苦戦
レミは、頭をわずかに下げた。それだけだった。毛に覆われた左耳を、黒いものが食いちぎる。痛みをものともせず、レミは剣を掲げた。シドの光が巻きつく。
「くらえ」
振り下ろした剣が、傀儡師の片腕を飛ばした。宙を回転する腕に、赤い光が突き刺さる。黒焦げになった腕が、地面に転がった。
傀儡師の叫びがこだまする。
「てことは、本体って、ことでいいな。ま、これで再生は不可能だろ」
肩で荒い息をつき、シドは首の汗を拭った。
飛び退きざまに、レミは傀儡師へ戻る黒いものの尾を再び切り落とした。
「再生できるったって、最初より、ちょぉっと短くなってたっけね」
食いちぎられた耳からの血が髪を染めるのも構わず、レミは不敵に笑った。
斬られた腕を抱え、それでも、傀儡師はニヤリと笑った。傷口に、黒いものが絡む。泡立ち、傀儡師の体を溶かしていく。
「な、んだ?」
シドもレミも、眉を顰めた。
ずぶずぶと、黒いものが傀儡師の体に入っていく。ファラが、静かに口を開いた。
「私の時と、同じです。癒着するのでしょう」
傀儡師の節々が、ドクドクと脈打つ。ニタリと笑うと、姿を消した。
「どこだ」
構えるレミのすぐ背後に、影が迫る。即座に振り返るが、既に肩から血が噴き出た。レミの名を叫ぼうとするシドの腹を影がかすめ、マントを切り裂く。
「おい、シド」
呻きながらも、レミはシドを気遣った。腹を抱え、うずくまるシドが、数回咳き込む。
「だい、じょうぶ。皮膚まで、いってない」
押さえた手を離し、シドは息を吐いた。裂けた紐を結びなおす。
「普通のベルトなら、腹までいってたな」
竜の湯で着替える時、シドが変わったズボンを履いているのを、シエロは知っていた。旅装のズボンに比べ、幅が広く、ひだがたくさんある。そしてそれは、二本の紐を幾重にも腰に巻いて固定するのだ。シドが居た世界から持ってきた、「ハカマ」というものだと教えてくれた。
「レミこそ、どうなんだ」
「これくらい、獣人にとっちゃかすり傷だ。まだ動ける」
「動けるかどうかが、基準かよ」
苦笑するシドに、レミも犬歯を見せた。
ふたりを、ただ、見守るしかない。悔し涙に、ふたりの姿が滲む。まるで、光を纏っているかのように。
ハッとして、シエロは身を起こしかけた。腰に走った激痛に、呻く。
確かに、シドとレミは、薄い光に包まれていた。体の表面にピタリと沿う光の膜が見える。それは、ソゥラの珠の色だった。
「ソゥラ?」
シエロの呟きに、ファラが頷いた。シエロへ顔を向け、低い声で言った。
「竜の、隠れ里です」
復唱しようとしたシエロを、ファラは首を振って制した。
「癒着したアレに聞かれるので、申し上げられませんでした。シエロ様が山賊に襲われた後、匿われていたのは、おそらく、竜の隠れ里です。竜の民が、許された者しか入れない、時空の狭間」
「じゃあ、ソゥラとノクターンは」
静かに、ファラは首を横に振った。
「住民だからといって、全てが竜の民ではないのです。ただ、竜に近いものたち、少なくとも、竜神から力を与えられし者であると考えて、差し支えないでしょう。あの珠も、あの力。竜神に関与する、何かかと」
そして、と、ファラは一度深く呼吸をして、続けた。
「シエロ様は、珠の力で、ふたりを救いました。珠の光は、彼らの中にあるのです。シエロ様の、彼らを救いたいという願いとともに」
長く話し、疲れたのか。ファラは目を閉じた。深く息を吐き、手の甲を額に当てた。
「申し訳ありません。今の私には、そこまでしか」
「いいよ。ありがとう、ファラ」
ぎこちなく動くようになった手で、シエロはファラの額に手を重ねた。ビクリと、ファラが体を振るわせる。
「信じよう。レミと、シドと、ソゥラを」
レミが、剣を中段に構えた。シドが、腰を落とし、杖を構える。
黒いものと一体化し、速さを増した傀儡師が、楽しそうに顔を歪めた。
「ほう? どうするのかな」
挑発に、ふたりは静かに目配せをした。
「行くぞ」
レミが低く頷く。踏み込む。同時にシドも走る。
間合いを詰め、シドが地面へ石突を立てた。地面に接した点から、縦横無尽に赤い光が走る。
「ほ、ほぅ」
傀儡師は、笑いながら足元に走る光を避ける。その速さは、とてもシエロの目でとらえられないものだ。辺りに稲妻が走り、土が抉れる。礫と砂が舞い上がり、視界が封じられた。
傀儡師の笑い声が、高らかに響いた。
「目くらましのつもりかい? 無駄な」
土埃の中で、竜紅玉が光った。
「ほれ」
竜紅玉の周辺目掛け、傀儡師が力を放つ。次の瞬間、革鎧の破片が飛び散った。
「レミッ」
思わず叫んだシエロは、傀儡師の悲鳴を聞いた。
火口からの風が、土埃を吹き払う。かすんだ空間に、激しく争う影が動く。
傀儡師の喉笛に、狼が噛み付いていた。大きな口で、しっかりと牙を立てる。体をよじり、反動で後ろ足を回すと、体重をかけて傀儡師を地面へ押し付けた。
すかさず、シドが詠唱を唱える。
傀儡師と狼を、朱色の光が取り囲んだ。
「ぐおぁっ」
口の端から泡を吹き、傀儡師はのた打ち回る。だが、狼が足を踏ん張り、押さえつける。
ぐぐぐ、と傀儡師の喉から、不気味な笑いが響いた。
「味方を犠牲にするとは、なぁ」
狼となったレミは、全身の毛を逆立て、目をきつく瞑っている。喉から、苦しげな唸りが漏れ出る。膨らんだ尻尾の付け根で、紫色の紐が揺れる。
しかし、シドは表情を変えず、詠唱を続けた。
「シド」
シエロは身じろぎをした。信じると言ったものの、レミの苦しそうな姿に、不安が頭をもたげる。
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