秘密の道

「その先の坂を下れば、裏街道ですが」

 声を顰め、タクトが前方を指差した。緩やかな上り坂が、尾根の稜線でふつりと切れたように見えている。

 五人は身を屈め、傍の林へ入った。木の陰を伝い、裏街道を見下ろせるところまで出た。

 いつもより静かな蹄の音に混じるのは、金属が触れ合う音だ。木々の間から、青い甲冑が垣間見えた。

「オーケスティン軍だ」

 レミが呻いた。

 隊列を組み、粛々と進む先は、ウェスタだ。総勢、三十名前後だろうか。

「どうする」

 シドが杖を掲げた。だが、レミは険しい表情で首を振る。

「間を空けて、他の隊がいるかもしれない。下手に手出しして、ビューゼントから先攻したことになれば、厄介だ」

「だけど、これ」

 抑えたつもりが、シエロの声は上ずって掠れた。

 黙って見過ごすわけにもいかない。ウェスタの王弟カノンは、オーケスティンの動きを知っているのか。すでにウェスタは戦場になっているのか。

「私達でどうこうできるもんじゃない。他の道があれば、そこからウェスタに入って、その状況次第だな」

 それなら、とタクトは手招きをした。来た道を戻る。

 足早にしばらく引き返すと、道を外れて、下草を掻き分け斜面を登った。浅い谷に沿って歩く。細い水の流れに、ブーツが濡れた。

 進むうちに、流れは太くなった。やがて、前方に、木に囲まれた洞窟が口を空けていた。シドが、短く口笛を吹いた。

「鍾乳洞じゃん。本物は、初めて見る」

「足元が悪いですから、気をつけて。ウェスタの郊外に繋がっています。これを」

 タクトは、襟元から皮紐を引き出した。服の中で身に着けていたペンダントを外す。赤子の掌大の平たい石に、枝分かれした線と交差する短い線、小さな丸が刻まれていた。

「丸が、ここの入り口です。短い線は、分岐を表しています。刻み通りに進んでください」

「でも、これ、大切なものじゃないの?」

 返そうとするシエロの手に、タクトはペンダントを強く押し付けた。

「もう、すっかり覚えています。また新しく作ることもできます。それよりも、シエロ殿に、ウェスタへ戻り、竜の郷に行っていただきたい」

「竜の、郷?」

 全員が、タクトに注目した。

 タクトは、緊張した面持ちで頷いた。頬がほのかに上気している。引き結んだ唇が、小さく震えた。

「水鏡が示したものを、私も、見せてもらいました」

 一同の驚きの眼差しを前に、タクトは下唇を噛んだ。

「大婆様がお伝えしなかったことを、伝えるべきではないかもしれません。しかし、行くべきです。八百年前、ハモニア・ジグ・ビューゼントと竜が出会った郷があったところへ行けば、何か、分かるかもしれません」

 もしかしたら、とシエロは思った。タクトは、竜神の民の力を持っている数少ないピチカのひとりなのかもしれない。本人は重荷に感じているが、次の世代のピチカを率いるべき人物として期待されているのだろう。だからこそ、大婆様に特別な扱いを受けている。

 シドが低く確認した。

「あった場所、てことは、今はないのか」

 タクトは、静かに首肯した。

「われらが行けるのは、遺跡として残っている門までです。しかし、なにか、手掛かりがあるかもしれません」

 シエロは、ペンダントを握った。秘密の抜け道の地図だ。部外者に、存在すら知られてはならない筈だ。タクトは、重い責めを受ける覚悟を固めている。何が、彼をそんなに駆り立てているのか。

 水鏡に、何が映っていたのか。問い詰めれば、シエロたちの進むべき道も教えてもらえるかもしれない。確かめたい半面、知るのが怖かった。

 時間もなかった。タクトの好意を、無駄にしたくなかった。

 シエロは、ペンダントをシドへ渡した。彼なら、鍾乳洞の暗闇でも灯りを生み出すことができるし、先導を任せられる。

 空いた手で、王都からずっと首に掛けていた飾りのひとつを掴んだ。

 楽師として装飾の多い格好をしているシエロの胸元には、他にも数個の飾りがある。そのいずれもが、健康や厄除として人から贈られたお守りだった。手にしたのも、ずっと昔、竪琴を褒めてくれた客がシエロの安全を願ってくれたものだ。

 外し、一度両手の中に握る。祈りを込める。

「ありがとう、タクト。代わりにならないけど、これを」

 広げ、タクトの頭を通し、首へ掛けた。艶やかな石を撫で、タクトは呆然とシエロを見た。

「よろしいのですか」

「本当は、これじゃ足りないくらいだけど。ピチカに、竜神の恵みが降らんことを」

 タクトへ、手を差し出した。

 躊躇い、タクトが握り返してくる。彼のその手を、シエロは両手で包み込んだ。もちろん、シエロにソゥラのような力はない。彼の不安を取り除いたり、心を癒すことはできない。

 それでも、大丈夫だよと念じながら、農具で皮が固くなった掌を包んだ。

「急いで、大婆様にオーケスティン軍のことを伝えて」

「分かりました」

 一礼し、タクトは何度か振り返りながらも、下草の間に姿を消した。

 シエロは深い息を吐くと、懐のソゥラの珠を確かめた。

 竜の郷。そこに、何があるのだろう。

 怖い。ここで、なにもかも投げ捨てて、逃げ出したい。だけど。

「シエロ。行こう」

 レミに促された。岩の段差でシエロを引き上げる準備を整え、手を伸ばしている。

 シエロは頷き、レミの手をとった。

 僕は、ひとりじゃない。

 歯を食いしばる胸元で、ソゥラの珠がほのかに温かく感じられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る