それぞれの思惑
叫びたいのを堪える顔が、苦渋の表情にも見えたのだろう。ウォルト氏は、しばらく悲しそうにシエロの顔を見つめていたが、軽く会釈すると、とぼとぼ去っていった。
「だぁかぁらぁ」
頭を抱え、シエロは座り込んだ。
嘲笑うように、風が枝を揺らして吹いた。
どうしたらいいのか。このままズルズルと留め置かれては、期日の建国祭を迎えてしまう。ファラたちとも、連絡がつかずじまいだ。
「どうしよう」
しょんぼりと、石畳を踏んだ。
帰り道も、分からない。
よろよろと歩き回るうちに、レンガの壁が木立を透かして見えた。裏手のようだ。それでも、これを辿っていけば、屋敷へ戻れる。
安堵の息をついた。おまけに、声がする。チラリと見えた姿は、アルトだ。
誤解を与える対面をしてから、彼とは顔を合わせていない。キャロルの侍女であるテナーに聞いたところ、警備兵のアルトは、いつも仲間や上司の言いつける雑用をこなすのに忙しいそうだ。
弁解するにも、いい機会だ。
駆け出そうとしたシエロは、もうひとつの人影に気がついて足を止めた。逆に、急いで幹の裏に身を潜めた。
テナーだ。しかも二人は、固く抱き合って、キスをしていた。
「仕方ないじゃない。ご主人様の命令には、背けないもの」
テナーだ。涙声になっている。アルトが頷く。
「あの楽師がもう少し強く出てくれたらいいのだけど、よく分からないままだし」
ドキリとした。自分が話題になっている。
強く出るとは、どうすればいいのか。
アルトが、さらに強くテナーを抱き寄せた。
「もう、逃げよう。二人で」
「そんなの。だって」
「このままキャロル様の婿になるより、世界の最果てまで追われようと、君と一緒になりたい」
遠くから、アルトを探す声がした。ハッと顔を上げ、アルトはもう一度、テナーの額へ口付けをした。
「じゃあ、また」
残されたテナーが、エプロンの裾で目元を押さえる。
そうか。
シエロは、静かに息を吐いた。
アルトとテナーは、密かに想い合っている。しかし、キャロルがアルトを選んだため、二人の仲は裂かれた。三代に渡ってウォルト家に仕えるアルトは、主人の命令を断れない。
そして。
シエロは、気が付いていた。視野の端、屋敷の一室の窓。閉じられた硝子の向こうで、カーテンが大きく揺れたのを。
いろいろと、分かった。だが、分かったからといって、解決策が見えるものでもない。
夜になり、シエロはあてがわれた部屋の窓を開いて考えた。解いた黒髪が、風に靡く。そっと竪琴の弦に触れ、弾かないで旋律をなぞる。
ふと、耳が羽ばたきをとらえた。
「ファラ」
藍色の空に、白い小鳥が舞っている。シエロは、そっと窓から竪琴を差し出した。最も細い弦を、一度弾く。
旋回していた小鳥が、まっすぐ屋敷へ近付いた。窓から滑り込む。
「遅くなりました、シエロ様」
たちまち人型になる。羽織っていたガウンを掛けると、ファラは滑らかな布地に頬を寄せた。
「待遇は、良いようですね」
「まあね」
苦笑し、あらましを話した。
小首を傾げ、ファラはしげしげとシエロを見つめた。
「シエロ様も、ようやく年齢相当に見られるようになられたのですね」
「えっと。そこ?」
がっくりと肩を落とすシエロを一瞥し、ファラは曲げた指を顎に当てた。
「竜神から力を与えられし民とは、興味深いです」
「ファラは、何か知らない? て、そうか、ファラが生まれるより前の話だもんね」
ファラの瞳が曇った気がした。が、一瞬だった。揺れたカーテンの影が掠めたためかもしれない。
「図書庫で、参考になる資料を探しましょう。それよりシエロ様。急ぎ二人を呼びますから、逃げる準備をしてください」
すぐにも変化しようとするファラを、留めた。
「もう少し、時間をくれる?」
鳥のように首を傾げるファラに、視線で奥の扉を示した。キャロルの寝室へ続く扉だ。あちら側から、しっかり施錠されている。
「彼らを解放する方法を、もう少し考えたいんだ」
「解放、ですか」
頷く。
彼らを縛る、見えない鎖。
「我が儘言って、ごめんね」
「いえ」
ファラの手が頭へ伸びた。身長は、今、同じくらいだ。じきに、シエロが越すだろう。
「大きく、なられました」
額の上を、ファラの手が撫でた。その手が、柔らかく、羽となる。
小さな音をたて、ガウンが床に落ちた。
拾い上げ、シエロは目を閉じた。
「本当のことを、教えてくれませんか?」
奥の扉が軋んだ。
瞼を開き、ゆっくりと、振り返る。
「話によっては、僕も、もう少し頑張れそうです」
入ってきたキャロルの青い目は、涙で濡れていた。
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