第8話 黎明

 旦那には見えない何かが私には見ていて、きっと息子にもそれは見えているのだろう。もしかしたら、息子は私よりも見えていて、私に見えない何かも見えているのかもしれない。そう思っていると、息子をこのまま家で過ごさせても良いのだろうかと考えてしまう。旦那には私が何か見てしまったことは相談できないし、そうなった場合はこの家に留まる理由もなくなってしまうだろう。

 しかし、草薙さんが言っていた大丈夫と息子が言っていたパパは大丈夫が同じ意味なのか別の意味なのかが気になってしまった。草薙さんの場合は旦那と柏木さんの会話と送った写真で判断したのだと思うけれど、息子の場合は自分の目で直接見て何かを感じたのだと思う。パパは大丈夫の『パパは』の部分が引っかかってしまうけれど、もしかしたら、旦那以外の人間は助からないという意味なのだろうか。もしそうだとしたなら、息子が嫌がる事も怖がることもせずに残っているのはどうしてなのだろうか。息子の言葉の『大丈夫』の方に意味があるとしたら、草薙さんと息子の言葉は一致することになるのだけれど、それで解決したことになるのだろうか。


「珍しく長風呂だと思ったら、のぼせちゃったのかな?」

「ちょっとここ数日で疲れちゃったのかもしれないわ。でも、大丈夫よ」


 旦那は私を心配して肩を抱いてくれた。旦那の隣にこうしていられるのが一番落ち着くと改めて感じていた。湯上りにアイスを食べていると、元気のない私に自分のアイスをくれようとしている息子が愛おしくなり、アイスを一口貰うとそのまま抱きしめてしまった。


 色々考えてみたけれど、あの晩の足音と扉を叩く音が聞こえた時は怖いという感情が前面に出ていて、それ以外の感情はなかったと思うのだけれど、先ほど見た人影は驚きはしたものの、不思議と恐怖は感じられなかった。スリガラス越しとはいえ姿が見えたからなのかもしれないけれど、それを差し引いても恐怖を与えてくるような存在ではないように思えていた。


 私がお風呂から上がって息子と休んでいる間に旦那が二階に上がっていた事を思い出して、何か変わったことが無かったか尋ねてみた。


「そうだね、書斎を一度確認しようと思っていってみたんだけど、最後に使った時と何も変わっていなかったと思うんだよね。物置部屋を見るのは少し嫌だったんだけど、一応確認してみたところ、やっぱり変化はなかったと思うよ。あれから草薙さんにもう一度電話をしてみたんだけど、二つに分かれている守り神は一緒にしない方がいいみたいなんだよね。悪いものが頭に憑いているみたいで、一緒にしてしまうと元に戻って悪霊になってしまうかもしれないってさ。ちょっと嫌だったけど、頭は袋に入れて書斎の鍵付きの資料箱に入れておく事にしたよ。他に良い場所があるんだったら移すけど、どこかいいところがあるかな?」

「あなたが良ければそれでいいと思うんだけど、今日は客間で寝た方がいいのかしら?」

「それはどっちでも良いって言ってたよ。二階の物置部屋じゃなければ相当運が悪くない限り大丈夫だろうって言ってたからね。僕も君もそんなに運は悪い方じゃないと思うし、陽一もわざわざ二階で寝たいって言わないだろうよ。だから、今日は久しぶりに寝室で寝ようと思うんだけど、君はそれで大丈夫かな?」

「私も寝室がいいと思うわ。明日にでも草薙さんにお礼の電話した方がいいかしらね?」

「それなら僕が毎回しているからいいと思うよ。それに、お礼を言うなら直接会った時でもいいんじゃないかな?」

「そうね、直接お会いできるのならその時に改めてお礼を言う事にしましょうね」


 今日は久々に寝室のベッドで寝れると思っていると、いつもは真ん中で寝ている息子が私の寝る場所から動こうとしなかった。どうしたのかなと思って聞いてみても理由は言わないし、動こうともしないので私は息子と旦那に挟まれて寝る事にした。

 旦那はいつものように腕を伸ばしているのだけれど、そこに居るのが息子ではなく私だったのを思い出すと、その手をさらに伸ばして息子の頭の下に入れようとしていた。

 息子はそれを避けるように布団の中に潜ると、私に背を向けて何かを書いているようだった。何をしているのかはわからないけれど、その動きは真ん中では出来ないなと思って見守る事にした。それにしても、久々の長風呂とベッドでリラックスできているのか、私はそれ以上起きていることが出来なかった。心地よい暖かさに包まれていると、自然と眠りの中に入っていっているようだった。


 夜中に目覚めることは時々あったけれど、今の状況で目覚めるのは少し嫌な感じがしていた。息子は布団の中に潜って気持ちよさそうに寝ているのだが、隣にいるはずの旦那の姿が見えなかった。少しだけ不安になっていると旦那が戻ってきた。


「ごめん、トイレに行くときに起こしちゃったかな?」

「いいえ、私はあなたがトイレに行った後に起きたのだと思うよ。起きた時にはあなたの姿が無かったからね。私もちょっと行ってくるわ」


 同じタイミングで目が覚めるのは偶然なのか、それとも自然と何かを感じているからなのか、不安な気持ちがあるとマイナス思考になってしまうのかと思っていたので、なるべくなら明るい事を考えようと思ってみた。結果的にではあるけれど、トイレに入るまで明るい事は思い浮かばなかったし、用を足している間も何も思い浮かばなかった。

 洗面台で手を洗っていると、お風呂の中から何となくではあるのだけれど、何か見みられているような感じがしていた。確認するのも怖かったけれど、電気をつけてからゆっくりと扉を開けると、浴槽の中に守り神の頭部が浮かんでいた。不思議な事に、それぞれの向いている方向は全て同じ方向だった。

 しかし、そんな光景に驚いてしまったけれど、怖いという感情はなく、不思議だという事しか浮かんでこなかった。旦那を呼んできて見てもらったけれど、旦那が片付けた守り神とは違う守り神が何体かあったようだ。

 それも不思議な事ではあったけれど、浴槽から回収する時に多少の波は立っていたのだけれど、顔の向いている方向は一体も変わる事がなかった。触ってみても錘が入っているわけでも糸で繋がっているわけではないのだけれど、不思議な事に向いている方向は同じだった。

 濡れている頭部を乾かしてからしまおうと思っても、その間に息子が起きてしまったら不安になると思い、タオルの上に並べて起きてから片付ける事にした。


「明日、って言うか今日だけどさ、昼過ぎか遅くても夕方くらいに草薙さんか柏木さんが来てくれるみたいだってメールが着ていたよ。トイレに行った時に気付いたんだけど、君が寝る前に伝えることが出来て良かったよ」

「それは心強いわね。でも、来てくれるならお風呂もそのままにしておいた方が良かったかな?」

「それは聞いてないけど、たぶん大丈夫じゃないかな。何となくだけど、君も嫌な感じは受けなかったんでしょ?」

「うん、一昨日の晩に聞こえた足音とかの方が恐怖を感じたのよね。今だから言うけど、お風呂に入っていた時も何か脱衣所に何かがいたんだけど、それも嫌な感じはしなかったのよ。あなたが様子を見に来てくれた時に居なくなったんだけどね」

「おいおい、そう言う事はその時に行ってくれないと困るよ」


 今この家にいる見えない何かは悪いものではないと思っているのが伝わったのか、旦那も軽く笑って冗談のように受け流してくれていた。こんな時に起こる人じゃなくて良かったなと思っていると、階段の方から足音が聞こえていた。

 何が起こったのだろうと思って階段に近付くと、旦那は寝室に入っていった。


「おい、陽一がいないぞ」


 その言葉を聞いた私は階段を一気に駆け上がると、物置部屋の中で立っている息子の姿を見つけて、思わず抱き着いてしまった。

 息子は私の手を掴むと、私の方を向いてケラケラと笑っていた。


「ママもパパもダメだよ。ここもお風呂もダメなのに」

「陽ちゃん、それはどういうことなのかな?」

「わかんないけど、ダメだと思うよ」

「ママはちゃんと説明してもらわないとわからないんだよ」

「もう少しで朝だから、夜までは大丈夫だと思うよ」


 そう言った直後に息子は私の腕の中で気持ちよさそうに眠ってしまった。話しかけても反応が無いので、一瞬にして熟睡をしてしまったようだ。

 いつの間にか私の後ろにいた旦那が息子を抱きかかえると、そのまま階段を降りて寝室に戻って行った。今度は息子を真ん中に寝かせて、その両側を私と旦那で守るように挟んでいた。


「夜までは大丈夫って、夜は危ないって事かな?」

「もしかしたらそうなのかもね」

「でもさ、陽一ってあんな喋り方することあったっけ?」


 私はそう言われるまで何も不思議に思わなかったけれど、息子の言葉が息子のモノではなく何者かが言わせていたとして、どういう意味があるのだろうと思っていた。

 カーテンの隙間から薄く入ってくる陽の光が明るい未来を差しているような気がしていて、少しだけ明るい気持ちになることが出来たと思う。

 お昼過ぎに草薙さんか柏木さんが来るという事なので、少しでも寝て部屋を片付けようと思った。けれど、霊能力者の方に見てもらうのなら、下手に片づけない方がいいのかもしれないと思っていたのは、片付けるのが面倒だからではないはずだ。

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