第一部 

第1話 美少女と屋上とBB弾と

 春――。


 麗らかな気候に微睡む今日この頃。

 午後のHRが終わると、教室はあっという間に喧騒に包まれる。部活に向かう者、帰宅する者、各々が気の合う仲間と会話を弾ませながら姿を消す。


 ここ私立北ノ宮高等学校付属中学校――通称『北高』は、文字通り中高一貫校だが、高校入学の際には新入生を受け入れている。入学して間もなくは、新入生と内部進学生との間に大きな壁ができるという噂だったが、どうやら杞憂に終わったようだ。


 高校生活がスタートして早二週間、相変わらず俺に友達と呼べる人間はいなかった。自ら話しかけることもなければ、かけられることもない。この状況には慣れているはずなのに、僅かな期待に胸を膨らませている自分が馬鹿馬鹿しかった。


「アホらし……」


 窓際の席で頬杖をつきながら外の景色を眺めていた俺は、自身の惨めさに思わずため息をついた。エクトプラズムを吐き出すかの如く深いため息は、なにも友達がいないことだけが原因ではない。


 ここ数日、俺はとことんツイてなかった。

 朝の占いは連日最下位。運気は右肩下がりで、人気漫画雑誌ならとっくに打ち切られてもおかしくない状態だった。


 今日なんて登校中にガムとウンコを踏み、それを3ターン繰り返した後、どう見ても狼にしか見えない野良犬に追いかけられ、坂道でつまずいたかと思えば勢いそのままガードレールを飛び越え川へ豪快にダイブ。咄嗟に鞄を路上へ放り投げたのは不幸中の幸いだったが、おかげで今日一日、体操服で過ごすハメになった。


 ラッキーアイテムなんぞを身につけていれば、降りかかる災難を回避することができたのかもしれない。だが、俺には〝戦隊ヒーローがプリントされた白ブリーフ〟を穿く勇気は無かった。

 まったくふざけた占いだ。きっと、テレビ局には全国のおとめ座からの苦情が殺到したに違いない。


 俺は散り始めた桜の花びらを目で追いながら、どうすれば負の連鎖から脱却できるだろうかと思案する。

 とりあえず、腹いせにテレビ局に抗議の電話を入れる事から始めよう。そんなことを考えていると、校庭のベンチでイチャついているカップルの姿が目に入った。


 まったく浮かれやがって。こちとら毎日が厄日だというのに……。


 俺は心の中で毒づきながら、さっさと席を立ち教室をあとにした。



 × × × 



「よかった、無事だったか」


 屋上のドアを開けると、物干し竿に掛かった俺の制服が揺れていた。

 他にも、野球部のユニフォームや保健室のベッドシーツなどが風になびいている。


 登校してすぐ体操服に着替えた俺は、びしょ濡れになった制服を抱え校舎の屋上へやってきた。無許可で制服を干していたので見つかると怒られそうだが、どうやら無事回収できそうだ。


「よし、乾いてるな」


 制服に手をかけたその時、


 ガチャリ――。


 突然、屋上のドアが開いた。

 咄嗟にシーツに身を隠す俺。


 だが、姿を現したのは野球部員でも保健室の先生でもなかった。現れたのはむさ苦しい坊主頭の野球少年ではなく、黒髪で清純そうな少女だった。


 こんな所へなにをしに来たのだろう? 野球部のマネージャーだろうか。

 

 様々な疑問を抱きながら様子を窺うこと数秒――。


 やがて、少女はフェンスに向かって歩き出した。

 その表情はどこか物憂げで、足取りも覚束ない様子だ。


 まさか……。

 

 なんとなく嫌な予感がした。

 少女はフェンスの前に立ち止まると、おもむろに靴を脱ぎ始めた。金網に手をかけ、視線を落とす。


「待て! 早まるなっ!!」


 俺は慌てて駆け出した。多分、物凄い形相だったんだと思う。


「え、えぇぇぇっ!!」


 少女は体をビクつかせて、まるでなまはげから逃げ回る子供のように怯えた表情を浮かべた。


「馬鹿野郎!! なにやってんだ!!」


 俺は少女の両肩を掴んで叫んだ。


「え、えっと、その――」


「そんな簡単に死のうなんて、命を粗末にするんじゃねぇよ!」


「へっ?」


 少女は間の抜けた返事をする。

 なんだか、肩で息をする俺とは随分と温度差があるような気もする。


「……あのぅ、わたしになにかご用ですか?」


「用もなにも、お前今飛び降りようとしてただろ。なにがあったか知ねぇけど、そんな馬鹿なことはやめろよな」


「…………」


 目を瞬かせ、ポカンとしている少女。

 

 赤いリボンと学年章から察するに、俺と同じ高等部の一年生だろう。北高では中等部と高等部でネクタイ(女子はリボン)の色が異なっていて、制服を見れば中高どの学年に属しているのか簡単に知ることができる。


 この至近距離で初めて気づいたが、彼女はかなりの美少女だった。

 セミロングの黒髪は藍色がかっていて、大きくつぶらな瞳の下には、うっすらとそばかすが見え隠れしている。地味というか文化系女子といった雰囲気で、どこか小動物を思わせるルックスと言動がなんとも愛らしい。決して太っているわけではないが、肉感的でムチムチとした体形は男の好みを具現化したかのような代物だ。

 だが、それよりも目を引いたのは、制服の上からでも視認できるほどの大きな胸――。

 俺は咄嗟に目を逸らした。


「ごめんなさい。わたし、なにか勘違いさせてしまったのかもしれないです」


「勘違い?」


「はい。別に飛び降りようとしていたわけじゃないんです」


「は?」面食らう俺。「じゃあ、こんな所でいったいなにしてたんだよ?」


「……これです」


 彼女が靴の中から取り出して見せたのは、小さなオレンジ色の玉だった。


「なんだそれ?」


「BB弾です」


「BB弾? ……それって、エアガンとかで使われる、あの弾のことか?」


「はい。わたしの弟たちがよく鉄砲で遊んでるんです。もう家中BB弾だらけで。多分わたしの靴にも入っちゃったんだと思います」


「それで、靴を脱いでBB弾を取ったと……」


「はい」


「ずいぶんと紛らわしいことを……」


 一気に緊張が解けるのがわかった。なんだろう、この脱力感……。


「いやぁほんと、ダンゴ虫かもって、内心すごい焦っちゃいました。ほら、子供の頃よくありませんでした? 公園とかで遊んだ後とか、家に帰って靴を脱ぐとダンゴ虫がコロッて」


「あー、わかるわかる。小さい石ころかと思ってよく見てみると、足がウジャウジャ出てきてビックリすんだよな。――って、おい! 話を変な方向に持っていくんじゃねぇよ!」


「うぅ、ごめんなさい……」


 激しくもスタンダードなノリツッコミに彼女はうろたえる。

 伏し目がちに謝る彼女は、やはりまぎれもない美少女だった。


「あの、なんていうか、本当にすいませんでした」


「いや、別に怒ってるわけじゃねぇから」


 ペコっと頭を下げる彼女に、なぜかキョドってしまう俺。

 顔とか赤くなってなけりゃいいけど。


「ていうか、なんで屋上なんだ? わざわざBB弾を取りに来たワケじゃないだろ?」


「それは、その……」


 彼女は口ごもると、それ以上何も言わなかった。


 放課後の屋上に一人、彼女はいったいなにをしに来たのだろう? ひょっとして誰かを待ってるんじゃないだろうか。

 放課後・屋上・美少女とくれば、結びつく答えは一つしかない。


「なんだよ、そういう事なら早く言ってくれればいいのに」


「へ?」


「初対面の俺が言うのもなんだけどさ、頑張れよ」


「ふぇ?」


 こんな美少女に告白される男とは、いったいどんな奴なんだろう。俺は見たこともない他人を、初めて羨ましいと思った。


「邪魔したな」


 制服を取りにいこうときびすを返した時、


「――部」


 彼女の声が俺の足を止めた。

 うまく聞き取れなかったが、その声はか細くかすれていた。


「廃部……、廃部になっちゃうんです」


「はいぶ?」


 振り返ると、彼女は目に涙を溜めていた。


「はいぶって、廃れた部活と書く、あの廃部?」


「このままだと、わたし、わたし……」


 そして、潤んだ瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。


「――!?」


 俺は困惑した。どうしていいかわからず、とりあえずポケットにあったハンカチを差し出す。

 女の子の涙をこんな間近で見たのは初めてだった。


「なにがあったか知らねぇけど、泣くなよ、な?」


「あでぃがどうございまず」 


 彼女はハンカチで涙を拭いた後、びーっと盛大に鼻をかんだ。

 容赦ないハンカチの酷使に、苦笑いの俺。


「ど、どういたしまして……」


 予想だにしなかった美少女との出会いに、俺は自分の制服のことなどすっかり忘れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る