第3話 紅蓮の煌火-2

「あー迷った。全然道わからん……ここどこよ……人助けしまくってたらこんな時間になっちゃったし……」


 あれから一時間、燐は未だ目的地に着けずに居た。特に寄り道をした訳ではないのだが、道中で重い荷物を運ぶのに苦労しているお婆さんや財布を落としてしまった中年のおじさん、散歩中の犬が逃げ出してしまった女の子などと遭遇してしまい、彼らの手助けをしているうちに夜中になってしまっていた。


 もう既に陽は落ちて辺りは闇と静寂に包まれている。しかも勘を頼りに歩いていたところ、いつの間にか寂れた郊外にやって来てしまっていた。規則的に並んでいる灯籠を模した街灯で周囲の状況は把握できるが光量が頼りない。コンビニも民家も見当たらず、歩行者や自動車もまったく見かけないのでここが本当に都会なのか不思議に思ってしまうくらいだ。


「取り敢えずこの近くなのは間違いないんだけどなぁ、なんとなくこの道は覚えてるし」


 彼の目指す場所というのは山の中腹に位置している神社だった。決して高い山ではないし、坂も急勾配という訳でもないが、ずっと歩き続けていたのもあって燐は肩で息をする有様である。空腹と喉の渇きに苛まれるが電車で軽食を済ませてから何も口にしておらず、燐は数十分前に通り過ぎたコンビニで買い物をしなかったのを後悔した。


 ふとすぐ側の電柱を見ると色褪せた行方不明者の情報を求める張り紙があり、燐は肩をぶるりと震わせる。行方不明者は幼い男児と若い夫妻の三人家族らしいが、雨と風と直射日光に長い間晒されていたせいで大分顔がぐちゃぐちゃに掠れているのがよりおぞましい。そういえばオバケ騒動が目立ってるので気にしなかったが最近は世界的に神隠し事件が多くなっていた。


「神隠し……あと最近話題の白と黒のオバケか……信じられないけど本当に居たらどうしよう……物理攻撃効くかな? ちゃんと祝詞の勉強しておけば良かったなぁ。寺生まれの知り合い居れば助かるんだけどそんなツテは無いし……」


 恐怖を紛らわせようとスマホを開いた燐だが、ニュースサイトの見出しを見て再び背筋を凍らせる。しかし怖いものほど見たくなってしまうのも人間のサガであり、燐は続きを読むタブをタップし、ページを開く。するとサイトの利用者が投稿した『白と黒のオバケ』を撮影したという写真がズラリと表示される。しかしどれもこれもピンボケしていてイマイチよくわからない。


「……ん? これは……」


 何かに気付いた燐は【人気急上昇】というタグが添付された画像の一枚をタップし、拡大させる。そこに写っているのは件のオバケだ。しかし画像の隅にじっと目を凝らすと別の被写体が写っているのがわかる。それは白い装束を纏った少女だった。ちょうど歳は燐と同じくらいだろうがフードを目深に被っているのもあって顔はよくわからない。しかし何より目を引くのは彼女の背後に浮かぶ機械の輪っかだ。しかも側面からオレンジ色に輝く光が噴き出しており、仏像みたいでなんだかとってもご利益がありそうだ。しかし燐が何よりも気がかりだったのは少女とオバケ? が写っている場所だった。


「この奥に写ってる神社……間違いなく我が家だ! っていうか近所が心霊スポットとかマジで勘弁してくれよ! 何やってんだよおやっさん! 除霊しろよ神主なんだからさ! しかもEXIF調べたら撮影されたのついさっきかよ!?」


 驚愕の事実を知った燐はあんぐりと口を開ける。まさか自分の生活圏内にオバケが居るとは思ってもみなかった。一応境内ではない、外れにある森で撮影されたものらしいがかなり近所である。確かそこは小さい頃不気味で近寄るのを避けていた霊園の跡地の筈だ。


「……あっ圏外になった」


 まじまじとスマホを凝視していた燐だが、上部のステータスバーに表示されたアンテナが全滅したのを目の当たりにし、別の意味で悲鳴を上げた。そういえば先程大規模な通信障害が発生しているとかなんとかニュースで言ってたような気がする。


「こうしちゃいられねぇ! オバケに出くわす前にさっさと神社に向かうぞ!」


 ガードレールと街灯が続く坂道を燐は疾走しようと脚に力を込める。記憶に間違いがなければ目的地はこの坂を駆け上がった先の筈だ。距離的にも五分もあれば十分だしきっとオバケにも遭遇せずに到着できるだろう。朧気な過去の記憶と必死に照らし合わせながら燐は大きく息を吸い込み、最初の一歩を踏み出し――

 その時だった。


「うぉわあああああああああああああああああああああああああああ!?」


 なんかいきなり背後で凄まじい爆発が生じた。爆風が全身を叩き、燐は思いっきり前にこける。咄嗟に両腕で身体を支えたので顔面を強打することは無かったが膝を擦りむいてしまったようだ。しかし痛みを感じる隙も与えず激しい轟音が鼓膜を襲う。ガス爆発だろうか、なんだか何かが腐ったような臭いを感じ取った燐は吸い込むのは不味いと口元を抑える。


(なんだ、テロか? どうして?? いや、今はそんなことより警察に通報だ……ってそういえば通信障害だったかクソッ! 怪我人とか居ないよな!? 人気は無いし大丈夫そうだけど……っていうか俺どうすりゃ良いんだ? 下手に動いてさっきみたいな爆発に巻き込まれるとか冗談じゃねぇぞ……)


 周囲を見回すとおよそ五〇メートルほど離れた森の中でオレンジ色の炎の明かりと身体に悪そうな黒い煙が上がっているのが見えた。あのまま放っておいたら山火事になってしまうかもしれない。神社は大丈夫だろうか。混乱する意識で燐は通話が可能になっているわずかな望みにかけて端末を取り出そうと上着のポケットに右手を突っ込む。しかし指先が端末の滑らかな表面に触れると同時、燐は己の視界がわずかに暗くなったのを知覚した。


「は……? 女、の子……?」


 反射的に顔を上げると頭上から少女が降ってきた。燐は慌てて腕を広げ、無防備なその身体を受け止める……なんて出来るはずもなく、自分がクッションになる形でなんとか少女を地面に叩きつけないように防いだ。しかしあんな高所から落下したのに全然衝撃は無かった。直前にふわりと落下速度が抑えられていた気がする。

 燐は眉を潜め、腕の中の少女の顔をじっと見つめた。

 ……なんだかその少女に懐かしさを感じる。

 会ったはずが無いのに、何故か彼女を知っているような気がしてならない。

 愛しさや切なさや寂しさなど様々な感情が溢れ出し、それらがぐちゃぐちゃになって胸が苦しくなる。

 突如湧いた不思議な感情に燐は首を傾げ――


「……どっかで見たことあるような……あっ、さっきの画像に写ってた……!」


 目深に被ったフード、白を基調にした服装、長い銀髪、そのどれもがさっきのオバケとセットで写真に写っていた少女の外見と合致する。しかしその女の子の肩を軽く揺らしても耳元で声を掛けてもその瞼が開かれる気配は無い。口元に耳を寄せると呼吸はしているので一応命に別状は無いようだ。


 ざっと全身をチェックしてもいくつか掠り傷や痣があるくらいで大きな外傷は見当たらない。しかしどっちみち昏倒しているのは放っておけない状態だ。見ただけではわからないが脳に何らかのダメージを受けている可能性もある。


「ああああ警察にも連絡しなきゃいけないのに救急車まで……! っていうかどっち先に連絡すればいいんだ? やっぱり人命が関わってる救急車だよな? そういえば番号なんだっけ!?」


 出来るだけ少女の身体を動かさないようにそっと地面に寝かせた燐は立ち上がり、改めて周囲の状況を確認する。あんな爆発があったのに相変わらず野次馬がやって来るような気配なく、風に揺らめく炎がぼんやりと夜の森を照らしている。そういえばこの少女は空から降ってきたが、まさかあの爆心地から物理的に吹っ飛ばされてきたのだろうか。突拍子も無い可能性だが、こんな超常的な事件に巻き込まれてしまった以上無いとは断言できない。そういえば彼女は白と黒のオバケと一緒に写っていたがあれはまさか戦っていたのだろうか。


「いやそんな馬鹿な……オバケなんて居る訳無いだろ……だって俺そんなもの一度も――」


 正常性バイアスのせいか、段々と冷静さを取り戻してきた燐は眠っている少女の横顔を見ながら乾いた笑い声を出してみる。そうだ、少なくともあの《終焉災》以降の人生で彼はそんな荒唐無稽なモノなんて見たことが無い。


 幽霊や妖怪など所詮は作り話やただの幻覚に過ぎない……そう一笑に付し、ロック画面の緊急通報から番号を入力しようとした、その時だった。背後から何かが足を引きずって歩いてくる音が聞こえて燐は咄嗟に振り返る。


「……白と黒の怪物……!」

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