第15話 昼食後
全てが片付いたら息子を連れて遠くに行こうと思っていたけれど、今の状況ではしばらくどこにも行けそうになかった。息子にも会いにいけないし、妻の面会に行く回数も少しずつだけど減っていっている。行くたびに警察の人と話をするのが面倒に感じてしまったり、いつの間にかどこかへ消えている鵜崎美春の事を考えてしまうのも疲れてしまった。
楽になりたい気持ちが出てきてはいるけれど、今の状況でそれを選んでしまうと俺だけが負けになってしまうように思えていた。実際は勝ち負けの問題ではないのだけれど、それでも俺は負けたくないと思ってしまう。何が勝ちで何が負けなのかは誰もわからないけれど、少なくとも俺は負けてはいないと思う。
ずいぶんと久しぶりに行った職場は俺が知っている雰囲気と少し変わっていて、皆が気を使って俺の妻の話題を避けてくれるのが嬉しくもあり、少しだけ辛かったりもした。オフィスに出向いてもする事は特にないし、家にも来週の頭から帰れることになったので、ますますオフィスに来る用事が無くなってしまった。
特にやる事も無かったのだけれど、一通り連絡事項をまとめていると、良美さんが俺と妻あてにちょっと高いお菓子をくれた。良美さんは去年の花見で妻と意気投合して時々遊んでいるらしく、俺が出張から帰って来た時に見かけることもあった。心から心配してくれているのだろうけれど、その原因を作ったのが俺だと知ったらこの子はどんな反応をするのだろうかと想像してみると、少しだけ気が晴れたような気がしていた。
午前中で仕事を切り上げてホテルに戻ろうかと思っていると、ホームの奥から俺に手を振っている鵜崎美春の姿を見つけてしまった。気付かなければそのまま電車に乗り込んでしまえたのだけれど、思いっきり目が合ってしまったので避けることは出来なかった。
「今日は会社に行くって言っていたから帰りは夜かと思ってましたよ。これからどこかに行くんですか?」
「どこにもいかないけど、少しお腹が空いてきたから何か食べようかと思ってるくらいかな」
「それなら、私がいい店を知っているんで案内しますよ。ネットで見ただけで実際に行ったことは無いんで、味がどうかはわかりませんが、きっとおいしいんだと思いますよ」
そのまま電車に乗って三駅ほどで降りると、鵜崎美春の案内してくれたレストランに付いた。そこで美春が帰ろうとしていたので、一緒に食べていくかと誘ってみると、持ち合わせが無いから今日は遠慮しておくとの事だった。俺はそんな事ならと食事代を出してあげたのだけれど、調子に乗った美春はデザートは他の店がいいと言っていた。図々しいとは思っていたが、ここまで欲望に素直だと逆に気持ちいいもんだ。
デザートは期間限定のパフェが食べたいと言っていたのだけれど、それがカラオケ店だったのは意外だった。美春の地元にもありそうな感じはしているけれど、俺が高校生の時は休みの日は大体カラオケに行っていたのでいつの時代も変わらないもんだなと思っていた。
二人とも何かを歌うでもなく、美春はパフェを食べていて俺はコーヒーを飲んでいた。何も歌わないんなら一時間でもいいかなと思っていると、パフェを食べ終わった美春が俺の横に移動してきて、俺の目をじっくりと見ていた。
何かを見通すような瞳には何が見えているのだろうか、俺はその視線を避けることが出来ずに見つめることしか出来なかった。ゆっくりと息を吐いた後に美春は目を閉じて俺の事を押し倒してきた。
「お兄さんって私がしたかったことをやってくれているみたいなんですけど、それって何か理由があるんですか?」
「君がしたかったことって何かわからないんだけど」
「私はお姉ちゃんが好きだけど、好きだからこそ死んでほしいなって思っていたんです。私達の家系は霊能力がある程度備わっていて、普通の人だと気付かないような現象に気付いていたり、見えないものが見えたりするじゃないですか。そんな感じなんで、小さい時から無意識のうちに危険とか回避できるようになってしまっていて、色々とお姉ちゃんに仕掛けてみても全部躱されていたんでしょね。それなのに、出会ってほんの少しの間にお姉ちゃんを殺すことが出来るなんて、お兄さんは凄いですよ。私にその方法を教えてくれたらお父さんとお母さんも一緒に始末しちゃうと思うんですよね」
「ちょっと待ってもらえないかな」
美春がお姉ちゃんの事が好きだけど殺したかったのはなんでなのだろうか。俺は妻を殺したいわけでもないんだけど、今の美しい姿を保っていて欲しいとは思っている。きっと、それとは違う理由なんだろうな。
「私のお姉ちゃんは霊能力者としてはそこそこ優秀だったんですよ。私の間に二人の兄妹がいることはほとんどの人が知らなかったんですけど、その二人と比べても優秀だったのかもしれません。でもね、そんな優秀なお姉ちゃんも私から見たら一般人くらいにしか見えないんですよね。それなのにいつもいつも偉そうにしてて、私に対抗してなのかわからないけど、私がちょっといいなって思ったモノはなんでも先に手に入れていたんです。今みたいに自分の力を自由に使えてたら反抗も出来たと思うんですけど、今と違って私はそこまでコントロールが上手くできなかったので、いつもお姉ちゃんに抑え込まれてました。私はそれが悔しくて悔しくてたまらなくて、いろんな人に力の使い方を教わりに行っていたんです。その結果、私はお姉ちゃんよりも強くなっていて、特に何かをしなくてもある程度の霊は払えるようになりました。その時にはお姉ちゃんと私の評価は逆転していて、お姉ちゃんの近くにいた大人たちも私の周りに集まるようになっていたんです。それでも、私は小さい時からのトラウマなのかお姉ちゃんに逆らうことが出来なかったので、周りの人達からは仲良し姉妹のように思われていたと思います。一緒にお仕事をした時もお姉ちゃんは何もしていなかったのに褒められていて、少しでもミスがあると私は責められていました。そんな時に、柏木さんからお兄さんの家の話を聞いて写真を見ると、お姉ちゃん一人ではどうにもできなそうな相手が見つかったんです。それがお兄さんの家です」
美春は何を思っているのかわからないけれど、その瞳から大粒の涙が一滴流れ落ちた。俺の顔に当たったそれを指で拭うと、美春は嬉しいのか照れているのかわからないけれど、手のひらで隠した表情は笑っているように見えた。
俺は美春の肩を押して体勢を戻すと、美春をそのまま隣に座りなおさせた。
「俺の予定では柏木が君を連れてくるとはずだったんだけど、それは君が変えたのかな?」
「ええ、私が行くようにってみんなから言われたけど、私がみんなの前でお姉ちゃんを推薦してみたの。そうしたらお姉ちゃんはやる気になって柏木さんと一緒に行ったのよ。周りの人も私が一緒に行くようにって言っていたんだけど、初日はお姉ちゃん一人で行って二日目の昼から私が合流することで話をまとめたのよ。それでも心配だったんだけど、お兄さんは見事にお姉ちゃんを片付けてくれたのよね。柏木さんの協力もあったとは思うんだけど、聞いていた話よりも数倍強力な感じだったのね。あれなら私が一緒でもお姉ちゃんは助からなかったと思うし、どうせなら近くで見とけばよかったかなとも思っているんだよ。大好きなお姉ちゃんの最期って一度しか見ることが出来ないもんね」
「それでも、君ならお姉さんを助けることは出来たんじゃないかな?」
「それはそうだと思うけど、その場にいたとしても私は固まって動けなくなっていると思うわ。哀しいとか怖いとかじゃなくて、今までの苦労がこの瞬間に報われているんだって思ったら、変に動いて見逃したくないと思うはずだもの」
俺は何と言っていいのかわからないけれど、この姉妹は俺が柏木から聞いていた以上に複雑な関係になっていたようだ。そのお陰で俺が最初から思い描いていたように妻は動けなくなっていたのだろう。
「お兄さんと柏木さんって深い仲なのよね?」
「ああ、そういう関係だと思ってくれていいよ」
「それなら柏木さんにも感謝しておかなくっちゃね。命まで奪うのはちょっとやりすぎたかもって思っていたけど、私の気持ちを知っているんだから仕方なかったかもね。そういう意味だと、お兄さんも同じことになるのかな」
俺を見つめる瞳から光が消えたように見えたのは、俺の思い過ごしだといいな
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