第6話 五穀豊穣⑥

 木花咲耶姫このはなさくやひめ案山子かかし八咫烏やたがらすは、格子戸に頓着とんちゃくせず、そのまま中へ入っていった。

 社殿のなかは板敷きの床になっていた。床には男が胡座あぐらをかいて座っていた。

 木花咲耶姫は男の少し右前に立った。ふり返って、

「父です」

 とニコリと笑った。

大山津見神おおやまつみのかみか』

 と案山子は内心ごちた。これで今晩はしたたかに呑まねばならぬことが決まった。

 大山津見神は伊弉諾いざなぎ伊弉冉いざなみの子で、大勢の子どもがいる。基本的に子煩悩であった。瓊瓊杵尊ににぎのみことに木花咲耶姫と石長姫いわながひめを差し出すが、石長姫は返される。醜女しこめであった。実は石長姫は不老不死の神であった。石長姫をめとらなかったばかりに、瓊瓊杵尊の子孫である天皇一族の寿命には限りがある。

 大山津見神は酒解神さかとけのかみと人々に呼ばれるだけあって、座った横には酒の大どっくりがあり、すでに杯を傾けている。早くも上機嫌である。

 大山津見神は頭には鉢巻きをしていて、両耳のあたりで紙を縦に結わえている。ゆったりとした服で、腕と足を紐で縛っている。上代の男性の衣装を思えばよい。左脇には剣が置いてある。

「おう案山子殿、よく来てくれた。まあ、座ってくれや」

「座れぬわ」

 そうであったと、大笑いした。

「では一杯やってくれ」

 と大山津見神が持っていた盃を差し出す。腕が曲がらぬのを覚って木花咲耶姫が父の手から盃を両手で受け取った。大山津見神は盃に酒を注いだ。それを木花咲耶姫は案山子のもとに持って行き、

「どうぞ」

 と案山子の口元に運んで呑ませてくれた。

「うむ、かたじけない」

 木花咲耶姫は口元に笑みを浮かべ、少し頭を傾け、案山子を下から見上げた。盃を少しずつ傾けていく。口から酒がこぼれないように、口元を見ているから、そういう頭の形になっている。

 案山子はそのかわいさに、再び頬を染めた。

 八咫烏は見逃さず、「ちっ、ちっ、ちっ」と三度、素早く舌打ちをした。

 大山津見神は、向こうで大笑いした。

「かわいいだろ、惚れるなよ」

 と嬉しそうにのたまった。

「もう惚れてますぜ」と八咫烏。

「バカを申せ」と案山子は咳払いをする。

 大山津見神はまた笑った。

「お父様、ご冗談は止して。それよりも案山子様、用件なのですが」

 大山津見神の少し前に、侍るように木花咲耶姫は座った。

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