第17話 五穀豊穣⑰

 猪が暴れるせいで、その強い体臭が周囲に拡散されていた。猟師はそれを便りに来たのだろう。少し距離のあるところから、猟銃を構えて、いつでも撃てるようにして、にじり寄ってきた。

 必死に身を捩り、右足に食い込んだ罠から逃げようとした猪が動きを止めた。一点を見つめながら、後じさりをした。歯を「カチカチ」と鳴らして威嚇し始めた。猟銃を構え、自分を狙っている若い猟師に気づいたのだ。土煙が麓に向かって流れる。

 若い猟師がまた少し近づく。

 一歩、二歩・・・・・・。

 猪が猟師に向かって突進をした。罠に引っかかって、猟師まで届かなかった。再び土煙が上がった。あがった土煙は、微風に流されて、麓に向かって流れた。猪の口から白い息が蒸気となってもうもうとあがった。

「なぜ撃たないのだ。なぜ躊躇する」

 八咫烏やたがらすは叫んだ。――もちろん、若い猟師にも猪にも聞こえない。

 案山子かかしは一人と一頭のにらみ合いを冷たい眼で見ていた。

「自分が仕掛けておいたのに、掛かった猪を見て戸惑っておるのだ」

「いっそ猪を助けるか」

「今の私は山の神だぞ。人が猟をして猪を狩るのも、自然の営みだ。たかが、一匹の猪のために天変地異は起こせぬよ。猪が逃げおおせれば話は別じゃがな」

 八咫烏はそれに対してはなにも答えない。

 そのまましばらく若い猟師と猪はにらみ続けていた。だいぶ気温が下がってきているというのに、若い猟師の額には汗が滲んでいた。

「猪一頭がいくらになるかは分からぬが、あれだけの量があれば、そのまま食べても、当分食いっぱぐれないだろうに。何をしているか」

 決して聞こえることのないけしかけを八咫烏はする。

 なにを思ったのか、若い猟師は猟銃を下ろした。周囲を見回して、長い、太い、枝が転がっているのを見つけた。にらみ合いを続けながら、猟師はゆっくりと上体を下ろして枝を拾った。両手にそれを握り、近づいていく。猪はそれに気づいて、逃げようと若い猟師の左手に向かって突進した。罠が引っかかって逃げられない。全身を起こして、猟師を睨み、「カチカチ」と歯を鳴らす。猟師がにじり寄った刹那、猪が突進してきた。猟師は後ろに飛んですんでのところで躱した。猪の右足の罠が引っかかって、顎から崩れ落ちる。

「外れるぞ。あやつは何をしているのか」

 猪の右足の罠が、右足の毛と皮を削り、血が滲んでいる。罠のワイヤーが血で滑るのか、もう少しでかかとからワイヤーが外れそうになっている。

 猪はそれに気づいているのか、右に突進して、左に突進して、逃げようとする。

 若い猟師は、太い、長い枝を、いつでも振り下ろせるように上段で構えて、タイミングを待っている。

 猪は再度、猟師の方へ突進する気配を見せた。

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