第3話 殺意の白

「よし、こいつがいいだろう。」



翌日明朝、刀一郎は久しぶりの狩りに勤しんでいた。

飲食の必要なき己の為ではなく、あの心優しい老人夫婦の為に。

とは言ってもそれだけではなく、自分に出来ることと出来ない事の確認の意味もあるのだが。



「なるほど、中々に便利なものだなこれは。」



常人であったときには無かった感覚を研ぎ澄ますと、大気の粒子を掻き分けて進む何かを感知する。

この感覚にこういう使い方も出来ると知ったのは今さっきのことだ。

そして突き詰めていけばまだまだ可能性は広がっていくと感じさせる。

仕留めたのは大きな猪。

早速それを引き摺って老人宅へと戻った。



「あら~、随分立派な猪だごど。」



老婆が猪の体をパンパンと叩きながら嬉しそうに語る。

その横では爺も驚いた顔で眺めていた。



「やっぱり山の神様に好がれだんだな。こんな猪中々見ねえぞ。」



その後、こんなに大きな猪は二人で食うのは無理だと近隣の知人を呼ぶことにしたらしい。

言われてみればその通りなのだが、恩義を返すことばかりでそこまで考えが回らなかったようだ。

近隣の集落は意外に近く、歩いても四半刻(約三十分)も掛からない距離にあった。

そして肉を目当てに人が人を呼び、あっという間に十人近い人々が集まるのだった。

しかも、まだ集落には人がいるらしく、用事を済ませたらこちらに来るとのこと。



「刀一郎君と言ったかね。見ればまだ若そうだが、どこから来たんだい?」



語り掛けてきたのは、小太りの中年男だった。

聞かれ、刀一郎は少し戸惑いを見せながら正直に明かす。

己の身の上が何も分からないこと、常人とは違う力があること等を。

初対面の相手にそんなことを明かすなど警戒心の有無が疑われる所だが、この男のニコニコとした表情とふくよかな体格が何故か気を緩ませる。



「何と、神隠しにあったのか。それは気の毒に…。」



何となくだが、刀一郎には人の大まかな感情が分かる気がした。

といっても、考えていることの仔細が分かるほどのものではなく、例えるならば色。

怒っている者は真っ赤、こちらに害をなそうとするものは黒、という風にだ。

勿論これは只の表現であり、実際その様に見えるわけではない。

その感覚を通して見たこの男の色は、例えるなら黄色。

それはとても暖かいポカポカ陽気の日差しを幻視するようであった。



「相談なんだがね、聞けば君はとても腕が立つようだ。こんな大きな猪を仕留めるくらいだから当然だろうがね。」



男は刀一郎の肩をポンポンと叩きながら、変わらぬ笑顔で語る。

その声もきわめて明るく、聞き入る者が自然と笑顔になるような、そんな不思議な魅力を感じた。

刀一郎も例外ではなく、話を聞いていると自然に頬が緩んでいくのを感じていた。



「私の集落へ来てくれないか?最近は野党などもいるらしく物騒だからね。君がいると心強い。」



刀一郎にとってそれは有難い申し出だった。

素性も分からぬ者を快く置いてくれる場所など中々見つからぬだろうと考えていたからだ。

食うに困ることのない我が身、最悪フラフラと、永遠に山を彷徨うことになるのではないかとさえ思っていた。



「済まぬが、名を教えて頂けはしないだろうか。何と呼べばいいのか分からぬ。」


「ああ、そう言えばまだ名乗ってなかったね。それは申し訳ない。私は天元てんげんという者だ。そこの小さな集落の長をしている。」



天元と名乗った男は、自らの集落のある方向へと視線を向ける。

釣られてその方角へと意識を向けると、空気がざわざわと震える感覚に襲われた。

それはとても心地良いと言える感覚ではなく、何か不味いことが起こっていると警鐘を鳴らしている様だ。



「天元殿、集落はあちらにあるのですか?ならば、すぐに戻るべきかもしれません。」



刀一郎が不安を告げると、最初は何のことか分からなかった天元。

しかし、刀一郎の発する冗談とは付きかねる雰囲気に呑まれ、急ぎ集落へと走った。

天元の口ぶりからすぐ近くと思われたが、思いのほか時間がかかる。

いや、恐らくそう感じるだけなのであろうがそう思えば思うほど気が逸るのだ。



「何だっ!何が起こっているっ!お、おいっ、源蔵っ、しっかりしろ!」



目の前には、夥しい血痕の海に沈む老人の姿。

天元は悲痛な面持ちで既に事切れたその老人に問い掛ける。

当然返答が返ってくることなどなく、その腕は無情にもだらりと地面をこする。

普通なら目を背けたくなるような光景であるにもかかわらず、何故か刀一郎は既視感を覚え目を離すことが出来なかった。

肌を不快な感覚が撫でつける。

まるでそこには、まだこの老人の意思が残っている様にさえ感じられた。

それは人ならざる身に堕ちて以来、初めての感覚であった。

それは恐怖であっただろう。

絶望であっただろう。

そして怒りであったかもしれない。



「碌なもんがありゃしねえな。若い女がいりゃ少しは楽しめたのにな。ひゃっはっは。」



物色を終えたのだろうか、五間(九メートルくらい)ほど先の家屋から下卑た笑い声をあげた男が数人出てくるのを視界に収める。

その服装はお世辞にも上品とは言えず、辛うじて少し前の刀一郎よりはましかという程度。

手には石を木の棒に括り付けただけの、斧のような武器を持っているのも確認できた。

そしてその男たちは天元達に気付くと、歪んだ表情のまま睨みつける。



「何だよお前ら。文句でもあんのか?あれ?もしかして、おっさん泣いちゃってんの?」



旧友であったのだろう、今は亡き老人を抱き抱え涙を流す天元を目にとめると、またあの下卑た笑い声が響く。

刀一郎は湧き上がる激情とは裏腹に、静かに白き一刀を抜き放った。

日の光を浴び輝くそれは、見る者の時を一瞬奪い去り場に心ばかりの静寂が満ちる。

だがそれも一時、下賤なる者たちの目はその美しき一刀さえ下卑た感情でねめつけた。



「おいおいおいおい、あるじゃんか。良いもん持ってんじゃねえかよぉ。」



刀一郎は黙したまま、ただ前に歩み進んだ。

その威容に男たちは一瞬怯んだ様子を見せるが、数の優位を主張してかすぐに表情を崩す。

それでもその歩みは止まらない。

無人の野を行くが如き威風堂々たる振る舞いで、その手にはギラギラと殺意の白が輝く。



「逃げるのならば今は捨て置く。向かい来るならば……皆等しく、骸を晒すがよい。」



敵は四人。

その中の一人がにやけた表情のまま斧を振り上げ迫りくるが、斬り上げ斧を断ち切ると、勢いそのまま真っ直ぐ振り下ろす。

刀一郎は振り下ろした体勢のまま、微動だにせず芯が通った体勢で佇んだ。

誰もが呆然とし言葉を発せず、空間を静寂が覆っていく。

僅かな時間差、男が左右にずれ、道を開けるかの如く体が分断された。

そして手に持つ刀が熱を発していることに気付く。

不思議なことにそれ自身が自らを清めるかの様に、付着した血と油を蒸発させていたのだ。

更にもう一つ不思議なことがある。

軽いのだ。

大太刀と言っても過言ではないはずのそれが、まるで枯れ木の様に軽い。



「なっ、なっ、なっ、何だっ。て、てめぇ!なにしやがったっ!」



切り裂かれた体から飛び散る鮮血、流れ出る臓物が男たちの動揺を誘う。

だが、最早言葉など必要ないと思ったのだろう。

刀一郎は返答を返すことなく、素早い身のこなしで男たちに迫りゆく。

恐怖に支配された男たちに抗う術などあるはずもなく、すれ違いざまの一刀によりまた一人上下に分断された。

もう一人は完全に腰を抜かしており、残りの一人は奇声を上げながら正気を失い逃走を計っている様だ。



「逃走の機会は先ほど失われた。…一人も逃がさぬよ。」



足取りおぼつかぬ男に追いつき、背中から斬り捨てる。

肩口から滑り込んだ刃は脇腹を抜け、下半身だけが前に転がり歩いた。

そして、最後の一人に刀一郎が視線を向ける。



「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっ!!」



男はもはや立ち上がることさえ出来ずに、バタバタと足を叩きつけながら地面を這う。

その姿を哀れに思いながらも、己の業を悔い改めさせるべく刀を振り上げた。



「待ってくれ刀一郎君。…最後は私がやる。」



天元は震える手で拳大の石を掴むと、怒りか悲しみか、判断つかぬ表情のまま、それを男の頭に振り下ろした。

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