第7話 燐と祀-2

「――だからさっきも言ったけど俺は意識を失って倒れていたこの子を見つけてここまで運んできただけで神に誓って何もやましいことはしてない!」


 社務所奥の広い客間では長い机を挟んでコブだらけの燐と獅童が向かい合っていた。そして部屋の隅に敷かれた布団では少女が眠っており、呼吸音は静かだが苦しいのか時々うなされている。燐は不安げにその横顔を見つめるが、やはり目覚める気配は無い。対して獅童はぬるくなった湯呑の茶を啜りつつ、バツが悪そうに後頭部を掻いた。


「いやぁ早とちりして悪かったなぁ。確かに冷静に考えれば若い頃にそこら中の女の子を食い散らかしては恨み買われてバレンタインデーに付き合ってた全員から包丁プレゼントされそうになった罪深い俺とは違ってお前はその歳まで童貞もとい清らかで健やかな肉体を保っている……無理やり女の子に手を出すなんてこと出来るわけがないか……」


「さらっとマウント取るのやめてくんない? っていうかめちゃくちゃ悲しいわその信頼! おかげで俺の無罪を信じてもらえたみたいだけど」


「……というかお前もよく見たら全身ボロボロだなぁ、俺の繰り出した華麗なる鉄の制裁だけじゃそうはならないよな?」


「あー、そういえばそうだな。特にどこかで転んだり、森の中を歩いたりしたわけじゃないんだけど……なんでこんなに汚れてるんだ俺の服……って痛っ!?」


 所々薄汚れて破けたり切れ込みが入った上着やズボンを見下ろしていた燐は突然胸に走った痛みに呻いた。慌てて襟を開いて痛んだ箇所を確認するが、特に傷は見当たらない。もしかしたら何か病気かもしれないが、風邪も引かず怪我をしても一晩寝ればほとんど完治してしまう自他ともに認める健康優良児なのでそこらへんの可能性も考えにくい。


「なんか心当たりとかねぇの? 例えば最近テレビとかネットで話題の怪物に襲われたとか……なんてな」


「白黒の怪物……?」


 獅童からそんな疑問を投げられた途端、今度は燐のこめかみに鈍痛が走る。そして同時に脳裏にはあの少女が血をぶち撒けながら倒れ、自分も何かに襲われて倒れ込み、視界が暗転するイメージが浮かんだ。しかしそのイメージはかなり不明瞭で、なんだか現実味がまったく無い。そもそも死んでいたらこんなところには居ない。


「ここに来るまでの行動を思い返してみろ? なんかおかしい点とかあるんじゃないのか?」


「いや普通に駅を出て街を歩いて坂を登って……その子が倒れてて……あれ? なんかその直前にあったような……?」


「そういえば爆発かなんかあったっけな? 消防車とかパトカーも何台か来てた気がするが……さっきもお巡りさんがウチに聞き込みに来たし……」


「爆発?」


 なんだか引っかかるものを感じた燐だが、やはり記憶を探ってもそれらしい原因は思いつかない。というか全体的に今日あったことが朧気だ。長時間電車に乗って一日中歩き回っていたし夜も遅くなって眠くなっているのかもしれない。


「まぁ最近は神隠し事件とか何かとこのあたりも物騒だし気をつけろー? ――まぁお前ならヤツらに襲われても心配ないだろうがな」


「何だよその根拠のない信頼は?」


 獅童のどこか含みのある言い方に燐は首をひねるが、対する獅童はおどけたように肩を竦めた。そういえばこの神主は昔からどこか人を食ったような、飄々としたところがあり、長年生活を共にしてきた燐も彼に対しては謎が多かった。そもそも神主という仕事だけで食っていけているのが不思議である。


「そういえばその女の子、結構苦しそうだけど病院とかには連れて行かないのか?」


「ああ、ここに来る前に電話かけたんだけど通信障害なのか警察にも救急にも電話が繋がらなくてさ。直接この子を街の病院に連れて行くよりはこっちで保護した方がいいかなぁって」


 客間に鎮座した大画面のテレビはどのチャンネルも各地で発生している大規模通信障害の報道をしていた。しかしテレビの電波にも影響が出ているのか映像は時々止まったり砂嵐が流れたりしている。相変わらずスマホも圏外のままで情報を得る手段はかなり限られているようだ。


「おいおい俺ァ誘拐犯の濡れ衣着せられるのは御免被るぜ」


 と言いつつ手際よく布団を用意して少女を寝かせたのは神主の人柄ゆえだ。何故だか神主のくせに医師免許も持っており、簡素ではあるがきちんと診察や治療も施してくれた。時々山の麓の民家の子供たちを預かることも多く、こんな怪しげなナリだが周囲には厚く信頼されているのでまぁそんなに心配する必要は無いかもしれない。


「……まぁ申し訳ないんだけどせめてこの子が意識を取り戻して快復するまでここに置いてくれないかな? なんだか訳有りみたいだしさ」


「ふっ……まぁ良いさ。境内は無駄に広いしこの社務所にも使っていない部屋は多くあるからな」


「本当!? ありがとうおやっさん!!」


 燐が深々と頭を下げるとタバコを吹かしていた獅童は頷き、燐の申し出を快諾する。酒とタバコを愛し、私生活がだらしない不良神主であるが面倒見が良いのも獅童の良いところだった。燐はそんな義父の心の広さに思わず感激で肩を震わせた。


「まっ、くれぐれも寝てるその子に手を出したりするんじゃねぇぞー?」


「出さねぇよ馬鹿!」



■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■



 そんなこんなで夜は更けていく。喧騒も遠くなり、やがて社務所から明かりが消える。夜行性の動物たちが活動を始め、次第に遠くに見える街の明かりもその数を減らしていく。しかし自室に向かい、布団に潜り込んだ燐はその時まだ気付いていなかった。境内を取り囲む鎮守の森に怪しいふたつの影があることに。


「「……」」


 木陰に潜むそのシルエットはどうやら若い男と女のようだが完全にその気配を殺しており、それに気づける者は森の動物にさえ存在しないらしい。ほとんど闇と同化したそのふたつの影は息を潜めながらじっと社務所を見つめ、その中で眠る誰かを探っていた。影に動きは無く、そのままただ時間だけが過ぎていく。


「「……オオオオオ」」


 突如として新たな影が二体、男と女の影の前に音もなく現れた。炎のようにゆらゆらと揺らめく青白い外套を纏う、二本の長い触覚を生やした歪に細い体格の黒い怪人だ。

 二体の怪人は真紅に光る双眸で男と女を睨みつけている。

 背の高い方は右腕を巨大なハサミ状に変形させ、もう一方の背の低い方は左腕を長大なノコギリ状に変化させている。細い身体にアンバランスなその得物は明らかにその細身には不釣り合いだが、怪人は軽々とそれを振り回し、一瞬で男と女との距離を詰めた。


 続けて二体の怪人は強く地面を蹴りつけて空高く飛び上がり、獲物の視界から逃れるとそのまま視覚外からそれぞれの得物を振り上げて、僅かな猶予も与えずその刃先を男と女に向けて振り下ろした。


 それに対し、男と女は身動きひとつ取るどころか視線を向けることすらしない。しかしそれは決して相手の神速とも言える人間離れした動きに反応できていないという訳ではなかった。ただまともに相手をする必要性が無いというだけで、既にふたりの相手の攻撃に対する対策は講じてある。


 剣戟がぶつかり合い、火花が散って全員の姿が闇の中で克明に浮かび上がった。男が握るのは三叉槍、女は大剣でそれぞれハサミ使いとノコギリ使いの相手をしている。衝撃が草木に伝播し、驚いた獣たちが騒ぎ出すが、影たちはそれを意に介さず、ただ相手の息の根を止めることだけに意識を集中させた。


 散った火花は一瞬で消え失せ、視界は再び闇に包まれる。しかしその直後青い炎が一面を埋め尽くし、ふたつの影が克明に浮かび上がった。立っているのは男と女の影だ。それに対して奇妙な二体の影はどこにも見当たらない。青い炎が風に吹かれて揺らめくだけで、それ以外の動きは無く、男と女もそのまま止まったままでいる。


「「――」」


 その時一際強い風が吹き、青い炎がそれに乗って舞い上がる。枝が軋み、木の葉が擦れ合い、獣たちが遠吠えする。そして青い炎が掻き消えた時、男と女の影も無くなっていた。戦いの痕跡は少しも残っておらず、ただ闇と静寂だけが森に帰ってくる。

 既に異形たちの気配も消え失せ、いつもの日常がそこに戻りつつあった。やがて夜が開け、太陽が地平線の向こうから顔を出し、街は再び活気を問戻す。


 朝が来た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る