水鏡

 黒っぽい、石造りの二階建てである。屋根は赤い石で葺かれ、先が尖っていた。堅牢な造りだ。窓は小さく、数も少ない。全体的に質素な雰囲気だった。

 中は、土間だった。両側に部屋がある廊下を歩き、奥の間へ連れて行かれる。扉を潜ると、屋根まで吹き抜けになった狭い部屋だった。敷いた筵の上へ、じかに座らされる。

 先に連行されたふたりも、シエロたちの前に座らされていた。

 シエロは、正面の壁に下がる布を見上げた。高い天井から床までの大きさだ。

 精巧な織物だった。灯りが乏しいので色がはっきりしないが、縁を彩る房状の飾りは金色だった。赤色を背景に、銀の竜が身をくねらせている。広げた翼、鋭く尖った爪、黒々とした目。いずれにも銀糸が混ざっているのか、揺らめく松明の炎を受けて煌く。

 最もシエロの目を引いたのは、竜の顔周辺に描かれた小さな丸いものだった。白と黒の二種類が、浮かんでいる。あれは、何を表しているのだろうか。

「ふぅむ」

 突然聞こえた低いしわがれ声に、シエロは肩を震わせた。

 よく見ると、松明がつくる影の中に、小さな人がうずくまっていた。目深に被ったフードも服も黒く、暗がりに同化している。フードの下で、深い皺を幾重にも刻んだ口が動いた。

 人物の前には、平たい器があった。その人が両手を軽く広げたほどの直径がある。あれが、兵士の言っていた水鏡なのかと、シエロは興味をひかれて首を伸ばした。前にいる男女の影になり、よく見えない。

 老婆と思しき人物は、水鏡の上でユラユラと手を動かした。枯れ枝のような指だ。

「なるほど。死の山脈を越えたと。なかなかの強者じゃのぉ」

「しかし、俺たちは密偵なんかじゃない。ただ、ウェスタに買い付けに行くだけだ」

 噛み付くような男の言葉に、レミが唸った。

 老婆は、脅しに屈する様子もなかった。逆に、喉の奥で笑う。

「買い付け、ねぇ。その割に、懐は寂しく、手甲と脛に隠し刃とは」

 ニタリと、フードの下で、干からびた唇の端が引きあげられた。

 男が舌打ちした。刹那、両手を縛られながら足だけで立ち上がる。一瞬の間のことだった。凡人の動きではない。後ろで縛られた手に、細い刃が握られていた。

 一拍おいて控えていた兵士が気付き、身構える。

 が、男が老婆に襲いかかろうと一歩踏み出す前に、何かに足を掬われた。派手に転倒する。その場で顔面から土間に落ち、短く呻く。同じく攻撃の構えに入った女が、呆れ顔で固まった。

「なにしてんの」

「いや、何かに躓いた」

「もうろくしてんじゃないよ」

「何だと」

 険悪になる。

 シエロは、そっとシドを見上げた。目が合うと、彼はニヤリと口端を上げる。やはり、そうかと、シエロも小さく苦笑した。杖がなくとも、詠唱を唱えなくとも、男の足を思い切り引くことが出来るのが、シドの魔導力だった。

 老婆の口が、横に伸びた。

「手当てをして、岩屋に」

 悪態をつく男女は、両脇を抱えられ、兵士に引きずられていった。

 シエロたちは、座ったまま前に移動するよう命じられた。膝でにじり寄っても、水鏡を覗き込むところまでは行けない。首を伸ばし腰を浮かせるシエロは、兵士によって肩を押さえられた。

 老婆は、さっきと同じように水鏡の上へ手を翳した。ユラユラと動かす。

「ほおぉ」

 語尾を上げ、レミを見上げる。フードから、顔の大半を占めるかという大きな目が覗いた。

「これは、これは」

 楽しそうに呟くと、今度はシドを見上げる。

「ほ、ほぉ」

 笑いに近い。ファラを見上げ、手を下ろすとひとつ頷いた。

「なるほどねぇ」

 瞼の間から零れんばかりの目が、シエロを真っ直ぐに見た。灰色の瞳に一点の濁りもなく、皺に囲まれながら少女のように煌いていた。

「獣人、異世界びと、鳥人に裏切りの民ときた。一生に一度お目見えするかしないかの珍しきものを、一度に見られるとは、のぅ」

「え、なに、どういう仕組み、それ」

 興奮したシドが、器用に胡坐のまま飛び跳ねて前へ出た。兵士がふたりがかりでシドの両脇を抱え、引きずり戻す。

 ほ、ほ、ほ、と老婆は笑った。

「ぬしの魔導力は、北の大国由来のものじゃ。多少、この世界になきものも混ざっておるが。対して、水鏡に真実を映すは、わしらの、竜神由来の力じゃ」

「竜神の」

 呟いたシエロに、老婆は幾度か頷いた。

「さよう。われらピチカの民も、竜神の民じゃ。力を持つものは、年々減っておるが、のぅ」

 穏やかだった老婆の目に、一瞬、冷たく暗い光が浮かんだ。恨みとも言える眼差しに、シエロは背筋を冷たくした。

 松明の光の加減だったのだろうか。瞬きの後、老婆は変わらず穏やかな顔で、ゆらりと頭を揺らした。

「まあ、良い。ぬしらが、未熟な転移魔術により迷い込んだ経緯は、よぉく分かった」

 決まり悪そうに、シドが身じろぎをした。老婆は大きな目を糸のように細くすると、兵士へ手を振った。

「ほれ、縄を解いてやれ」

 かしこまった兵士たちが、手を縛る縄を解いてくれた。解放された手首を摩り、シエロは改めて布を見上げた。

「ピチカにとって、竜神は、どのようなものなのですか」

 シエロの問いに、老婆は一度口をすぼめた。もぐもぐと動かすと、厳かな声音が低く響いた。

「人の嘆きを食いコウリュウとなり、人の恐れを食いオンリュウとなる。コウリュウの涙は恵みとなり、オンリュウの涙は末代まで続く毒となる」

「その、コウリュウとかオンリュウって」

 レミが、眉を顰めて尋ねた。

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