしまった。


「藤井さんも捕まる事ってあるんですね」


 俺の耳元に囁いた聞きなれた声の主はもうこの世にいないはずなのだけれど、耳に吐息がかからなかった事が逆に俺を冷静にさせた。

 聞きなれた声の主である柏木満智子は俺の口にはめられていたモノを外すと、そのまま目隠しも外してくれた。

 不思議なもので、目隠しをされていると思った時から目を閉じていたのだけれど、目隠しを外されてから目を開けても、そこは変わらずに漆黒の世界だった。

 目の前に柏木満智子がいるのはわかるのだけれど、その姿は確認できなかった。それでも、そこに柏木満智子がいることはわかっていた。


「君は亡くなったって聞いていたんだけど、生きていたみたいで良かったよ」

「はい、私はもう亡くなっていますよ」

「でも、俺の後ろに君は立っているじゃないか」

「ここは草薙の本邸ですよ。私程度の死者を呼び寄せる事なんて造作もない事なんです」

「やっぱりここは草薙家の中なんだね。ところで、俺に何か用事でもあるのかな?」

「ええ、言いたいことは色々とあるんですけど、私にはそんなに時間が残されていませんので手短に」


 なぜか話していると少しずつ部屋が明るくなっているのか、暗闇に目が慣れ始めてきたのか俺は二人の姿を確認することが出来た。

 柏木満智子の後ろにもう一人いるようなのだけれど、それが誰なのかはわからなかったのだが、そこに誰か一人いることは見えていた。


「藤井さんって私より凄いと思っていたんだけど、美春さんには手も足も出ない感じなんですね」

「あの子は俺と違ってホンモノだからね。俺だってそれなりに自信はあったし、お姉さんを見た時は余裕だなって思ってたんだよ。それでも、あの子の姿を見た時に全て悟ってしまったよ」

「でも、藤井さんの目標が達成できたのは良かったんじゃないですかね」

「そうだね、君の前で言うのは申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、俺は妻を愛していた。いや、今も変わらずに愛しているよ。それでも、復讐はしなくちゃいけなかったんだよね」

「前から言ってましたもんね。家族がバラバラになるきっかけを作った人に復讐するのが藤井さんの生き甲斐だって」

「ああ、妻には申し訳ないと思うし、本当は関係ないってわかっているんだけど、それはどうしようもない事だからさ」

「藤井さんはここから出たらどうするんですか?」

「ここから出たらか、出られるとは思わないけれど、もし出られたら息子に会いに行くかな」

「お子さんは大丈夫なんですか?」

「ああ、信頼出来る人に預けてあるから大丈夫だと思うよ」

「私が様子を見てきましょうか?」

「そんな時間が君に残されているのかな?」

「見てくるくらいなら大丈夫だと思いますけど、もしかしたら、お子さんって私の今の姿が見えちゃうかもしれないですね。そうだとしたら、何か伝えてきますか?」

「うちの息子は俺より才能あると思うし、君と話が出来るかもしれないけれど、それはやめておくよ」

「どうしてですか?」

「やっぱり自分の目で直接見たいし、自分の言葉を直接伝えたいからね」

「そうですか、それなら私はここで帰る事にしますね」


 柏木満智子は俺の顔に触れながらそう言うと、そのまま気配も感じることが無くなってしまった。

 今まで柏木満智子がいた場所のすぐ近くにもう一人いるような気がするのだけれど、その人物は俺に近付いてくるわけでも離れていくわけでもなく、そこにただいるだけだった。もっとも、時々聞こえる息遣いで生きている人だという事はわかったのだけれど、それがわかったとしても何も見えない今の状況では意味がなかった。


 永遠とも思える空白の時間が続いていたのだけれど、それを打ち破ったのは俺の腹の虫だった。何も見えず衣擦れの音しか聞こえないような空間に鳴り響く俺の腹の音は自分でも顔が赤くなるのがわかるくらい恥ずかしさを感じてしまった。

 その音が合図になっていたのか偶然なのかわからないけれど、一瞬にして部屋の明かりがともると、あまりの眩しさに俺は目を固く閉じてしまった。

 そのまましばらく我慢していると、次第に目が慣れてきて少しだけではあるけれど目を開くことが出来た。


 狭い視界から見える世界は思ったよりも簡素なもので、縛られていると思っていた俺の手足はそのような様子もなく、首も自由に動かすことが出来た。

 俺の目の前に立っている人がどこかに合図を送ると、その少し後に三人組が入ってきて俺の目の前にお弁当をそれぞれ置いて行った。どれも蓋が外されているので中身が見えているのだけれど、三つとも内容は同じだった。俺は恐る恐る目の前の弁当に手を伸ばしてそれを平らげた。


「よろしかったらもうお一つどうぞ」


 弁当を食べ終わってもう一つの弁当をチラチラと見ていた俺だったのだが、目の前にいる人がそう勧めてくれたのでもう一つの弁当に手を伸ばす事にした。

 一通り食べてみると、最初に食べたのと全く同じだという事に気付いたのだけれど、ここまでくると最後の一つも同じなのか気になってしまう。気になってしまうのだけれど、さすがに弁当を三つも食べることは出来なかった。


「三つめは良いのですか?」

「はい、さすがに三つは食べられないです」

「では、これは下げてしまいますね」


 その人は空になった弁当箱と一緒に最後の一つを持って部屋を出て行った。俺もそれに続いて出ようと思ったのだけれど、なぜか思うように体が動かず椅子から立てなくなってしまった。


 そのまま部屋の灯りが弱くなっていき、先ほどと同じ漆黒の世界に一人取り残されることになってしまった。

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