遺跡・竜の郷

ウェスタ城軍の官舎

 ウェスタを管理するカノン・ジグ・ビューゼントの城は、港を見下ろせる小高い丘の上にあった。その敷地の端に、ウェスタ城軍の官舎は建っていた。

 夜遅くにも関わらず、官舎内は、人がしきりと行き来していた。先程、ウェスタの魔導師の「目」を載せた梟が偵察から戻った。もう少しすれば、さらに人が動き出すだろう。

 張り詰めた空気の中、シエロたちは、事務官に案内されて官舎の廊下を歩いていた。一階の一番奥にある部屋の鍵を開け、事務官は恭しくランプを差し出した。

「あいにく、今お通しできる部屋がこちらしかなく」

 本来は、物置か何かなのだろう。がらんとした室内の端に、机や椅子が積まれている。まだ何も書かれていない羊皮紙の束やインクも、棚に整然と納められていた。

 しかし、事務官に頭を下げられたレミは、満足そうに頷いた。

「いや、充分だよ。夜分、申し訳なかった」

 レミは事務官を労うと、ランプを受け取って扉を閉めた。

 足音が遠ざかるのを待ち、シドが短く詠唱を唱えた。

「よし。盗聴、覗き見防止魔方陣、完成」

 ボソリと呟くと、シドは溜息をついた。夕刻から武人たちに囲まれ、ずっと緊張した面持ちだった。ホッとしたのだろう。肩を大きく回す。

「レミがいて助かった。俺たちじゃ、とても話を通せなかっただろうな」

「兄が持たせてくれた剣のお陰だよ。私だって、これがなければ身分を証明できなかった」

 レミも、肩で息をつくと剣の柄を撫でた。鞘こそ城に置いてきたが、竜紅玉が煌く剣は、クリステを象徴するものだ。それに、とレミは床にどっかりと座った。

「宝剣を知っている重鎮がいてくれて良かったよ。あれだな、祭典で宝剣を開示するのも、外交的に重要なんだな」

「レミ、ありがとう」

 シエロも、緊張を解いてレミを労った。

 タクトの教えてくれた抜け道を使い、ウェスタ郊外の疎林に出たのは、日暮れ後だった。

 鳥になったファラに道を調べてもらい、レミだけ先に、ウェスタの城へ走った。城軍に、西の裏街道でオーケスティン軍を見かけたことを伝えた後、諸々の確認、情報の伝達などを終え、ようやく同行者であるシエロたちと合流できた。おまけに、官舎に一夜の宿を与えてもらえた。

 シエロは、持っていた水袋をレミへ渡した。ひとくち飲み、息を吐いた彼女は、黄緑色の目で悪戯っぽくシエロを見上げた。ニヤリと笑う。

「そっちも、おつかれ。レジーナ・クラヴィア」

「お疲れ様です、レミ様。じゃなくって」

 シエロは、大きく溜息をついた。俯くと、三つ編みに結った黒髪が肩から零れた。

「もう、変装、解いていい?」

 操竜の乙女の末裔であるシエロは、身元を隠さなければならなかった。ムジカーノだけではなく、シエロの名も、下手に口にしない方がいい。適当な偽名はないかと思案した結果、レミが提案したのが、レジーナ・クラヴィア。クリステ城で、シエロも会ったことのある侍女の名だ。

 ウェスタ城には、近衛騎士団の者もいる。顔を知られているかもしれない。いっそのこと、変装も施す流れになった。少女っぽく髪を結い、体型が似ているからと、シエロはファラの女物の服を着せられた。悲しいことに、少し動きにくいものの、服はシエロの細い体に違和感なく馴染んでしまった。

 かくして、ビューゼントの各地をお忍びで視察中のクリステ城主の娘と、身の回りの世話をする侍女、クリステ城お付きの魔導師という偽の一行が出来上がった。

 服の襟元から、チッと鳴いて白い小鳥が顔を出した。モソモソ這い出すと、服を咥えて引っ張る。

「ああ。ファラも人型に戻りたいよね。待って、脱ぐから」 

「しっかし、誰もシエロのこと、疑わなかったな」

 感嘆と共に、シドがシエロの服を荷物から出してくれる。

 シエロは苦笑した。それもまた、悲しいことだった。仮にも成人間近の青年なのだが、筋骨逞しい城の兵士を見慣れた者たちの目には、女性としか見えなかったようだ。

 肩から膝丈まで続いたシャツの裾を上げ、シエロは悄然とファラの服を脱ごうとした。着るときも少しきつく感じたが、脱ぐのはもっと困難だった。

「ちょ。ごめん、誰か、手伝って」

 肩が引っかかり、もがいた。ちょっと待てよと、シドが手を貸そうとしてくれる。

 レミが首を傾げてシドを止めた。

「明日の朝、またその格好でここを出るんだろ? そのままでいいんじゃない?」

「あー。そっか」

「そっか、て」

 シエロは口を尖らせた。抗議するように、ファラも囀った。何度も首を傾げる小鳥へ、レミはシエロの短衣を掲げた。

「これなら、どう?」

 床に広げる。

 ファラは、短衣の裾を何度か行き来していたが、両足を揃えて跳ぶと、頭を上下させてもぐりこんだ。服を透かし、光が広がる。襟元から首だけ出し、中に入れたままの腕で短衣を回して、前後の誤りを直した。

「広げる時は、前を下にしていただけたほうがありがたいです」

「ああ、なるほど」

 レミが感心する。シエロの短衣は、長さもファラの服と同じくらいで、支障なく着れた。そのことが、シエロにはとても残念だった。

 しばらく、袖や裾を引っ張っていたファラが、顔を上げてシエロを見た。小首を傾げる。癖のない白い髪が、さらりと肩にかかった。

「お似合いですよ」

「ファラ、それ、褒めてないからね」

 さらにションボリと、シエロは自分のズボンを手にした。

「これだけは、履いていい? 足元が、落ち着かない」

「あ、分かる。変な感じだよな、スカートって」

 同意を示したのは、意外にもシドだった。首を傾げるシエロに、シドはカラカラと笑った。

「学祭で女子の制服のスカート履いた時さ、なんかスースーしてさぁ」

「シドも、苦労したんだね」

 その割に、シドは楽しそうだが。しみじみとズボンを履いて、シエロは。一息ついた。床に座る。

 シドも荷物を置いて胡坐をかいた。ファラが、シエロの短衣の裾を気にしながら座る。四人でひとつのランプを囲んだ。申し合わせたように、表情が引き締まった。

「で、レミ。現状について、どこまで分かった?」

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