第18話 五穀豊穣⑲
猪の前足が地面を蹴った。
「まずい!」
猪の巨躯が走り出して、ワイヤーがいっぱいまで引っ張られたとき、ワイヤーの輪がとうとうかかとから外れた。
若い猟師が右後方に飛びながら猪をかわす。
猟師が地表に足をついたとき、猪はその正面に方向を変え、猟師の足下に突っ込んでいった。「危ない」と八咫烏が叫ぶ。その牙が、猟師の太股をとらえる刹那、ガクンと崩れ落ちた。崩れ落ちた猪の脳天に、若い猟師の持つ、長い、太い枝が食い込んでいった。
猪はものすごい勢いで横倒しになり、断末魔の叫びをあげた。
昏倒したのだ。
足が宙を掻いて、全身は痙攣している。
猟師は枝を放り投げ、右脇のケースからナイフを取り出した。脳しんとうを起こし、目の焦点が合わない猪の猪首の辺りを左足で強く踏みつけ、右手でナイフを突き入れる。クビの方から胸の辺りに刃を入れ、真一文字に切り割く。こうすると、心臓でなくても、大動脈などの太い血管を切り裂き、血抜きになる。切り裂かれたところから、ドロドロと血が流れる。
若い猟師は肩で息をしている。全身から白い湯気が上がり、荒い息も白い蒸気となって、山のなかを流れていく。
血の出が収まるにつれ、猪の足も、痙攣も収まっていく。それを見て、若い猟師は足を外し、猪の目を押さえ、まぶたを閉じさせた。
若い猟師はその場にへたりこんでしまった。
「あやつ、はじめての獲物か」
「ああ、はじめてだからこそ、命のやりとりをしたかったのだ。本気でな。銃ならば、圧倒的に猟師が有利だ。それがいやだったのかもしれぬな。命を奪うということをよく知っておるのだよ」
やがて、ノロノロと立ち上がり、ナップサックを下ろして、なかにあったロープを取り出し、ほどいた。もうすぐ、夜がやってくる。その前に獲物を麓まで運ばなければならない。
右足の罠を見る。ワイヤーはわずかに、前足の蹄に引っかかっていた。奇跡的に引っかかったという程度で、もう一度引っ張ると、すぐに外れた。若い猟師は身震いした。奇跡的に引っかからなければ、猪の牙が大腿部を貫いて、大けがをしていたかもしれない。
結構山深くの収穫だった。巨大な猪を一人で運び出すのは非常に困難だった。少しでも時間を短縮するために、「腹出し」をここでやらねばならないと決意したらしい。
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