第9話 五穀豊穣⑨

 確かに我々にとってクスサンの幼虫は大好物です。ですが、我らが大勢でいると、あちらの子どもたちが嫌がるのです。正確に言うと、子どもたちではなく、その親ですがね」

 蜂の針は産卵管が変形したものだ。だから毒針で相手を攻撃するのは雌だけになる。ヤドリバチは産卵管が針状になっていない。その産卵管を宿主である幼虫に卵を産みつける。卵が孵ると、宿主を食い殺して成長する。人間を襲うことはない。針がないし、スズメバチほど攻撃性は高くない。

 案山子かかしの下にタヌキもやってきた。周囲をうかがうようにしてから、案山子の足下に立った。

「へい。確かにクスサンの成虫は我々タヌキにとって貴重なタンパク源です。しかし、あの丘はいけやせん。とても我々が住める丘じゃありやせん。子どもにとっては特にいけやせん。あちらの丘の新興住宅地を抜けてくるわけにもいかねえでやす。住宅地は身を隠すところがありやせん。人間どもに見つかったら大騒ぎでさあ。あの丘の向こうはあの新興住宅地以上に開けています。ならば、南からやってくるという手もあるにはあるのですが、ちょうどあの栗林のある丘の南に、車がひっきりなしに走る道路があるのです。ちょっと油断すれば車にはねられます。それに丘にたどり着いても、大人にも子どもにも捕まれば喰われます。身を隠す木立も少ないのです」

「人と共に暮らすのも難儀だの。いや、違う。住む必要はないのだ。しばし力を貸してくれればよいのだ。ヤドリバチにも頼んだのじゃが、お主らが成虫を減らしてくれれば、さらに効果は早く、確実になる。そうでないと、また次の年にはクスサンの幼虫が増えてしまうのだ」

「わかりやした。案山子の神さんの頼みです。なんとかしてみましょう。決死の突入劇になりますがね」

 タヌキは遠い目をした。

 野良仕事に夢中なばあさまやじいさまに見つからぬように、タヌキは栗林のある道へと走って行った。

 春の青空にぼっかりと大きな雲が浮かんでいた。その雲を眺めながら、

「台風が来なければ、なんとかなりそうだがな」と案山子は独り言をした。

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