第5話 紅蓮の紅火-4

 どさり、と少女の亡骸の上に少年の亡骸も倒れ込んで、傷口から溢れたお互いの血が混ざり合っていく。それはまるで少年と少女が引き寄せられたかのようだった。或いは少年の執念がせめて少女をひとりで逝かせまいと最後の力を発揮したのかもしれない。しかしこうして命が絶たれた以上全ては徒労に終わったことだ。


 なんの感慨も無く、怪物はふたりの遺体をそのままにその場を後にする。既に『食事』は終えたし、新たに命を喰らう必要は無い。怪物にとってこれはただ飛びかかった火の粉を払っただけに過ぎなかった。敢えて殺す訳も無いが、別段見逃す理由も無い。だから本能に従って殺しただけ。そうやってその怪物は何十人もの人間を喰らい、己の糧としてきた。


 しかし。


「……」


 突如としてなにかの異変を察知した怪物はゆっくりと振り返る。そこにはふたりの人間の遺体があった筈だ。どちらも心臓は完全に停止し、助かる可能性なんてゼロに等しかった。現に今は人間ふたりぶんの巨大な血溜まりが広がっている。しかしそんな凄惨な空間に竜の怪物以上の不可解な『怪異』が生じていた。


「――」


 ずるり、と。ぎこちないマネキン人形みたいな動きで少年の死体がゆっくりと起き上がった。まるで下手くそな傀儡師に操られているかのように、少年の死体はゆらゆらと上半身を揺らしながら、覚束ない足取りで怪物と対峙する。その顔は俯けられていて表情を窺い知ることは出来ない。自我も感情も思考も無い怪物は本能的に危険を察知する。何かがおかしい。何かが不味い。とにかく早くこれをどうにかしなければ。


 怪物は動き出した死体から距離を取り、いつでも光弾を発射できるように両腕を構える。どうやら仕留めきれていなかったようだが、今度こそ完全に息の根を止めておかないと後で面倒なことになるかもしれない。そう判断してのことだが、やはりその少年は息もしておらず、心臓も動いていない。どこからどう見ても完全に死体のソレだ。


 失われた命は絶対に戻らない。

 であればソレは人間でがなく、『異形』だ。


「――《葬装機ブレイズ》・《紅蓮煌火グレンコウカ》起動――」


 はっきりと、少年の死体が声を発した。それと同時、青白い炎が少年の死体の全身を一気に包み、激しい火の粉を撒き散らしながら天高く燃え上がる。その凄まじい熱気に怪物は咄嗟に両腕で身体を守るが、莫大な熱量はじりじりと甲殻の表面を炙っていく。


 やがて渦巻く青の業火から少年の死体が現れ、そのまま炎が少年の右腕に収束し、何かを新たに形作っていく。少年は何も言わず俯いたままで、怪物もじっとその様子を見守る。目を逸らせばその瞬間にやられるという確信があった。


「……」


 拳に収束した炎を少年は天高く掲げ、そこから溢れ出す閃光が闇を払う。それはまるで太陽の顕現であり、今の時間が真夜中であることを忘れさせる。闇の世界は一瞬にして影のひとつも落ちていない真っ白な世界へと変貌してしまった。


 全身をじりじりと焼かれながらも、竜の怪物は目の前の『異形』の一挙一動をただ見つめる。逃げるべきだと本能が訴えるが、何故か脚が動かなかった。かつて人間だった頃の感情であろうが、それが具体的に何を意味するものなのか意識の残滓しか残っていない怪物には理解する余地は無い。


 畏れのような感情を知覚した怪物はふと少年の動きに変化が生じたのを目の当たりにする。目の前の少年は右手で握った炎の塊をおもむろに己の胸へ突っ込ませた。右腕はゆっくりと深々と刻まれた胸の亀裂に沈み込み、そこから紅蓮の炎が一気に溢れ出す。そして少年は一気に突っ込んでいた腕を己の胸から抜き出し、天高く掲げる。すると周囲を照らしていた光は明確なひとつのカタチへと収束し、世界は闇に引き戻される。


 対峙する竜が目の辺りにしたのは紅蓮の炎を纏う大剣だった。幅広で片刃の、少年の身長に匹敵するほど長大な大剣だ。黒と白を基調としたカラーリングで、幾何学的なスリットが外装部に走っており、そのスリットの奥からオレンジ色の光が灯っている。そして大剣の外縁部のブレードは煌々と輝き、そこに内包された莫大な熱量によって空気中の水分や塵を蒸発させていく。


「……!」


 反射的に竜は前に突き出した掌から光弾を連続して放つ。あの死体を……否、敵を即刻排除しなければならない。アレを放っておけば確実にこちらがやられる。故に狙いは胸に定め、限界まで出力を上げて弾を発射した。確実に直撃するコースで、当たれば絶対に今度こそ死ぬ。そこに例外など生じ得ない。実際その通り、怪物が放った光弾はまっすぐ少年の心臓目掛けて高速で飛んでいった。


「――ふ」


 対する少年は小さく息を吐き、無造作に頭上に掲げていた大剣をそのまま振り下ろした。それだけだった。しかしたったそれだけで怪物の放った光弾を全てまとめて掻き消した。更に大剣から生じた炎の斬撃は高速で怪物へと突っ込んでいく。回避など不可能、反撃を想定していなかった竜はそのまままともに攻撃を喰らい、左腕の肩を大きく焼き切られてしまう。


(マズイ……)


 竜はだらりと大剣を下げたままゆっくりと歩いてくる敵に向け、続けざまに閃光の照射を放った。攻撃が発生するまではややタイムラグがあるが、純粋な破壊力であれば繰り出せる中で最強の一撃だ。更に速度はほぼ光速に等しい。見てからの回避など不可能だ。しかしまるで事前に攻撃を察知していたかのように突如として敵のシルエットは僅かに揺らぎ、そのまま閃光は虚空を通過していった。そこから僅かに遅れて爆発が生じ、ガードレールが吹き飛んで崖の一部が吹き飛び、何本か大木がなぎ倒される。一体どんな手品を使ったのか怪物は皆目見当がつかない。


(マズイ……ッ!)


 まるで幽霊のように朧気に揺らめく敵はどんどんと距離を縮めてくる。彼我の距離がゼロになった時が自分の最後だと竜は思った。ならばとにかく距離を取らなければならない。竜はアスファルトの地面を強く蹴り、一気に二〇メートルの高さにまで飛び上がって翼をはためかせた。ここまで来れば追ってはこれない筈だ。しかしその予想を敵は再び凌駕する。


 顔を上げて怪物が空に逃げたのを確認した少年は、同様に地面を蹴って一気に怪物と同じ高さにまで跳んだ。普通の人間では有り得ない跳躍力であり、最早それは重力を無視しているように感じられる。敵が握っている大剣に何か秘密が隠されているのだろうが、それを竜が知る由も無い。


(マズイッッッ!!!!!!)


 咄嗟に竜は両腕を突き出し、目の前の敵に目掛けて出せる限りの攻撃を繰り出す。八本の光軸と三〇以上の光弾。圧倒的な弾幕であり、それを捌き切るのはあの人外じみた敵にさえ無謀だと思われる。間違いなく、今度こそやったと怪物は手応えを感じた。


 しかし、やはりその敵は怪物以上に怪物的だった。


 目の前に迫る八本の光軸を敵は身を捩るだけで全て躱した。しかしそれだけに留まらず、追撃する三〇以上の光弾も右手の大剣を無造作に振るい、その全てを掻き消していく。完全に全ての攻撃をソイツは見切っていた。そしてその敵は大剣から莫大なエネルギーを放出し、それを推力として一気に怪物との距離を詰める。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」


 怪物は咆哮し、両手から青く光るブレードを発振させて目の前の敵に向けて振り下ろした。しかし敵は回避も防御も選ばず、ただブレードを空いている左手で受け止める。本来であれば細い腕など容易く切り裂き、そのまま彼を両断していた筈だった。にも関わらず少年は左手だけでそのブレードを完全に受け止め、そのまま拳を握ってブレードを粉々に粉砕した。実体の無いエネルギー体をガラス細工のように破壊するという超常現象を目の当たりにして竜は狼狽えるが、なおも目の前の敵を打ち倒さんと残っている左手のブレードを横薙ぎに振るう。しかしその一撃さえも敵は容易く大剣で腕ごと吹き飛ばした。


「!!」


 右腕の肘から先を喪った竜は慌てて後方へ飛び退こうと翼を動かす。しかしその動作を直前で見抜いた敵は大剣を横薙ぎに振るい、二枚の翼を切り裂く。するとバランスを崩した怪物は重力に囚われて落下する。最早これまでか、と怪物はどこか諦めを自覚するが、無抵抗のまま倒されるつもりは無かった。せめてコイツも道連れにする、と決意を抱き、残った左腕で目の前の敵の首を締め上げるとそのまま大きく口を開き、最後の一撃を吐き出す為にエネルギーの充填を開始する。捨て身の一撃だが、密着したこの距離であれば防御したところで攻撃を防ぎ切ることは出来ない。

 少年の目の前で赤い光が渦を巻きながらひとつの塊に凝縮され、みるみるうちにそのエネルギーを上昇させていく。これが放たれてしまえば終わりなのは明白だ。


「……無駄だ」


 声がした。改めて竜は目の前の敵をじっと見る。やはりその顔は影に隠れてよく見えない。しかし怪物は悟った。目の前のコイツが笑っていることに。殺し合いを愉しんでいることに。背筋が凍りついたような気がした。


 竜は恐怖を打ち消すように充填が完了したエネルギーを一気に吐き出そうとする。しかしそれよりも早く、首を締め上げれた少年は右手に握った大剣の切っ先を躊躇なく竜の口へぶち込んだ。深々と突き刺さる大剣は容易く竜の大きな頭部を貫き、行き場を失ったエネルギーは竜の頭蓋の中で荒れ狂う。口から血のように赤い光を大量に吐き出し、ガタガタッと怪物の身体が大きく痙攣した。


「くっ……」


 発射こそ寸前で阻止したが、莫大なエネルギーを抑えきるのは流石に難しいだろう。頃合いだと判断した少年は咄嗟に怪物だったモノを蹴りつけ、距離を取る。すると怪物の身体は一気に膨張し、そのまま限界を迎えた水風船のように内側から大きく爆ぜた。青白い閃光が一気に溢れ出し、虚空に拡散していく。怪物の肉片も爆風に乗って飛び散り、少年のすぐ側をいくつも通過していった。


「……」


 爆風をモロに喰らった少年は二〇メートル以上の高所から一気にアスファルトの地面に向かって落下する。しかし地面に叩きつけられる直前に大きく大剣を振るうことで重心を移動させ、空中で身体を捻り、二本の脚で着地することに成功した。頭上を見上げると、もう既に青白い光は空気に霧散しており、怪物の体組織も同様に跡形も無く消失していた。しかしあちこちで燃えている炎、ひしゃげたガードレールやへし折れた街灯、アスファルトを走る亀裂、崩落した崖、倒壊した大木などの激しい戦闘の痕跡は残っていた。


「うっ……」


 少年はこめかみを抑え、片膝を着く。大分無茶をしたようで、右手に握っていた大剣もカタチを失い、そのまま消えて無くなる。肩で息をしながら少年は改めて周囲を見回し、倒れている少女のもとへ足を引きずりながら近づく。やはり相変わらず血溜まりに沈んでいる少女は息をしておらず、ぴくりとも動かない。


 ひどい有様だった。少年は身を屈め、少女が被っているフードを降ろし、その横顔をじっと見つめる。血の気のない真っ白な肌、閉じられた瞼の端には透明な雫が滲んでいる。少年は少女の冷たい頬にそっと触れ、優しく撫でた。しかし少女がその目を開ける気配は無かった。


「……あ……」


 ぐらりと身体が大きく揺れた。少年は膝を着いてそのまま少女の隣にうつ伏せの状態で倒れ込む。身体を動かそうとしても全く力が入らず、目の前の景色が遠くなる。音も熱も、あらゆる感覚が消え失せていく。どうやら限界に達したようだ。少年はそれでも少女に触れようと必死に腕を伸ばすが、その指先が少女に触れることは叶わなかった。


 ――必ず、助ける

 ――だから……!


 そして。

 少年の意識はそこで途切れた。

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