ファラの危機

 レミが悲痛な声を上げた。

 ぬらりと、赤黒い粘液がそれから滴った。目を見開いたファラが、膝をつく。押さえた腹を中心に、淡い色の服へ赤い染みが広がる。

『せいぜい、苦しむがいい』

 割れた声で、それはズルリとファラの背から出て行った。赤黒い雫を滴らせながら、宙を泳ぎ、傀儡師の手首へ絡まる。

 ファラの小さな身体が、地面へ落ちた。

 思いきり、叫びたかった。ただ、涙だけが溢れ、目尻から地面へ落ちる。

「おい、ファラ」

 自らも脇腹の傷を庇いながら、レミがファラを抱き起こした。ファラの唇が動くが、声は届かない。

 レミは、小さく頷いた。傀儡師を警戒しながら、シドへ目配せをする。

「よし」

 シドの呟きが聞こえた。

 レミが地面を蹴る。傀儡師が手を上げた。黒いものが宙を飛ぶ。

 地面に光が走った。赤い光と青い光が交錯する。

「く」

 呻いたのは、傀儡師だった。赤い光の壁に阻まれ、黒いものは煙をあげる。

 杖を翳し、シドが立ち上がった。

「なにやら細工していたようだけどな。そんなもん、最初ッからビンビン感じてたわ!」

 剣のように杖を薙ぐ。珠が光を放つ。地面のあちらこちらで、光が弾けた。傀儡師が仕掛けていた呪が、ことごとく砕け消える。

 駆け寄ったレミが、シエロの傍らにファラを寝かせた。シドが、足元に転がったままだったシエロの荷物を滑り込ませる。強い光の魔方陣が、シエロを取り巻いた。

「あとは、任せな」

 力強く、レミが笑った。剣を抜く。竜紅玉が、魔方陣の光を受けて煌めいた。

 傀儡師が唇を歪めた。ニタリと、笑う。

「そうこなくっちゃ、ね」

 腕を振るう。シドの目と鼻の先で、青白い火花が散った。

 シドの腕が震えた。歯を食いしばる。激しく散る青い光が消えたと思った刹那、次の稲妻が襲い掛かった。弾ききれず、稲妻の一部がシドの肩を掠める。マントが引き裂かれた。

 攻撃が止まった一瞬をついて、レミが傀儡師へ斬りかかる。その首元を狙い、黒いものが飛ぶ。やむを得ず、レミは黒いものを柄で叩き落した。その隙に、傀儡師が力を放つ。

 レミの体が吹き飛ばされた。

「く、そ」

 素早く地面を転がる。さっきまで腹があった地面へ、黒いものが頭を突っ込む。レミはそれの中ほどを掴んだ。一閃、剣を薙ぐ。

 分断された黒いものが、しわがれた悲鳴を上げた。投げ捨てられた尾が、地面をのたうちまわった。煙を上げ、見る間に干からびていく。

 が、すぐに不気味な笑いが辺りに響いた。残された頭部の切り口が、ジュクジュクと泡立つ。急速に膨らんだそれは、たちまち新しい尾を蘇生させた。

「きもッ」

 飛び退き、レミはシドの横に戻った。黒いものを掴んだ手を、服の裾にこすりつける。

 シエロの体の痺れが、少し弱まってきた。まだ体は動かせないが、どうにか声がでる。

「ファ、ラ」

 シドたちのほうを向いていたファラの頭が動いた。気だるそうに、シエロに顔を見せる。穿たれた額からは、黒い粘液が一筋垂れていた。呼吸が荒い。黒目がちな目は、ぼんやりとしていた。それでも、シエロを気遣う。

「シエロ様、大丈夫ですか」

 ファラの方をこそ労わりたいが、長い言葉になると口が上手く動かない。

 眼球だけを動かし、ファラの腹を見た。押さえる手が、真っ赤に濡れている。

 珠を。シエロは、手に意識を向けた。

 王と対峙するときまでとっておこうと決めた、ソゥラの珠。だが、今、ファラが危ない。シドも、レミも、傀儡師と黒いものの攻撃をかわすので精一杯だ。それも、見える範囲で判断しても、こちらが不利だ。

 大切に取っておいて、仲間を失っては意味がない。

「ぐ」

 必死に手を動かそうとするあまり、呻き声が出た。指先が、震える。

「どこか、お苦しい、のですか」

 心配したファラが、体を起こそうとする。痛みに呻き、表情の乏しい眉間に皺を刻む。

 シエロは、口を開け閉めした。

「珠、を。ファラ、珠を」

 瞬きをしたファラが、震える手でシエロの懐を示した。軽く、問うように首を傾げる。

 伝わった。シエロは、何度か頷いた。

 だが、ファラの返答は、硬かった。

「いけません、シエロ様。今、これを使っては」

「でも、ファラが」

 死んでしまう。盛り上がった涙が、零れた。

 ファラは、目を細めた。一度大きく息をして、静かに首を振った。シエロの視線から逃れるように、目を閉じた。

「鳥人は、死ねないのです。寿命を迎えるまで。次の卵が、成熟するまで」

「え」

「だから、シエロ様。私のために、今、珠を使ってはなりません。彼らのためにも」

 目を開き、ファラはそっと、シドとレミへ首を回した。

「彼らを、信じましょう。竜神の加護もあります」

「竜神の、加護」

 あるのだろうか。そのようなものが。

 シエロたちを守っている魔方陣の界面が、時折火花を散らす。レミやシドが防ぎきれなかった傀儡師の魔術が、当たっているのだ。

 シドが傀儡師へ攻撃魔術を放つ。相手が守りに入った隙に、レミが踏み込む。のたくる黒いものが飛びかかるが、時にかわしながら、時に掠められながら、レミは傀儡師へ刃を振るった。

 嘲笑うように、傀儡師は瞬間移動をする。それでも、刃先が掠めた傷は増えていく。ノクターンの姿に、傷が刻まれていく。

 防護の合間に、強い光が魔方陣の周囲をなぞるように回る。シドが、魔方陣の防護力を保つために力を注いでくれている。

「動きを、一秒でいい。止めたいもんだな」

 シドが舌打ちをした。

 レミも頷く。髪がほどけてきた。重く垂れ下がる髪を解く。灰褐色の髪が、風に舞った。紫の紐を、素早く尾の付け根に結び直した。

「本体より、まずは、あの蛇みたいな奴が厄介だな」

 剣を握りなおし、レミは低く構えた。

 傀儡師の腕に巻きつき、黒いものはユラユラ鎌首を揺らす。

 レミの足が、地面を蹴った。気合と共に、傀儡師へ突っ込む。背後から、シドが詠唱を唱えた。

『何度目の、同じ手かねぇ』

 嘲笑い、黒いものはレミへ飛び掛った。

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