決意新たに

 シエロが促すと、レミは重く頷いた。

「まずは、ウェスタの状況だ」

 数日前、王都からの軍船が、ウェスタに入港を求めた。突然のことだった。

「王弟カノン様は、ディショナール王の急な要請に待ったをかけた。まだ、港には周辺諸国の商船がたくさん停泊しているからね。彼らに移動を頼んだり、説得したりするあいだ、沖合いに停泊するよう命じた。だけど、軍船でウェスタに来た近衛騎士副長は、それを王命違反として、カノン様を捕らえてしまわれた」

 シエロは身を乗り出した。シドの魔方陣があるから、大騒ぎをしても声が室外に漏れることはない。だが、自然と声を潜めた。

「じゃあ、カノン様は」

「昨日、船で王都へ移送された。今、ウェスタの指揮は、副長が執っている」

「そん中で、よく俺たちを泊めてくれたな」

 感心するシドに、レミは弱く笑った。

「どうやら、すでにオーケスティンの密偵らしき者が捕らえられてたんだ。確保直後に自害したから、はっきりしてないらしいけど。その上で、手薄な裏街道での目撃情報だ。「目」での偵察で、それらしきものもすぐ確認できたから、信じてもらえたんだろう」

「王都の情報は、なにか聞けた?」

 そっと、シエロは尋ねた。

 ひっかかるように頷き、レミは喉で唸った。

「あくまでも、噂の域なんだが」

 クリステと国境を接する小国スティン国に進軍したことは、春まだ浅い日に聞いた。竜研究家シャープが、降竜碑で耳にした情報だった。

「スティン国を掌握し、製鉄技術者をクリステで働かせ、大量の武器を生産している。町の統治は、一応父上が主導となっているが、恐らく、形だけだろう。王の腹心が居座っている」

「トリルさんたちは」

 レミの沈痛な面持ちに、シエロは不安になった。

「そこまでは、詳しく分からない。だけど、今まで通りってことはないだろうな」

 レミは、息を整えると、唾を飲み込んだ。

「あと、王は魔導師も集めている。マギクから、何名もの魔導師が城に集められた」

「魔導師も、か」

 間で、シドが苦々しく溜息をついた。

「王都が管理するイーシィの港は、完全に軍船優位になっている。東の国境は、かなり緊迫した状況だ。王都に繋がる街道に厳重な検問が設けられ、出入りが制限されている」

 レミが集めてくれた情報は、どれも戦につきすすむディショナール王の姿を明確にしていた。

 シドが舌打ちをした。 

「しかし、建国祭前に、この状況は。どうするつもりだ」

 沈黙が流れた。

 シエロは、服の裾を握った。

 建国祭は、ビューゼント王国の民にとって一年に一度の楽しみだ。どんな小さな村でも、数ヶ月前から準備をする。民は、楽しみに浮かれている。オーケスティンは、その隙を突いてくるのか。それとも、祭りで食料も金も大量に消費したところを狙っているのか。

 そもそも、オーケスティンを刺激したのは、ディショナール王のほうだ。なぜ、この時期に戦を仕掛けたのか。急がなければならない理由は何か。

 ふと、ピチカの大婆様の言葉を思い出した。

「恐れを、怨竜が」

「え」

 レミとシドが首を傾げた。

 自分の想像に背筋が凍る。シエロは、震える口元を手で覆った。

「王は、建国祭までに竜を呼ぼうとして、オーケスティンとの戦を利用して、民の恐れを高めようとしている、とか」

 グル、とレミの喉が鳴った。

「可能性は、充分にある。王も、あの研究家の生徒だったんだよな。生贄発言といい、大量の血が流れたら竜がおびき出されるとでも、思っているのかもしれない」

「そして、それを操竜の乙女に操らせて、集まったオーケスティン軍をも叩く、か。そうすれば、確かに世界中の民にビューゼント王国の強さを示せる」

 蒼白になったシドに、レミは首を捻った。顎に拳を当て、しばらく考える。

「研究書に、ピチカの存在は書かれてなかったよな。てことは、王は、ビューゼントに伝わる伝説しか知らない可能性が高い。戦いの場に竜が下りた。それだけだ。ディショナール王は、自ら第二の始祖王になりたいだけなんじゃないかな」

「そのために、民を?」

 シエロは、鳥肌の立つ腕を摩った。夏の夜だというのに、寒気がする。

 己の栄華を誇示するために、民の平穏を奪おうとも、町が戦場になろうとも構わないというのか。

 悪態をついて、シドが膝を叩いた。

「ろくでもない奴だな。止める手立ては、ないのかよ」

「これだけ勢いづいたら、カノン様の言葉なんて、羽虫の声にもならないだろうし」

 ふと、シエロは閃いた。素晴らしい名案だと思った。

「竜を説得、できない、よね」

 勢いづいて口にしたものの、語尾は消え入った。あまりに無謀なことだと、すぐ気がついたのだ。

 ディショナール王すら説得できないのに、さらに強大な力を説得など、できようか。竜に言葉が通じるとも限らない。

「ごめん、なんでもない」

 シエロは、うな垂れた。

「操竜の力が、どんなものか、だよね」

 意外なレミの言葉に、シエロは顔をあげ、聞き返した。

 レミは、黄緑色の真摯な眼差しでシエロを見つめていた。

「もし、本当に乙女の意思のまま竜を操れるならさ。彼女を味方につければ、その力で、王の目論見をくじくことは可能かもしれない」

「いや、だけど」

 シエロはうろたえた。考えてみると、それは一理ある。しかし。

「その前に、誰がその力を持ってるかも分からないし。もちろん、力がどんなものかも分からない」

「お母様はどうなの? 直系だとか、言ってなかった?」

 レミが首をかしげた。灰褐色の髪が揺れた。

 記憶を、もう一度丁寧に探ってみる。しかし、そのどこにも、母から操竜の乙女について、一般的な伝承以上のものを教わった覚えがない。水脈を読むウォルトのように、女児にのみ伝えられるものだとも考えられる。

 観念して、シエロはファラを振り返った。祖父の若い時から同行しているファラなら、祖母から母に伝えたものを知っているかもしれないと考えたのだ。

「どうなの? 僕には、分からない」

「私も、それは」

 ファラの返事は、珍しくはっきりしなかった。しばらく口元へ曲げた指の関節を当て、ファラは逡巡した。

「サンドラ様がお歩きなるくらい大きくなられて。私はしばらく、技芸団を離れて旅をしていましたから。王都に立ち寄った際、久しぶりに技芸団を訪ねると、シエロ様がお生まれになっていて。お体が弱く、技芸団もそのころ忙しく、では、お手伝いしましょう、と」

「鳥人のしばらくは、長いな」

 シドが苦笑した。

 つられて、シエロも頬を緩めた。が、すぐに、物悲しくなった。母は、操竜の乙女の直系の末裔だと、近衛騎士長に名指しされた。だが、彼女に何か特別な力があったように思えない。笛の名手で、踊るのが好きで、いつも笑顔で、側にいるとつられて気持ちが明るくなる。そういう人だった。

「ウォルトの力も、ピチカの力も、弱まっているって言ってた。その中で、操竜の乙女の力だけが保たれてるなんて、そんな保障、どこにもないよ」

 竜神は、力を失いつつある古の民に救済の手を差し伸べていない。滅びるに任せている。

 もし仮に、竜神が力の存続に尽力しながら叶わないのだとしても。裏切りの民であるムジカーノの力など、最初に斬り捨てるだろう。キャロルから借りた古書の写しにも、ムジカーノ家は楽を奏で、人の心を癒す、としか書かれていない。他の民の力に比べ、実用性に乏しく、消滅してもなんら困らない。

「そうだな。王が洗い出しているムジカーノの末裔だって、ただ血筋だってことだけで。薄まってるだろうし」

 レミは、大きく息を吐いて、両手を後ろの床についた。喉を仰け反らせ、天井を仰ぐ。

「獣人みたいに、半分以上獣人だよ、て見た目にも分かれば、力を残している民を見つけやすいのにね」

 床の上で、尾の先がパタリと上下する。

 母を蹂躙した獣人の血の証が、嫌でも表に出ているレミだ。その彼女が、他人事のように言葉を紡ぐ。表情に表さない感情が、どれだけ隠されているのだろうか。

 シエロは、床を打つ尾の先から目をそらせた。

 時代は、動き始めている。シエロたちに、止めることはできない。

 目を閉じた。

 王は、自ら竜を呼ぼうとしている。シエロに探せと命じたが、最初からあてになどしていなかっただろう。竜と引き換えに母達を助けるという約束も、有耶無耶にされている可能性が高い。今、この場で旅を終えても、結果は変わりそうにない。

 しかし、瞼の裏に、タクトの真剣な眼差しが残っていた。大婆様が、水鏡で見ながらもシエロたちに伝えなかったこと。そこに、何が隠されているのだろうか。

「とりあえず、明日、竜の郷に行ってみよう」

 シエロは、懐の珠へ手を添えた。

「何もないかもしれない。行っても、無意味かもしれない。だけど、僕は、この旅を、中途半端に終わらせちゃいけない気がする。結果がどうであれ、最後まで、見届けたい」

 こみ上げる恐怖に、声が震えた。しかし、顔を上げて、しっかり三人の顔を見て、落ち着いて言えた。

 シエロは、息継ぎをした。腹に力を入れて、最後の大事な一言を伝える。

「最後まで、一緒に来てくれる?」

 三人の真剣な眼差しが、シエロに注がれていた。竪琴を傍に置いていなかったのを後悔した。上がる心拍数を抑えるように、シエロは胸元を握り締めた。

 座りなおしたシドが、掌を下にして出した。

「ラスボス倒すまでが、ゲームだもんな」

 頬を緩め、レミがその上に手を重ねる。

「地の底だろうと、用心棒を請け負うよ」

 ファラが、ふわりとレミの上に手を置いた。無言で、シエロを見上げる。

 じわりと、シエロは眼の奥が熱くなった。

「ありがとう」

 一番上に、シエロは手を重ねた。

 女装したままなのが様になってなかったと、後になって思った。

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