タクト
沐浴を終え、森の建物を出たのは、もう昼も近い時間だった。眩しい夏の日差しは、濡れたシエロの髪をたちまち乾かしていく。
森を抜けると、田園風景が広がる。案内をしてくれるタクトを先頭に、畑の間を縫う道を歩く間にも、何度か地面が揺れた。シドが顔を顰めた。
「歩いてて体感があるってことは、震度三とか? 四? なんだっけな」
「竜神さまに呼応して、山が活動しているのです」
前を行くタクトが、振り返らず答えた。
シエロは、タクトが言う山を見上げた。揺れはおさまったが、木々の間から見えた噴煙は、黒かった。朝までは、白かったはずだ。
「あれが噴火したら、また、四百年前みたいに灰に埋まってしまうのかな」
シエロは、豊かに葉を茂らせた畑をみて尋ねた。遠くでは、農作業に精を出している民の姿もある。畝は整えられ、目立つ雑草もない。丹精込めて育てられているのが、手に取るように分かった。
これが、全て埋まってしまう。想像するだけで、悲しくなった。
タクトは、薄い唇を引き締めた。何かを堪えているような顔で、俯いた。
「竜神さま次第です。この地に住み、あの山が火を絶やさない限り、われらは竜神さまのご意向の元で生きるだけです」
それに、とタクトは、足を止めた。屈み、脛を掠めた葉を畑へ優しく戻す。元気が良すぎて、道にまで蔓を伸ばした瓜の葉だった。
「あの山があるから、ここでは山の上にも関わらず冬も暖かく、作物も茂ります。数百年に一度、災いがあったとしても、それがわれらに課せられた試練であるなら、受け入れるまでです」
「そんなにあっさり、割り切れるもんじゃないだろ」
否定するシドに、タクトは頬を強張らせた。それでも平静を保っていた。それが、シエロの目には、痛々しく映った。
「われらは竜神の民です。悲しみを満たさぬよう、日々を過ごし、それでも竜神さまがお怒りになるなら、それはわれらの至らなさの結果なのです」
「それで、納得してんのか?」
苦々しく、シドは顔を背けた。
「誰かが悪くて災害が起きるわけ、ないだろ。この土地に暮らす以上、それが竜神の民だろうと、大国の民だろうと、地下のエネルギーが溜まれば火山は噴火する。そういうもんだよ、自然災害って。けど、だからって甘んじて受け入れろってのは、無理がないか?」
「それでも、われらは受け入れざるを得ないのです」
ややムキになって、タクトが声を荒げた。
シエロは、小さく震える彼の横顔に、自分と同じ感情を見て取った。
タクトは、怖いのだ。明日にも目覚めるかもしれない竜。それに呼応して噴火するかもしれない火山。失われる日常。
竜神を畏れ、敬うピチカの民は、四百年前の出来事をしっかりと語り継いでいた。具体的に伝わっているからこそ、今、この田園風景が色を失い、火山灰に覆われる光景をまざまざと想像することが出来るだろう。
それは、近日に迫った建国祭で我が身に降りかかるかもしれない事態を想像し、悪夢にうなされるシエロと同じ思いではないだろうか。
無意識に、竪琴へ手をかける。そっと弦を指でなぞり、一本欠けていることを思い出し、枠を撫でた。
「僕だったら、嫌だな」
タクトが、訝しげに振り返った。
しばらく考え、シエロははにかんだ。
「今、目覚めを予言されている竜が、できることなら、目覚めなければいいって、思う。幸竜ならまだいいけど、怨竜だったら、嫌だ。悲しみが満ちたところで、さらに竜が悲しみを持ってきたら、溢れかえってしまう。そうなったら、誰だって嫌じゃないかな」
「ま、それを望むのは、ディショナール王くらいだな」
レミがうんざりと口を挟んだ。
「マジ、勘弁して欲しい」
シドも、口の両端を下げた。
目を瞬かせるタクトに、シエロは軽く頷いた。
「タクトは立場上、本当の気持ちを出しちゃいけないのかもしれないけど。竜神の民だって、怖がっていいと思うよ」
そっと、懐を握った。服を通し、ソゥラの珠の存在を確かめる。
「僕も、怖い。この先、何が起きるのか」
建国祭のとき、と言わないよう、気をつけた。ピチカにビューゼント王国の建国祭は無関係だ。
タクトは、不思議そうな目でシエロを見下ろした。
そうしている間に、再度、地面が揺れた。
「マジで、噴火が近いかもな。いざってとき、すぐに避難できるように準備しといた方がいいぞ、これ」
眉間に皺を刻み、シドは火山を見上げた。
「森に」
と、タクトが細い声で言った。
「岩壁があって。洞窟を掘って、食料を貯蔵したりは、しています。危険が迫れば、若者を中心に逃れるようにと。大婆様の采配で」
「対策は、なされているのですね」
ファラの相槌に、タクトは、しかし、と顔を曇らせた。
「洞窟での指揮権を、大婆様から命じられたのですが。果たして、自分などで勤まるのかどうか。避難することに反対する者も、少なくありません。何故、自分が選ばれたのだろうかと。他にも、若者はいるし、自分よりしっかりした人もいるのに、と」
「それは、重いね」
掛けるべき言葉が思いつかず、シエロは溜息をついた。
いえ、とタクトは弱く笑った。
続けて何か言おうとしたタクトを、レミが鋭く制した。自分の唇の前で指を立てる。毛に覆われた耳が、小刻みに向きを変えた。
「蹄の音だ。それも、複数だ」
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