葉桜の君に3

 あの日から数日桜子さんは学校を休んだが、学校に来始めてからはあの日の前の彼女と変わった様子は見られなかった。



 放課後の勉強会にもいつも通り参加しいつも通り帰っていく。



 けれど桜子さんがあの公園を訪れることはなく、二人で話せる時間はずっと無いまま、気が付けば二月も終わりになっていた。三月一日に三年生が卒業して行き、私も来年の為に準備をと思っていた頃、突然教頭先生に呼び出されてこう言われた。



「君、今回で転勤になったから」



 ――と。



 もうとっくに春休みに入っていて、桜子さんと学校で話す機会はもう退任式の日しかない。あの日から、何度も何度も彼女の事を考えたけれど、自分の中の答えは出ないままだ。



「私はどうしたら」



 家に帰った私はあの日桜子さんに渡されたペンダントを握りしめていた。桜子さんの事を思えば思うほど、自分の想いが露わになっていく。



 初めはただ桜花と似ているから気になっているのだと思っていた。けれど、いつの間にか桜花に対する想いから桜子さんに対する想いへと変わっていた事に気づいていく。

 でもそれは本当に桜子さんへの想いなのかという思い。そして桜花に対する申し訳のなさ。教師と高校生という私達の間にある壁。そのどれもが私の想いを引き裂いていく。



 そんな中、ふと握りしめていたペンダントに違和感があることに気づいた。後ろの部分に止め金のような機構がついている。


 何となくそれを動かして見るとペンダントがパカリと開いた。



「……これは、ロケットだったのですか」



 そして開かれたそのロケットの中には写真ではなくマイクロSDが入っていた。

 それをパソコンで読み込んで見てみると、そこには紛れもない桜花から僕へのメッセージがずらりと並んでいた。



「……わかりました」






「すみません、先生。また、お待たせしてしまいましたか?」

「いや、今日も待ってはいませんよ」

「まめですね。全員にメッセージカードなんて」



 桜子さんが手に持っていたメッセージカードを胸に抱いた。



「何も今年に限った話ではないです。卒業式の日や退任式の日には担当したクラスに必ず全員に贈っています。違いがあったのはあなたの物だけですよ」



 彼女に渡したメッセージカードだけ二枚目の便箋が中に入っていた。



「あの場所で待っています、としか書かれていませんでした。私が別の場所に向かったらどうするつもりだったんですか?」



 彼女は意地悪く小悪魔のように笑った。



「桜子さんは必ずここに来てくれると分かっていましたから」



 そう言うと桜子さんは、今度は少しだけ寂しそうに笑った。



「あの時の答えを返しに来ました」

「……はい」



 私は高鳴る胸を抑え、恥ずかしさを誤魔化すように芽の付き始めた桜を見上げた。



「私は桜子さんの教師で、桜子さんは私の生徒でした」

「……はい」

「けれど、今は違います」



 私の言葉に桜子さんが顔を上げた。



「私は教師で桜子さんは学生であると言う事実は変わりませんが、少なくとも私はもう貴女の先生ではありません」

「……はい」

「こんなことを言うと、桜子さんを傷つけてしまうかもしれませんが、最初に桜子さんと会っていた時は、桜子さんでは無くその面影に重なった桜花を見ていました。けれど、桜子さんとこの公園で時間を過ごしていくうちに、いつの間にか桜花の影が消えていました。でも、それでは桜花に申し訳なくて、ずっとこの心を押さえつけていましたが、先日桜花に怒られてしまいました」



 何の事か分からなそうな桜子さんに、開いたロケットと中に入っていたマイクロSDを見せた。



「桜花は私の事をきっと私より知っていたんですね。見事に今の私を叱る言葉が羅列されていました。だからもう桜花の為なんて、桜花にも失礼な嘘は付きません。私も桜子さんのことが好きでした。これが私の本当の気持ちです」

「……はい」



 震える唇で、震えた声で弱々しく返される桜子さんの言葉を聞いて、私は胸を撫でおろした。きちんと伝えられたのだと、それだけで理解できたから。



「でも、私も良識ある大人です。桜子さんが卒業するあと一年だけ、待ってくれませんか」

「……待たせてしまうのは、私の方です」

「……そうですね。あまりに待ちたいと思うばかりに、待たせてしまう事ばかりを考えていました」



 確かに待つのはきっと私の方だ。



「一年後に、桜子さんに会いにまたここに来ます」

「一年後にしか、来ないんですか」

「はい。転勤場所が少し遠くなので、しばらくここには来れないでしょう」



 携帯電話で連絡を取れば会えないことはないだろうけれど、自分がいかに弱い人間であるかは、今は自分が一番よくわかっているつもりだから。



「……分かりました。一年後……四月の十九日にここで先生を待っています」

「四月の十九日ですか?」

「はい。私と、先生が初めてここで会った日です」

「……分かりました。では二人でお花見をしましょう。この場所でこの桜を見ながら」

「はい」



 私と桜子さんは互いに、この時の終わりを理解していた。もう、これ以上ここにいればきっと私達は別れられなくなってしまう事を、二人ともが分かっていたから。それでも、別れようと、踏み出そうとした足が動かない。それは桜子さんも同じようだった。



 だから私は桜子さんをそっと抱きしめた。私より頭一つ小さい桜子さんを胸の内に抱きしめて、その匂いを、暖かさを、最期の時間を噛みしめる。長い時間のように感じられたけれど、実際はきっと数秒だった。名残惜しくは思いながらもそっと桜子さんの肩を掴んで距離をとった。



「……すみません。今はこれが精一杯です」

「……はい」



 照れたように笑う桜子さんを見て、私は最期に桜子さんに「また、一年後に」と告げて背中を向けた。もう彼女の涙を見てしまったら私はきっと動けなかっただろうから。



「はい、また、一年後に」



 桜子さんの別れの言葉を背に受けて、私は公園を後にした。流れる涙も拭わずに。






❀❀❀❀❀



「良い天気ですね」



 私は青い空を見上げながらそう呟いた。ざり、ざりと土を踏みしめる足音を響かせて、目的のあの場所へと向かう。その場所に近づくにつれて増えていく舞い散る桜を浴びながら、私はベンチに座っている記憶にある姿より少しだけ大人びている彼女を見つけた。

 春の陽気にやられたらしく、うつらうつらと船を漕いでいる。相当近くまで来たが気づいていないようだ。




『世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』



 

 この和歌は、世の中に桜などなければ春に心がこうざわつくことも無かっただろうに、と言う意味だけれど、無ければ、という言葉を使いながら本当は狂おしい程の愛を表現している。この一年間、人を思い続けた私はその事がよく分かった。



 眠そうな桜子さんに、声を掛けることなく私は葉がまじり始めた桜を見上げた。桜の花はいつか散っていくものだけれど、花が散れば葉がきれいに生い茂って夏が来るのだろう。私はこれからそんな日々を桜子さんとともに過ごしていく。







 ――桜花。今の私は貴女より彼女の事を愛しています。



 私は『彼女』と見上げた葉桜に別れを告げて、彼女とのこれからを共に過ごしていく新たな葉桜を見上げていた。




❀❀❀❀❀❀❀❀

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

葉桜の君に @himagari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ