第2話 玉も竿もある
「明日の放課後までに部員が五人以上にならないと、学校の規定で廃部になっちゃうんです」
屋上のフェンスを背に、俺と美少女は並んで座っている。彼女は泣き止んだものの、視線を落としたままだった。
「ちなみに、今部員は何人なんだ?」
「四人です」
「あと一人か……」
「ビラ配りとかして積極的に勧誘してるんですけどね。なかなか入部してくれる人がいなくて。どうしようかと悩んでるうちに、どんどん煮詰まっちゃって……」
「それで、気分転換に屋上にやってきたわけか」
この時期、新入生への部活の勧誘は熱を帯びる。三年生が引退し、部員数が減少した部が新入部員の争奪戦を繰り広げるからだ。
結果、規定の部員数に届かず廃部になる部は少なくない。
「さっきから気になってたんだけどさ、あんたが所属してるのは何部なんだ?」
「青柳です」
「……あおやぎ? そんな部あったっけ」
「そうじゃなくて名前です。あんたじゃなくて、青柳です。一年G組、
口を
初対面とはいえ、女の子に〝あんた〟はまずかったかもしれない。
「わりぃわりぃ。俺は一年A組の
「どうもです」
少し拗ねている様子の青柳は体育座りをしている。その姿が木の実を頬張るリスと重なり、ますます小動物に見える。
「で、青柳が所属してるのは何部なんだ?」
「えっと、確か……きた……こう……せ…………」
「……?」
「文化部です」
「いや、今完全に諦めたよな? 自分の所属してる部の名前が言えねぇのかよ」
「だって、まだ入部して一週間ですし……」
だからって部活名ぐらい言えるだろうよ。
それにしても、入部一週間で廃部の危機とは気の毒な話だ。そもそも、彼女はなぜそんな部に入部したのだろうか。
「それで、これからどうすんだ? 力になってやりたいのは山々だけど、あいにく俺には紹介できるような友達もいないぞ?」
「そうですか。わたしも友達は一通り当たってみたんですけどね。全滅でした……」
言葉の節々に負のオーラを
「まぁ、部活の勧誘なんて基本やる気が無かったら新聞の勧誘と同じだからな。帰宅部の俺が言うのもなんだけど、当てずっぽうに声かけるより身近な人間を根気強く説得した方がいいんじゃないか?」
「より身近な人ですか……」
「友達がダメだったにせよ、クラスメイトとか隣の席の奴とかさ。それこそ俺みたいに偶然知り合ったような―――」
「それだ!!」
突然、青柳が立ち上がり叫んだ。
「それですよそれ! ナイスですよ、黄原さん!!」
一気に表情が晴れる。
もしかすると、俺はとんでもない地雷踏んでしまったのかもしれない。
「もぉ~、なんでそんな事に気づかんかったんじゃろ。うちって、ほんまバカじゃ」
「じゃろ、って。……青柳?」
興奮した青柳の独り言から、聞き慣れない方言が飛ぶ。
「あっ、あの、これはその……き、き、気にしないでください。わたし、出身が地方の田舎で、その――」
顔を赤くしてあたふたする青柳。
「そ、そんなことより黄原さん! 折り入って大事なお願いがあります!」
「お、おう」
俺は迫力に圧され立ち上がる。次に発せられる彼女の言葉は、おおかた予想できた。
「お願いです黄原さん! ぜひわたしたちの部に――」
「断る!」
「えぇ~っ!! ど、どうしてですか!?」
俺の先制攻撃に青柳は落胆の声を上げる。
「黄原さんは帰宅部だって言ってましたよね? それとも入部したい部活とかあるんですか!?」
「いや、そうじゃなくて。なんつーか、めんどくさいっつーか……」
うつむいた青柳は、眉をハの字にして悲しげな表情を浮かべた。
その顔は反則だろ。そう思いつつ心を鬼にする。
「わりぃな。誘ってくれるのはありがたいけど、青柳の力にはなれないよ」
「そうですか……」
「変わりといっちゃなんだけど、俺もなにか手伝うからさ。ビラとか貰えれば、クラスの連中に渡すこともできるし。な?」
だが、相変わらず青柳の表情は沈んだままだ。
「そんな顔するなよ。ほら、青柳は可愛いから、男だったらすぐ入部してくれるんじゃないか? 胸も大きいしさ。元来男ってのは巨乳好きが多――」
言いながら、俺はとんでもないことを口走ってしまったことに気づいた。
「黄原さんのエッチ。サイテーです」
「いや、誤解だ! 今のは――」
「冗談ですよ」
「へ?」
思わぬ反応に驚く。
「別に女の子から言われるのはいいんです。わたし、ドジでバカだから友達からよく天然巨乳なんてかわれてるし。あ、でも男の人から言われたら怒っちゃいますよ。男の人って、すぐ胸とかお尻とか、そういうとこばっかり見てほんと不潔です」
頬を膨らませ嫌悪感を露わにする青柳。そんな彼女の発言に、一抹の違和感を覚えた。
「あと、うちの部は男子禁制なんですよ。部長が大の男の子嫌いでして。だから女子しか勧誘できないんですよね」
「へぇ、そうなんだ。そりゃ大変――」
その時、違和感が核心へ変わった。
「……なぁ、青柳。参考までに聞くんだけどさ、ひょっとして俺のこと女だと思ってる?」
「もぉ~、なに言ってるんですか。黄原さんも変な人ですねぇ。どこからどう見たって女の子じゃないですか」
やっぱり……。
どうやら、青柳は完全に俺を女だと思っているようだ。
でもなぜだろう。これまで前髪で目元を隠し、声を低くしていれば女に間違われることはなかったのに……。
と、俺は青柳に出会ってから地声を出していたことに気づいた。
なんとも悲しい話だが、入学してからほとんど会話をしていなかったせいで、すっかり低い声で喋ることを忘れてしまっていたのだ。それに加え、俺は青柳が自殺しようとしていると勘違いして気が動転していた。
前髪に関しては、駆け出した時に風になびいて素顔が露わになったのが原因だろう。さらに体操服姿ともなれば、女と勘違いされてもおかしくはない。
とはいえ……。
「なぁ、青柳。俺のこの喋り方、不思議に思わないか?」
「なんですか急に」
「いやほら、明らかに男口調だろ?」
「でも、今時珍しくないですよね。わたしの友達にもいますよ。中二病を
ずいぶんと
きっと天然なのだろう。経験上、こういったタイプは男だと納得してもらえるまで時間がかかる。
ならば……。
「青柳、俺の名前憶えてるか?」
「黄原さんですよね」
「いや、名字じゃなくて下の名前」
そう、俺の名前は虎之介。見た目とは相反する古風で雄々しい名前である。そんな名前の女、日本中どこを捜してもいないだろう。
「……あっ」
「思い出してくれたか!?」
「――忘れました」
さすがにズッコケた。つい今しがた名乗ったばかりだというのに。
「虎之介だよ、虎之介! もう忘れたのかよ!」
「すいません。わたし、名前とか憶えるの苦手で……」
青柳はそう言って肩をすくめる。
「まぁいい。とにかくもうわかってくれたと思うけど、俺は男なんだ」
「え?」
ところがどっこい、青柳は狐につままれたような顔で首を傾げる。
「なんで黄原さんが男だってことになるんですか?」
「ちょっ、話聞いてた!? つーか、俺的には名前の時点で気づいてほしいんだけど! もうとっくに詰んでたよな? 王手飛車取りだったよな!?」
「でも、名前っていったってあだ名みたいなものですよね? さっき話した中二病の友達も、インターネットでは自分のことを〝せつな・えふ・せいえす〟とか名乗ってましたし」
「いや、どこのマイスターだよ! 後半チャゲアス入ってるし!」
正直、こんなに手強い相手は初めてだった。青柳は依然、クエスチョンマークを頭上に点滅させたまま首を傾げている。
俺はため息をつき、落ち着いたトーンで言った。
「いいか青柳、そりゃハンドルネームってやつだ。ネット上で使うニックネームだよ。だけど俺の場合は違う。なぜなら本名だからな」
「…………」
青柳は
ここが正念場だ。できるだけ哀感のこもった口調で青柳に語りかける。
「確かに俺は女顔だし声もこんなで背も低いけど、玉も竿もある正真正銘の男なんだよ」
前髪で素顔を隠す以前、俺は何度似たようなセリフを口にしてきただろう。
だが、やはりと言うべきか、青柳は納得してない様子だった。
「黄原さん、ヒドイです。玉と竿って……。いくらわたしがバカだからって、そんな嘘にはひっかかりませんよ」
言葉につかえながら〝玉と竿〟と発した青柳の顔は一気に赤くなった。
失言ではあるが、今の俺は信じてもらいたい一心で反省する暇もない。
「嘘なんかじゃねぇって。……そうだ、生徒手帳! 身分証見せりゃ納得してくれるよな!」
俺は慌てて体中のポケットを弄った。着ているのが体操服だと気づき、すぐさま制服の存在を思い出す。
「よし、ちょっと待ってろよ。すぐに制服と生徒手帳を持ってくるから!」
これで男だということが証明される!
はやる気持ちを抑えながら制服の元へと急ぐ俺。
だが、制服に手を伸ばしたその時、どんなに高性能なカツラも一気に吹き飛んでしまうほどの強風が俺を襲った。
「ま、待ってくれ!!」
制服は上下もろとも、あっという間に風に攫われ遥か彼方へと消えてゆく。
「嘘だろ……」
どうやら俺の不運は折紙つきらしい。こんなことになるなら洗濯バサミでも挟んでおけばよかった。
最悪の展開に、がっくりと肩を落としながら青柳の元へと戻る。
「どうかしました?」
「いや、なんでもない……」
どうしたら男と信じてもらえるか。そして制服の値段は一体いくらするのか。思考回路はショート寸前だった。
「で、証拠はどこなんですか? 身分証を見せてくれるって言いましたよね?」
「ぐっ……」
両手を腰につき片眉を吊り上げる青柳。さながら犯人を問い詰める名探偵のようだ。
「もう観念したらどうですか? 黄原さんが冗談好きだってのは、よーくわかりましたから」
「ふっ、だれが観念するって?」
弁解しようと悪あがきをする犯人よろしく、俺は最後の切り札に
「見せてやろうじゃねぇか、とっておきの証拠をな!」
俺は竹内力ばりのVシネスマイルを浮かべ体操服のズボンに手をかけた。
「黄原さんも往生際が悪いですね。じゃあもし証拠が見せられなかったら、うちの部に入部してくださいよ?」
「いいだろう」
作戦はズバリ、我がトランクス――つまりは男性用下着を見せること。
「よく見ろ青柳! これが男だという動かぬ証拠だっ!!」
言うが早いか、俺は勢いよくズボンをずらした。
そして、二、三秒の沈黙の後、
「きゃああああああっ!!」
青柳の悲鳴が屋上に響き渡った。
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