郊外の道

 翌朝、簡単な食事まで用意してもらい、シエロたちは恐縮しながらウェスタ城軍の官舎を後にした。もちろん、入ったときと同じ格好だ。

 人目につかないところで服を着替え、ファラを人型に戻す。

「あ、やっぱり、こっちのほうが落ち着く」

 自分の服を着て、シエロは伸びをした。残念そうなレミの視線に気がつかない振りをして、竪琴の入った荷物を肩にさげた。

「そういえば、シエロ。弦はどうする?」

 シドに問われ、シエロは迷った。

 いつ戦が始まってもおかしくない。情勢が切迫しているときに、楽器の弦を求めるのは、申し訳ない気もする。

 答えを出せないシエロの傍で、髪を整えたファラが首を傾げた。

「竜の郷の門があると言われる火山の西へ入るには、町のはずれを通らねばなりません。道筋のウェスタの西二番街に、楽器屋があります。五十六年前の話ですが」

 現在もあるかどうかは、保障されないにしても。具体的に場所の目処がたっているのは、ありがたかった。

「じゃあ、寄ってもいいかな」

 上目遣いで、竪琴を抱えた。

 横から、レミの人差し指がのびた。頬を突かれる。

「遠慮しないの。疲れたとき、シエロの竪琴聞きたいのは私達なんだし」

「そうそう」

 シドも、頼もしく頷いた。

 だが、町へ足を踏み入れ、シエロは眉を顰めた。日は高くなり、市が動き始める時間だ。なのに、町は閑散としていた。多くの店が、門扉をしっかりと閉めている。

「安息日でもないのに」

 いくつかの角を曲がると、限界まで荷物を積んだ手押し荷車を引く家族がいた。

「もう、避難を始めたんだ」

 呆然と、シエロは呟いた。町の民は、ずっと早くから、戦を警戒していたのだ。

 そうだろうなと、レミも溜息混じりに呟いた。

「あれだけ堂々と、戦船が入港しているんだから」

 指差す方に、港が見えた。海面が夏の日差しを受け、煌いている。その中に、黒々と塗られたビューゼント海軍の船が横付けされていた。いつでも出航できるよう、帆が張られている。

 西二番街に、現在も楽器屋はあった。が、もぬけの殻だ。

「どうされますか。心当たりなら」

「いや、もういいよ」

 ファラの気遣いを、シエロは弱く笑って断った。

 民が居なくなった町に、蹄の音が聞こえていた。近衛騎士団だ。シエロの顔を知る団員がいるかどうか定かではないが、できることなら出会いたくない。

「温泉に行ってた人も、避難できたかなぁ」

 ぼんやりと、シエロは噴煙を上げる山を見上げた。

 今朝早くも、数回揺れを感じた。

 シエロと同じように噴煙を見上げたシドが、目をすがめる。

「もしかしたら、戦だけでなく、噴火に備えての非難もあるかもな」

「四百年前、ウェスタも被害にあったのかな」

 首を傾げるシエロに、ファラが首を振った。

「ウェスタに城が置かれたのは、三百二十六年前です」

「ああ、町自体が、まだ存在してなかったんだ」

 その頃には、竜神に守られ、竜神を祭る民が、この地にもたくさんいたのだろうか。それとも、ビューゼントの民が、すでに町の基礎を作っていただろうか。

 過去に思いを馳せながら、シエロは竜の郷の門が残されているという山を目指した。

 町を抜けるまで一刻。そこから先は、なだらかな斜面に家屋が点在する農村を通った。

 この辺りまでくると、戦のきな臭さは感じられなかった。のんびりと草を食む家畜が、茂る草の間に見え隠れする。ともすれば、現状を忘れそうになる長閑さだ。

 鳥の囀りの合間に、家畜の鳴き声が響く。レミが、しみじみと目を細めた。

「あー。美味しそう。お腹空いたから、生きていても肉の匂いを感じるぅ」

 垂涎顔で見つめられ、最も近くに寝そべっていた家畜が、いそいそと逃げていった。シエロは、苦笑いをした。

「食べちゃダメだよ?」

「分かってるよ。獣に変化するのも、結構あれで体力使うから」

「いや、そうじゃなくて」

 変化が楽なら、今すぐにでも狼となって襲い掛かるといわんばかりだ。シエロはふと、ファラを振り返った。

「そういえばファラは、鳥になったり人型になったりして、疲れないの?」

 ファラが変化するのは、シエロにとって当たり前のことだった。小さい時から、ファラは時折変化を見せてくれた。喘息が苦しくてぐずるシエロを、どうにかしてあやそうと変化を見せたのが始まりだと、聞いたことがある。

「あ、それ、私も気になってた」

 足を速め、レミはファラに並んだ。

 ファラは、曖昧に首を傾げた。

「それなりに、体力は使いますよ。体の全組織を変化させるのですから」

「え、それじゃあ、今までの変化って、僕、だいぶ無理させてた?」

 言いにくそうに、ファラは視線を逸らせた。

「無理、というほどではありません。寿命が十年は縮んだでしょうけれど」

「ご、ごめん、ファラ。全然気にしなくて」

 うな垂れるシエロに、ファラは肩をすくめた。

「約六百年の寿命のうちの十年です。それに」

 言葉を切り、ファラは口を閉ざした。怪訝そうにレミが顔を覗き込んだが、黒目がちな目を逸らせた。

「いいよ。ファラにだって、言いたくないこと、あるもんね」

 シエロは、そっとレミへ目配せをした。

 ファラが、小さく頷く。謝っているようにも、礼を言われているようにも感じられた。

 鳥人は、嘘をつけない。バザールの宿『うさぎ雲』でファラが言ったことを、シエロは覚えていた。旅の間、ファラが口を開く前に考える時間があるのも、時折黙るのも、そのためだと分かった。

 心得たように、レミが笑顔で頷く。

「そうだね。私の方が大きさがあまり変わらないから、負担が少なそうなんだけど、戻った時ちょっとだるいもんね」

「レミの場合は」

 ファラが、ちらりとレミを見上げた。

「人より明らかに運動神経が高い獣に変化することで、体力を使うのです」

 聞き役に徹していたシドが、感嘆の息をもらした。

「モフモフも、大変なんだな。見ているほうは癒されるけど」

「勝手に癒されてんじゃないよ」

 レミが拳を振り上げた。その後ろで、灰褐色の尻尾がモフモフと左右に振られる。

 シエロは尻尾の動きを目で追いながら、苦笑した。癒しかもしれない、と思ったが、言葉にはしなかった。

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