遺跡

 牧歌的な風景も、歩いていくうちに殺風景なものへと変わっていった。草木が少なくなり、黒っぽく細かい土が多くなる。時折火口から吹く風が、硫黄の臭いを運んだ。

 しかし、とシドが眉を顰めた。

「こんなところに、郷とか、あったんだな」

 目に入る色がなくなった。景色は、黒の濃淡で表されている。

 風が強くなった。舞い上がる細かい砂に、喉がざらつく。

 麓の穏やかな光景とは打って変わって、生命を感じさせない荒涼とした風景が広がっている。踏みしめる地面も、ごつごつした岩の上に砂が被っている有様だ。草木すら生えないところに、人が、郷を作っていたとは思えなかった。

 シエロは、襟巻きを鼻まで引き上げた。

「遺跡っていうくらいだから、四百年前の噴火でなくなったりしたのかな」

「ああ、確かに」

 相槌を打ち、シドは尾根を見上げて目をすがめた。噴煙のせいだろうか。尾根の上の空は、どんよりと暗くなってきた。

「天気も悪くなりそうだし。とっとと見て戻ろう」

 鼻の頭に皺を寄せ、レミは荷物を背負いなおした。

 岩の上に積もった砂で、靴底が滑る。

「しんどくないか?」

 気遣ってくれるシドに頷き返し、シエロは坂道を上った。

 空気が重い。鼻まで上げた襟巻きで呼吸が苦しくなるが、外したら外したで、発作が出そうだった。

「あれ、かな」

 レミが、黄緑色の目を細めた。

 霞む前方に、薄っすらと何かが立っているのが見える。二本の石柱のようだ。見たことがある、と思って、シエロは唾を飲み込んだ。

「降竜碑に、似てるね」

 あれも、元は門だったのかもしれないと、シエロはぼんやりと考えた。間隔を空けて立てた二本の石柱が、傾き、互いに支えあって均衡を保っているのかもしれない。

 ああ、と、シドも顎を擦った。

「でも、こっちの方が短いような」

「灰で埋もれたとか?」

 レミも首を傾げる。

 石柱の表面は、遠目から見ても降竜碑より黒ずんでいた。どんよりとした空に溶け込むような黒さには、人を寄せ付けない禍々しさがあった。シエロは、肩から掛けた荷物を引き寄せた。鞄の上から、竪琴を抱きしめた。

「何があるんだろうね。タクトも、何度も来たことがある口ぶりだったけど」

「別段、なんらかの魔術があるようには思えないけど。て、竜神の力は、魔術とは違うんだっけな」

 口の端を下げるシドに、ファラが首を傾げた。

「異なるとはいえ、力の存在や流れという点では、同じです。感知できないということは、少なくとも今は、何もない、ということでしょう」

 さらに上ると、石柱の下で動く人影があった。時折強く吹き付ける風に、黒い髪が靡くのも見えた。剣の柄へ手をかけ、レミがシエロの前に出た。先頭を行くシドも、杖を掲げる。

「あ、れ?」

 シエロは、目をすがめた。

「ノクターン?」

 屈みこんだ人影が立ち上がり、振り返る。

「やっぱり、ノクターンだ」

 嬉しくなり、シエロは大きく手を振った。

 ノクターンもシエロに気がつき、にこやかに手を振り返す。

「驚いた。こんなところで、またシエロに会うなんて」

 出迎えるように、ノクターンは坂を下りてきた。今日は、ひとりのようだ。

「無事、竜の湯から下りれたんだね」

「知り合いの魔導師に出会ってね。送ってもらったんだ」

「ここで、何をしているの?」

 シエロの問いに、ノクターンは二本の石柱を指差した。

「もうすぐ竜が目覚めると聞いて、門に、変化がないか、見に来たんだ」

「竜の目覚めで、何か起きるの?」

 驚いて聞き返すと、ノクターンは懐から分厚い本を取り出した。

「この本に、ここが昔、竜の郷と呼ばれていたと書いてあってね」

 栞を挟んだページを広げて見せてくれた。文頭の署名を見て、誰もが目を見張った。フラットの署名だった。

「この本、どうしたの?」

 驚くシエロに、ノクターンは微笑んだ。

「たまたま町の古書店で見つけてね。ここは、竜神から力を与えられし者の間では、今でも信仰の場所にもなっているらしいし、じき目覚める竜も、原点に戻ってくるものかと思って」

 それで、とシエロは納得した。

 ピチカも、ここを聖地として、訪れているのかもしれない。中立国とはいえ、竜神を祭るためにビューゼント王国の関所を通るのは、手続きが煩雑だ。鍾乳洞を通り、密かに行き来していたと考えると、合点がいった。

「原点、か」

 シドの呟きに、シエロは噴煙を見上げた。

 およそ八百年前、始祖王と竜が出会った地と伝わる。四百年前には、ピチカの村に現れたという。

「次は火口、とか?」

 だとすれば、どちらも近い。今回も、同じ場所に現れると考えられなくもない。

 シドは、眉を顰めながら杖を掲げた。

「今のところ、特に何か、ていうのは全くないな」

「まだ、時期尚早ってことか」

 レミもまた、鼻に皺を寄せ、辺りへ注意深く視線をめぐらせた。

 ノクターンは、穏やかに頷いた。

「そうだね。だけど、こっちは丁度よかったよ」

 言葉に違和感を覚えた。

 振り返る前に、強く腕を引かれた。

 ドン、と衝撃音がした。先程までシエロが立っていた地面が抉れ、薄っすらと煙が立った。

「やっぱ、そうか」

 シエロを片腕に抱き、シドが舌打ちをする。もう片方の手には、杖を掲げていた。

「おや。なかなかやるじゃないか」

 ノクターンが、にこやかに肩をすくめる。レミもまた、ファラを背後に庇い、剣を抜いた。

「どうにも、嗅いだことのある気配だと思ったよ」

 状況が掴めない。シエロは、青ざめ、シドとレミ、そしてノクターンの顔を見比べた。

「どう、したの」

 誰にともなく尋ねる。短く答えたのは、シドだった。

「降竜碑んときの、傀儡師だ」

「え」

 恐々と、シエロはノクターンを見た。どう見ても彼は、川縁の不思議な集落で、親身に世話をしてくれたノクターンだ。

「ノクターンが、傀儡師だった、てこと?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る