ある少年の手紙

入川 夏聞

本文

      プロローグ


 以上が、私の報告となる。

 ところで、付帯情報と言おうか、補足、いや、この島のCOVID-99(旧BWD-01)感染が当時蔓延していた頃の状況についての、貴重な一参考資料として、私はこの島に生きた—―恐らくは今も何処かで生きているだろうことを期待する――一人の少年の手紙を、最後に添付する。

 私がこの手紙を発見したのは、調査も最終段階を迎えた、先週の金曜日の事だ。場所は、南の浜の、朽ち果てた漁港に隣接する平屋の観光案内所らしき事務所の中である。

 暮れなずむ茜色の光が平屋の引戸から差し込むのを背景にして、私はその事務所の卓上に散乱する書類の山から、ふと、この手紙を見つけることが出来た。

 この島の夕焼けは本当に雄大で、我々が根城にしていた丘の上のプレハブからも、真っ赤に染まって光り輝く海と、焼けた砂浜、そして地平線に沈み込む太陽とが観察され、調査隊全員の心をよく和ませたものだ。

 この手紙は、その内容から察するに、恐らくは島の観光者や友人に宛てたものだと推測されるが、詳しくは、各自のご判断、ご想像に任せることとしたい。

 私があくまで参考資料としてこの手紙を添付するのも、そのためである。


      第一の手紙


 こんにちは。最果ての楽園へ、ようこそ!

 いっぱいある旅先から、僕たちの島を選んでくれたことに、たくさんたくさん、感謝します。

 僕たちの島には、大きなビルも、観覧車も、ジェットコースターも、ありません。それどころか、電車もありません。

 でも、キラキラとして透きとおる海、さわさわと鳴る木々に囲まれた山、優しい三線の音色、島のみんなの笑い声、そんな景色に満ちています。

 きっと、満足してもらえると思うので、何か困ったことがあったら、いつでもこの案内所に、来てください。

 今はまだ、大人たちはいないけれど、安心してください。

 僕の名前は、タケル。あと、同じ観光案内役として、サナがいます。

 この島が、あなたの楽しい思い出に、なりますように。


      第二の手紙


 まず、この島の自慢、海をご紹介します。

 僕たちの海は、とてもキレイなので、よく太陽の光を通します。だから、サンゴ礁や底にあるピカピカとした砂まで、よく見えます。

 その中をかけまわるカラフルな魚たちを見るために、毎年たくさんのお客さんが来ます。

 あなたも、そのお一人ですよね!

 大人がいないのでスキューバダイビングの講習はムリだけど、免許がある方なら、装備はありますし、僕もサナも、きっとご案内できます!

 僕のお父さんは漁師で、サナのお父さんは学者さん。僕は泳ぎが得意で、サナは物知りです。それに、この案内所を長老のおばあに任されたのは、残された子供十人のうち、僕らだけです。えっへん。


      第三の手紙


 この案内所から灯台のある丘までは、歩いて三十分くらい、かかります。

 石垣のある家がたくさんあって、複雑な砂利道、ヤブ道は、慣れないと迷ってしまいます。

 でも、おばあが、いつも言っていました。

「ここらの海の潮風は、いつも不思議と、丘の上まで吹きあげるのさ。お前らが迷わないように、いつも守ってくださっているんだよ。だから安心して、海風に耳をすませてごらん」

 僕らがついていれば、あなたも一緒に、海の神様が守ってくれます。

 灯台丘からは、島全体が見えて、家の庭に咲く赤や黄色の花々が点々と、白い道路沿いにずうっと海まで続く、そんな景色が楽しめます。


      第四の手紙


 夜はここからすぐ近くにある、民宿へどうぞ!

 島で泊まれるのはそこしかありませんが、サナの実家なので、どうぞくつろいで下さい。

 ここらでは一番古くて大きい家だから、すぐに分かります。

 高い石垣を入ると、広い庭に出ます。お客さんはそこの軒先から、直接入っても構いません。

 なにせ、その庭は近所の人が毎晩集まって、三線に合わせて唄って踊って楽しむのですから、軒先に靴が有った方が、便利です。


 大人たちはよく、そうしてお酒を飲んでは楽しく踊り、僕らも唄ったり、軒先に腰かけてお客さんとおしゃべりして過ごしていました。

 そうしていると、いつもおばあが奥から甘いお菓子をどっさり出してくれました。

「さあさ、唱え、踊れえ。元気な姿を、天と地の神様に、届けなせえ」


      第五の手紙


 おばあの考えは役立たずの迷信だとサナは言うのですが、僕はそうは思えません。

 僕らを導くあの海風も、春先にサトウキビを揺らす雨音も、白桃色の月桃の葉からこぼれる爽やかで甘い香りも、はっとするような、雲一つなく突き抜けた青い空と海が、はるか東の地平線の先で一つになって見えなくなって、それでもその先が気になって、どうにも胸の奥がムズムズする、そんな気持ちも、この島がくれる僕の宝物です。

 おばあが言うように、そんな毎日の嬉しい気持ちは、やっぱり誰かが守ってくれているから感じられるのだと思います。

 僕らの島にいると、不思議と元気がどんどん湧いてくるような、そんな気がしませんか?

 これはきっと、島の神様たちが、僕らを守ってくれているんです。

 お客さんだって、島のみんなだって、昔から、同じようなことを言っていました。


 この前、仲間たちと島を出るか残るかで集まったときにそんな話をしたら、サナは怒っていました。

「それじゃあ、なんでおばあは死んじゃったの? 大人たちはウイルスが怖くて逃げちゃったから、お葬式もちゃんと出来なかった。おばあは、お前たちは神様が守っているなんて言っていたけれど、そんな迷信、怖くて信じられない! 私たち、いつ死ぬの?」


      第六の手紙


 ごめんなさい、お客さん。やっぱり少し、サナのことが気になって、関係のない話を書きました。

 おばあは先週、東の彼方へ旅立ちました。

「ごめんなあ。もし、おばあが死んだらね、おばあを裏のガマの奥にある穴に放り込んで、埋めておくれ。そうすれば、大地の気脈を通って、東の彼方からまた、お前たちを守ってあげられるから」

 そう言って何度も謝るおばあの手を、僕と一緒に最後まで握っていたのは、サナでした。


 仲間たち全員で、おばあの小さな体をリヤカーに乗せて、ガマの穴へ運びました。

 つま先からゆっくり穴に近づけると、まるで吸い込まれるようにおばあの体はするりと滑り、なぜか音もありませんでした。

 穴の底は見ない決まりなので、ひとしきり女子たちが集めた花を投げ入れたあと、僕と、もう一人の男の子とで、その穴を埋めました。

 隙間がないよう、慎重に。おばあが無事に、東の彼方に、行けますように。

 その間、サナはずっと震えながら泣いていて、祈りの唄も、唄えないほどでした。


      第七の手紙


 サナへ。

 週末の内地行きは、やっぱり僕も行く。サナが心配だから。

 この前は、ごめん。でも、やっぱりサナには、わかってほしい。

 たしかに、うちは貧乏でデバイスも無くて、今回の殺人カゼで大人だけ疎開した本当の理由なんて、サナみたいに詳しくは知らない。

 でも、それって大事なことなの?

 お父さんお母さんたちは、疎開の日、泣きながら僕ら全員にお守りをくれた。

 その帰りのどしゃぶり雨は、なぜか暖かくて、傘が無くて走り出した僕らは、いつの間にか涙をぜんぶ流されちゃったんだ。

 雨宿りに寄ったサナの家では、いつもは寝ているおばあが起きていて、笑いながら全員に柔らかなタオルと、赤い大きな花の入ったお茶を出してくれた。

 その懐かしくて甘い香りに包まれながら、軒先で誰もいなくなった雨模様の庭を、みんなで眺めていると、泥まみれでびちょびちょの猫が、きれいな白い子猫をくわえて、さっと僕らの間を抜けて、居間の奥に入っていったんだ。

 誰かがそれを追い出そうとしたけれど、おばあが「好きにさせえ。子供を守りてえのは、みんな、あったり前なんだ」と言ったきり、すましているので、僕らはまた、庭を眺めた。誰かは、泣いていたかも知れない。

 そのうちに雨が止んで、太陽が見えたとき、いつものむっとするような熱気と、今まで忘れていたセミの大合唱とが聞こえて来て、すごく、ほっとしたことを覚えている。

 サナは、あの日のことは忘れた、なんて言っていたけれど、よく、思い出してほしいな。


 おばあの言う通り、この島はやっぱり、神様が守ってくれていて、弱い僕らを、いつもなぐさめようとしてくれている。


 青空に浮かぶ広い雲の大地を眺めていると、なぜ、あんなにワクワクするの。


 海風と波音に耳をすませていると、なぜ、さみしさを忘れていられるの。


 太陽の下で揺れる大きな葉っぱや花たちは、なぜ、あんなにキレイなの。


 古い庭の大きなツルが作った木陰で休む野良猫たちは、なぜ、あんなに幸せそうなの。


 サナ、君はなぜ、いつも泣いているの。


 おばあが僕に、サナと観光案内所を任せてくれたのは、きっと、僕にも、君をなぐさめる仲間になれ、てことなんだと思うんだ。

 島のみんなと、一緒にね。

 

 だから、僕は君と一緒に、島を出る。

 島のみんなが、応援してくれているんだ。


 サナが、いつか笑顔になりますように。


      エピローグ


 この島はすでに無人となり久しい。朽ち果てた案内所、民家、荒れた畑がそれを物語っている。

 あの殺人カゼは、結局のところ、ウイルス兵器ではなく、単なるコロナウイルス亜種によるパンデミックだった。

 当時は世界中で、子供を媒介にして大人だけを殺す、特別な細菌兵器だと言うデマが流れたが、それは百年近く前に作られたワクチンを公的に打てなかった世代が、たまたま二十代から六十代だけだったと言うオチだった。

 そのワクチンが完成した二〇二〇年の夏は、前年からの未曾有のパンデミック克服の年として、また史上初めて五輪が延期開催された年として、歴史に名高く刻まれている。

 それを忘れた世界が、割高なコロナワクチン接種を一時的に節約し、その結果、回復しかけた経済を再び破綻寸前に叩き落とすとは、皮肉なものだ。


 この手紙の主は仲間と島を出て、今はどうしているだろう。

 私は、こう思う。


 どうか、まだ彼が、島の一員のままで、ありますように、と。


(了)


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