第7話 安堵

 私の不安を感じ取ったのか、息子は私の手を握ってくれていた。私よりも強いのかもしれないと思いながらも、それではいけないと思い息子を抱きしめた。

 旦那は先ほど撮っていた写真を見返しているようなのだが、運転席にいる旦那の様子は後部座席からでは良く見えなかった。パソコンで見た方が写真の細かいところも見えやすいとは思うのだけれど、息子にも見えてしまうだろうし、何か見えてはいけないものが写っていたらもう家の中に入れる気がしなくなってしまいそうだ。


 いつまでも駐車場に留まっているのも怖い気がするけれど、家の中には何かがいる様子も無いし、安全なのではないかと持っていると、旦那のスマホに着信があったようだ。


「草薙さんから電話がきたんで……出てみるよ」


 旦那がその電話に出ると、何かを説明されているのかしきりに相槌を打っていた。スピーカーにして私も一緒に話したいとも思っていたけれど、息子を不安にさせてしまうかもしれないと思って旦那の電話が終わるのを待っていた。

 家に入らずに車の中にいる状況も不安に感じてしまっているかもしれないけれど、息子はぐずる事も無く、黙ってチャイルドシートに座っていた。

 お菓子を渡しても食べようとはせず、飲み物も口にしていないので少し心配になってしまったけれど、それでも泣いたりしていないところは強いのだと思った。いつもと違って落ち着きがあるのも本質的な強さを感じていたのかもしれない。


 よくよく考えてみると、息子の視線の先にいるのが私でなないような気がしていた。息子の見ている先は私だと思っていたのだけれど、私の方を見ているのに先ほどから目が合わないような違和感を感じていたのだ。息子の視線の先を追ってみると、位置的には玄関をじっと見ているようだ。


「陽ちゃんはもうお家に帰りたいよね。お風呂に入ってお布団に入ろうね」

「……うん」


 息子の反応が悪いのは疲れているからなのか車の中で退屈になったからなのかまだ眠いのかわからないけれど、一つだけわかる事は、息子の視線がゆっくりと動いていて、今は家のある方から逆の方向を向いているのだ。


「陽ちゃんはお家に帰りたくないのかな?」

「ダメだよ」

「どうしたの? 何がダメなのかな?」

「わかんない」

「そっか、それならママとお話ししようね」

「うん」


 そうは言ってみたものの、私は何を話せばいいのか困ってしまった。テーマパークで楽しかったことや美味しかったご飯の話をしてみても反応は芳しくなく、何かが気になっているようだ。


 電話を終えた旦那は先ほどよりも落ち着いているようで、深く息を吐くと私に状況を説明してくれた。


「草薙さんの話では、これから質問することに嘘をつかなければ選択肢は二つになるらしいんだけど、僕は君を心から信頼しているし、君にも僕を信頼してもらいたいと思っているんだけど、僕は君を信じて質問をしてもいいかな?」

「ええ、私は嘘をついたりしないわ」


 旦那の言葉を聞いて私が即答すると、旦那は安心したように微笑んでいた。その後にされた質問は私が想定もしていないような事だった。


「客間と二階にあった守り神なんだけど、君は何もしていないんだよね?」

「もちろん何もしてないわ。正直に言うと、埃を掃ったりするのも苦手だったの」

「それはすまない。でもね、草薙さんの言う話を聞くと、あの守り神は自らの身を挺して何かから守ってくれていたみたいなんだよね。僕も全部を理解しているわけではないんだけど、草薙さんの話では、守り神があの姿になっていて高い場所にあったのは、全てが終わった証拠らしいんだよ。僕もそれが信じられないし、君も信じられないかもしれないけれど、草薙さんが言うにはそれが真実らしい。詳しい事は現場を見てみないとわからないみたいだけど、今のところは歩き回っていた何かはいないと考えていいみたいだよ」

「それなら家に入っても良いってことなのかな?」

「もちろん、君も入った時に変な感じがしなかったなら大丈夫だって。僕にはそれを感じる力はないけれど、君と陽一が大丈夫なら平気なんじゃないかな」


 私は少し前からトイレに行きたかったのでその言葉を聞いたら安心して気が緩んでしまった。もう少しで危ない事になりそうだったけれど、それは何とか乗りきることが出来て、ゆっくりと用を足すことが出来た。

 久しぶりの我が家に戻って嬉しそうな息子は旦那と一緒に特撮ヒーローのフィギュアで遊んでいるようだった。手を洗っている時も旦那と遊んでいる息子の声が聞こえてきている瞬間に、日常が戻ってきた実感がわいていた。

 守り神が壊れている以外は出ていた時と変わらない我が家ではあったけれど、安心してしまった時には一気に疲労感に潰されそうになっていて、掃除をする気力も出てこなかった。

 洗い物はなかったので良かったけれど、洗濯機のタイマーをセットして明日の朝には干せるようにしておこう。お風呂の用意をしていると、旦那と息子がコンビニにアイスを買いに行く事になっていた。私も一緒に行きたかったけれど、少し疲れていたのと一人でちゃんと調べたいことがあったので、私は一人で家に残る事にした。

 旦那はちょっとした外出でも必ず鍵をかける人なので、今日も近所のコンビニに行くだけなのにしっかりと鍵をかけていた。車のエンジン音も聞こえなかったので、息子と二人で歩いて行ったようだ。

 私は二人が出て行った事を確認すると、ゆっくりと階段を上って二階の物置部屋の前に立った。扉は開け放たれているので中は丸見えなのだけれど、薄暗い室内の様子はハッキリとは確認することが出来なかった。

 スイッチを入れて電気を点灯させると、そこには先ほどと同じような光景が広がっていた。同じようなと感じた理由はあるのだろうけれど、ハッキリと断言できるような確信が持てないくらいの違和感を感じていたからだ。最初に確認した時は顔の正面がこちらを向いていたように見えたけれど、今は私の方ではなく違う場所を見ているような感じがした。顔の向きは変わっていないはずなのに、視線の先が違うような気がしてならない。

 少し怖かったけれど、顔を床に近付けて視線の先を追ってみると、そこは階段があるだけだった。先ほど聞こえた足音と関係があるのかはわからないけれど、私は恐怖を感じる事も無くその場に寝たまま考えることにしてみた。

 考えはまとまらなかったけれど、不思議と怖さを感じることが無かったので、今日はゆっくりと休めるような予感がしていた。旦那が戻ってくる前に一階に戻ろうと思っていると、普段は私が入る事も無い書斎が気になってしまった。

 仕事で使う資料や書類があるので息子がイタズラしないように普段は鍵がかかっているので、今回もしっかりと鍵がかかっていた。中が気になってしまっていたけれど、鍵がない以上中を確認することが出来ないのは仕方ない。旦那が帰ってきたら中を確認したいことを伝えてみようかと思うけれど、これだと旦那を信用していないと思われないかが心配だった。


 コンビニから帰ってきた二人は先ほどよりも上機嫌のように感じていて、息子は買ってもらったお菓子を食べようとして旦那に止められていた。

 買ってきたアイスを冷凍庫にしまうと、私にもお菓子をくれたのだけれど、今はそんな気分でもなかったので後で食べる事にした。

 そこで、私は旦那に書斎が気になる事を伝えてみると、旦那はあっさりと鍵を渡してくれた。


「鍵をかけているのは陽一がイタズラしないようにしているからなんだから、君が見たいって言うなら自由に見てもいいんだよ。じゃあ、今日は僕が陽一をお風呂に入れるからその間に見ておくといいよ。でも、大丈夫だと言われたからって気を抜いたらダメだからね。僕と違って君達は見えるみたいだから油断はしないと思うけど、君に何かがあったら僕は悔やんでも悔やみきれないからさ」


 私は旦那を信頼していると思っていたけれど、旦那は私がしている以上に私を信頼してくれているのが嬉しかった。その嬉しさに甘えていいのだろうかと思っていたのだけれど、私は旦那のやさしさに甘えて、書斎を調べる事にした。

 息子は嬉しそうに旦那とお風呂に行ったのだけれど、持っていた玩具の量を考えると一時間は入っていそうな感じがしていた。長風呂気味の旦那とお風呂で遊ぶのは息子も楽しいらしく、私と一緒に入る時とは違って持っていく玩具の数も多かったのだ。


 私は書斎の前に立つと、深く深呼吸をしてから鍵を開けた。

 部屋の中は特に変わった様子もなく、デスクの上も左右に設置された棚も綺麗に整理されていた。仕事用の資料は見てもわからないのでずらしてしまうと戻せないと思って軽く見ていたのだけれど、出張で行っていた場所のレポートや店のデータがまとめられているようだった。

 中には旅行の時に行った店などもあったみたいで、私も知っている場所はあったのだけれど、これならどこに旅行に行っても旦那に任せていれば失敗はしなそうだと思った。

 私は何もおかしなところは無いのを確認出来て満足していたので、そのまま鍵をかけて一階に降りてテレビを見る事にした。


 考えてみると、こうして何も考えずにゆっくりとテレビを見ることが出来るのは幸せだったのだと実感できるのも、何かわからないけれど不思議で怖い体験をしていたからなんだなと思った。


 お風呂から上がってきた息子は元気を取り戻したようで、私に駆け寄るとそのまま抱き着いてきた。風呂上がりだからなのかもともと体温が高いからなのか、私はその暖かい体に抱き着かれると、言葉に出来ないほどの安堵感と多幸感を覚えた。


 旦那も出てきたのでお風呂に入ろうとすると、息子が何か耳打ちをしようとしているので顔を近付けてみた。何を言うのかなと思って待っていると、息子はそのまま私の頬にキスをしてきた。

 そんな事も嬉しくなってしまって、私は幸せな気持ちでお風呂に入ることが出来ていた。


 浴室は入浴剤の良い匂いに包まれていて,暖かさもあってリラックスが出来る。顔を洗っている時に息子のキスを流してしまったかもと思っていたけれど、またあとでしてもらえばいいかと思ってそのまま頭と体を洗っていった。

 浴槽に浸かって何も考えずにぼーっとしていると、脱衣所に息子がきたようだった。

 旦那の姿は見えなかったので一人で来たのかもしれないけれど、何かを探しているのか動きがせわしない感じで落ち着きがなかった。

 こちらに話しかけてくる様子もなく、そのまま見守っていたのだけれど、息子は私の方へ向いてはいなかった。

 息子にしては髪が長いような気もしていたけれど、じっと見ていると身長も違うような気がしていた。

 旦那とも息子とも違うその人影は浴室のスリガラス越しにこちらを覗いているようで、こちらからもぼやけた輪郭の人が覗いているのが見えてしまった。

 私は怖くなってしまって、鼻の下までお湯の中に浸かっているのだけれど、覗いている人はどこかに行くような様子が見られなかった。

 スリガラス越しに見ている人は確実に私の方を見ているようだったのだけれど、私は目を逸らすことも出来ずにじっとしている事しか出来なかった。

 その人物がスリガラスをカリカリと指先で掻いているようなのだけれど、音が一切聞こえず、浴槽に落ちる水滴の音がやたらと響いていた。


 どれだけその状態が続いたのかわからないけれど、いつも以上に長風呂の私を心配して身にきてくれた旦那が脱衣所の扉を開けると、その人影は消えていった。最後までスリガラスを掻いている音は聞こえなかったけれど、旦那の呼ぶ声はハッキリと聞こえていたので私は返事を返した。

 そこに居たのが何者なのかわからないけれど、草薙さんが大丈夫と言っていた意味が分からなくなっていた。何も見えない旦那に今の出来事を説明することは出来ないけれど、驚いただけで怖くはなかったので黙っておくことにしよう。


 家族を守ろうとしている旦那に余計な心配をかけるのは良くないと思うのだから。

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