シエロ劇場 第一幕

 渋面のウォルト氏を前に、シエロははっきりと言った。

「先日、あなたのお話を聞いて、僕も悩みました。けれど、気持ちは変わりません。それに」

 短く息継ぎ。上手く言えるだろうか。キャロルに握られた袖口が引きつった。

「僕も実は、竜神から力を与えられし民の末裔です。もしかしたら、キャロルの力を蘇らせることができるかもしれません」

「なんだと」

 ウォルト氏は、傍目にも分かるほど顔色を変えた。

「名は」

 震える声で問われ、シエロは再度呼吸を整えた。

 このために、人払いを頼んだ。聞いているのは、ウォルト親子だけだ。

「シエロ・ムジカーノです」

「裏切りの」

「はい」

 これは、キャロルがこの屋敷に伝わる古い写本で調べた結果、分かったことだ。

 最初名を問われたシエロが、口を閉ざしたこと。

 竜神から力を与えられし民の話を、自然に受け入れたこと。

 その二点で、彼女は不審に思ったらしい。おそらくは、自分と近い民と目星をつけ、埃とカビの臭いと戦いながら書物をめくった。

 カヌトゥは滅びた。星読みなら、堂々と名乗る。こんにち、王国で名乗ることのできない民。それが、建国以来、同じ流れをくみながら裏切りの民と呼ばれる、ムジカーノ家だと突き止めた。

 シエロがキャロルに本心を尋ねた夜、キャロルもまた、シエロに身を明かすよう、迫ったのだ。

 ウォルト氏も、一度は民の血について悩んだ者だ。蔵書を読み漁った形跡があった。すぐに裏切りの民に思い当たったのは、さすがだ。

 わななくウォルト氏へ、シエロは続けた。

「もちろん、だからというだけではありません。僕は、旅で立ち寄ったこの町で、キャロルの魅力の、虜になってしまいました。柔らかな巻き毛にも、瑞々しく愛らしい唇も、そして、何より、深い瞳に」

 慣れない言葉に、舌がもつれた。王都で演じられていた恋愛劇の台詞を真似てみたが、かえって白々しかっただろうか。

 唖然としたウォルト氏の足元へ、跪いた。床へ額をつける。

「お願いします。アルトさんには申し訳ありませんが、僕達の結婚を、お許しください」

「お願いします」

 キャロルも、スカートの裾が皺になるのも気に留めず、平伏す。

「いや、その。しかし」

 ウォルト氏は、口ごもった。なかなかに信条の強い人だ。簡単には折れない。

 最後の駄目押しは、やはりキャロルが請け負うべきだ。

「お願い、お父様」

 潤んだ青い目で、父を見上げる。伏せるシエロに縋りつく。

「私、シエロと、もう、離れたくないの。身も心も捧げてしまったから」

 そこまでしてないと、叫びたいのを懸命に堪え、シエロは床にうずくまっていた。

「分かった」

 ようやく、ウォルト氏は折れた。重々しく頷き、戸棚から書類ばさみを取り出す。そして、アルトを呼び出した。

「シエロ殿が、ムジカーノ家の末裔であったとは」

 しみじみと、ウォルト氏に見つめられ、シエロは落ち着かなかった。が、彼は納得したように数回首を振った。

「道理で、お前さんの竪琴の音が、心に沁みるわけだ」

 聞き返そうとしたとき、扉がノックされた。ほぼ同時に、息せき切ったアルトが勢い良く扉を開く。

「お、お呼びでしょうか」

 息があがっているのだから、普通なら赤くなっているはずの顔が、青ざめている。悪い予想をしているのだろう。

 ウォルト氏に招かれ、アルトはぎくしゃくとテーブルへ近付いた。

「アルト。大変申し訳ないが、先日の婚約の件、白紙にしてもらえないだろうか」

「はい?」

 何が起きたのかと、アルトは声を上ずらせた。

 シエロは、腹に力を込めた。

「アルトさん。本当に申し訳ありません。婚約のお話は窺っていましたが、それでも僕は、キャロルへの愛を止められないのです。僕達の結婚を、認めていただけますか」

 空気を求める魚のように、アルトは口をパクパクさせた。ようやく出てきた声は、酷く掠れていた。

「あ、はい。私は、キャロルお嬢様のためなら、如何様にも」

「さすがは、三代に渡って当家に仕える警備兵だ」

 当主にも礼を言われ、アルトは明らかに混乱していた。

 ウォルト氏は、書類を手にした。アルトとキャロルの婚約証書だ。各人へ書面を見せるように掲げ、上辺を両手で持った。

 静まった室内に、紙を破る音が響いた。

 シエロの腕を握っているキャロルの手に、力が入った。

 これで、束縛がひとつ解けた。アルトを縛る鎖は解け、彼はテナーと結ばれる。

 鼻先を赤くして、キャロルは笑いながら、泣いていた。キャロルは今、アルトへの恋を諦めた。彼の幸せを祈って、身を引いた。

「シエロ」

 フワリと、キャロルはシエロの薄い胸に抱きついてきた。泣き顔を、アルトに見られたくなかったのだろう。

 彼女の巻き毛を、シエロは優しく撫でた。

 それは、演技ではなく、本心だった。

「よかった、キャロル」

 彼女の震える肩を抱いた。仄かに薔薇の香りがする巻き毛へ鼻をうずめ、シエロは、夜風の中で本心を打ち明けたキャロルを思い出していた。

 父親から結婚相手を決めるよう言われた時、キャロルが思い浮かべたのは、アルトだった。そそっかしく、失敗ばかりする同じ年頃の警備兵に、キャロルは密かに好意を寄せていた。

 その時は、彼とテナーの間柄を知らなかった。

 正式に婚約を交わした後、アルトの姿を目で追っていたキャロルは、テナーとの密会場面を目撃してしまう。

 ただでさえ、ウォルトの娘との婚姻は重圧だ。なのに、愛する人と引き裂かれてまで針の絨毯へ座らされる不幸を、アルトに与えたくない。

 だが、一度正式に交わした婚約を破棄するのは、困難だった。使用人であるアルトに責任があれば、罰せられる。どうにかして、ウォルト家側の非にして、父から破棄させなければならなかった。

 そのために、我儘で移り気な女性を演じ、新しい恋人をでっち上げることにしたのだ。

 本当の彼女は、一途で、健気な、優しい人なのに。

 彼女の悲しみと優しさを、シエロは細い腕で、しっかりと抱きとめた。

 カツリと合わさったブーツの踵に、シエロはハッとして顔をあげた。アルトが、感極まった顔でシエロを見つめていた。

「シエロさん。お嬢様を、よろしくお願いします。お幸せに」

「僕達の我が儘を受け入れていただき、感謝します」

 アルトへ手を差し伸べた。握り返すアルトへ、心の中で祝福を贈る。

 アルトさんも、お幸せに。

 さて、と、シエロはキャロルの肩を軽く叩いた。

 もう一仕事、残っている。

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