第16話 五穀豊穣⑯

 小さな社はずいぶん山深くにあるので、細い獣道が周囲にあるくらいで大した道は通っていない。シダや笹などの丈の高い草をかき分けながら、若い猟師は進んだ。ものの数十分で若者といえども、息が上がった。

 案山子かかし八咫烏やたがらすを乗せたまま、杉木立を縫うようにして飛んでいった。

「なんだ、あの若い猟師を追うのではないのか」

 案山子は何も答えない。

 二柱がいた小さな社から、さらに山頂に向かって進む。

 地面に白いものが撒いてあるのが眼に入った。

「あれはなんだ」

 八咫烏が問う。

「おからだ」

 杉の木の根元に円形におからが撒いてあった。撒かれたおからの輪は大きい。まるで落ち葉が木の下に降り積ったようだった。そのおからを熱心に食べている獣がいた。猪であった。体重はゆうに百キロを超えていた。

「あの猪はな、さんざん里の畑を食い荒らして、ときに人まで襲う食わせ者でな。襲っても、人など食えぬのだから、そのまま脅すだけにとどめればよいのに、攻撃までする。あの牙を見よ、あの牙を誇りたいのだよ。相手が殴ってこぬことを知り抜いて、ばあさまでも襲う」

 わ主、と言ったまま、八咫烏は二の句が継げなかった。

 案山子の魂胆が見え透いていた。案山子は冷たい表情で足下を見ていた。表面上にはそれは伝わらなかったが、確かに案山子の心底にある冷たさは伝わった。

 二柱の足下で、大きな叫び声が聞こえた。

 おからに夢中になっていた猪が、罠を踏み抜いた。よりおからを食べようと、尻から後じさりをしたところにくくり罠がしかけられていて、右の後ろ足でそれを踏んだ。一瞬、猪の身体が一メートルほど跳び上がった様に見えた。

 こうなってしまうと、おからどころではなく、猪は右に左に身を捩り、なんとか罠をはずそうとする。右に突っ込み、左に突っ込む。金属製のワイヤーは足にがっちりと食込んで外れない。猪の鼻息は荒い。暴れる巨躯の猪のせいで、周囲の土や枯れ葉は吹き飛び、大きな陥没かんぼつを作った。

 一時間、二時間もすると、さしもの巨躯の猪も疲れ果て、動きが鈍くなった。夕刻が迫っていた。暖冬といえど、日が陰れば山の空気はぞっとするくらい冷え込んでくる。

 枯れ葉を踏みしめる音がした。件の若い猟師だ。

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